第10話 恋するってなに?

 4年生になった玲奈は授業が終わると体育館に通い、新1年や新2年の練習をサポートして励ました。そして新3年のパワーが炸裂する今年のゲームを楽しみにしていた。ある日コーチが、

「レナちゃんはまだ女子マネか、早く次を決めろと監督から叱られた。そう言われるといつまでも君に甘えるわけには行かない。君は進路で忙しいだろう、どうするか決まったか? 就職かそれとも教員になるのか? 教えてくれないか」

「普通に就職したいと就活していますが、絞り切れなくて迷ってます。それでここに来てしまいます。考え込むより体を動かす方が好きなんです」

「そうは言っても就活中なんだろ、エントリーした企業の感触はどうだ? 僕が役に立つことがあったら何でも言ってくれ、応援するよ」

「ありがとうございます。すごくいいアンサーをいただいて困ってます」

「レナちゃん、いっそ僕のヨメになるのはどうだ?」

 突然ウスゲが冗談か正気かわからないが、真面目な顔で割り込んだ。へっ! 部員は凍りついて聞き耳を立てた。コーチは焦って天井を見上げた。

「いやあ、レナちゃんがいちばん幸せになれる道を選んで欲しいと思って、つまらないジョークを言って悪かった。僕はこれでも教授だ、斎藤より力になれるだろう。推薦状は任せてくれ、メクラ判をバンバン押すから、ターゲットの企業を教えてくれるか、力になるよ」

 はぁ……


 この話を後輩から聞いた健斗は、ウスゲは玲奈にマジボレだと知った。気持は薄々知ってたが、コーチや部員がいる体育館でラブコールか! 呆れたがよく言ったと褒めてやりたかった。オレはファンの子とデートしたが玲奈が忘れられなかった。入団時のコンプライアンス説明会で、ファンと深入りするなと注意があったこともあり、カノジョはいない。時々思い出すが、玲奈はなぜあんな哀しい目をするのだろうか、男を好きになったことがないのか? いつか東京のゲームに誘ってみよう。健斗は玲奈を気にしていたがまだ自分の道が見えてなかった。


 勇士は2、3日おきにインスタを更新して玲奈と喋った。既にチームの主要メンバーになり、スタメンに定着して活躍する谷本は、日本のスポーツニュースでも紹介された。インスタでは独り言だよと、

「やっぱりあのときは眠っている場合じゃなかった。今になって悔しくてたまらない! 玲奈、僕は死ぬまでに1度でいいから君を抱きたい。そのときまでに乳脂肪がパワーアップしてることを祈ってるよ」

「何をバカなこと言ってるんですか、私たちはあと50年は生きるでしょ。それに発展途上のレディに向かって失礼です! 私のおっぱいは勇士さんにはあげません!」

 勇士はそんな会話を交わしているときだけ寂しさを忘れられるが、ゲームがない日の夕暮れ時はいつも玲奈の心に話しかけていた。


「君のキャプテンはどうしたんだ、教員になったのか?」

「愛知の刈谷市がホームのジェイテクトに入って頑張ってます。まだレギュラーじゃないけど、たまにスタメンのポジションです」

「そうか、如月君もバレーの魔力にとりつかれたようだな。彼と話したい、ケイタイ教えてくれ」

「きっと喜びます。勇士さんをwebで見てから、プロのボールに負けない体を作りたいと筋トレしたそうです。この前、上半身裸の画像を自慢して送って来たので、こんなのはセクハラだとクレームしました。でも気になったのは……」

「何を気にした?」

「触ってみないとわからないけど、如月さんが作った筋肉は硬いかな? 柔らかい筋肉としなやかな体が理想だけど、バキーンと故障しないかって不安です」

「ほぉー、画像でわかるか、僕はどうだ?」

「画像もそうですが、この前たくさん触って確認しました。誰かさんは2時間も眠ってました。逃げたくても離してくれなくて、閉じ込められたままでヒマなので触りまくりました」

「へっ! どうも変な気がしたが、もしかして君は僕の大事なところも触ったか?」

「バカ! 何てことを言うんですか。眠ってしまった勇士さんが悪いんです」

「ごめん、冗談だ。君をメチャクチャ触ったとき、柔らかいなと感じたがそうか?」

「今でも180度開脚できますよ」

「楽しみだ、今度会ったら絶対見せてもらうからな、忘れないぞ」

 ふたりはちょっとHな会話を楽しんだ。


 玲奈はウスゲや監督、ゼミの教授から3通の教授推薦をもらって、伊藤忠商事に内定した。就職が内定したとすぐ勇士に知らせた。

「おめでとう! すごい会社に決まったね、だけど僕はがっかりだ。卒業したらヨメさんになってくれるかと少しは期待していた。叔父さんやご両親が喜んでいるのが見えるようだ」

「あの~ 昔のことですがスキーをやってました。でもいろんなことがあってやめたんです。親は私の金メダルを期待していたみたいで、それで叔父の家に来たんです。親とはそれから会ってません。これからはしっかり働いて叔父を安心させたいです。応援してくださーい」

「思い出させてごめん、凹んだことがあったんだね。玲奈が僕を応援するように僕はいつも君を応援してるよ! それより僕のところへ早くおいで、大歓迎だ」

 勇士は泣きたくなった。玲奈が初めて過去を話してくれた。話すまでどれほど苦しんだか、そう思ったら涙がこみ上げた。


 玲奈は女子マネを引退したが体を動かしたくなると体育館を訪れ、空いた時間は英会話とイタリア語に挑戦した。

「商社員は英語以外の外国語も必要だと言われました。先週からイタリア語のスクールに通ってます。読むのはローマ字読みで何とかなりそうだけど、ものすごい早口でさっぱり聞き取れません」

「そうだな、発音は難しいなあ。僕も最初はアクセントで苦労した。ローマ字読みのまま喋ったらまったく通じなかった。イタリアにヨメに来る準備かい? 嬉しいなあ、待ってるよ、Vieni presto!(早く来い)」

 僕を気にしてくれたんだ。勇士はニンマリした。


 この夏の勇士の快進撃は凄かった。連日のようにチーム最多得点を叩き出して幾度もMVPに輝き、賞品のワインを抱えた姿がイタリアのスポーツニュースで紹介された。その動画を玲奈に自慢して、

「わかるか、Giapponeのボーイがチームを救ったと言ってるんだ」

「はぁ? ボーイですか」

「うん、イケメンもいるがイタリア男は年よりおっさんに見える。でもハゲはもてるんだよ、アレが強いと信じられてる。僕はバルに入ろうとするとシャットアウトくらったことがある。坊やはダメってやつだ。チームメートがコイツは24歳だと言うと酒場の親父が驚いたよ」

「そんなものなんですか?」

「うーん、玲奈は高校4年生だな、17歳だよ」

 玲奈は勇士との話が楽しかった。燃えるような恋ではないが、心の中にいつも勇士がいた。


 10月に入り、楽しみに待っている勇士のインスタが更新されなかった。どうしたんだろう? ゲームに出てない。どこか故障した? ケイタイが繋がらない玲奈の不安は広がった。1週間ほど経ってやっとケイタイが通じた。

「ごめん、連絡できなかったが入院していた」

「入院! どうしたんです!」

「ちょっとしたアクシデントだ。5歳くらいの男の子が僕の前を歩いていた。車道の向こう側にいる友だちに気づいて走り出したが、大型バイクが迫っていて跳ねられそうだった。僕はその子を追いかけて抱き上げてジャンプで向こう側に着地したんだ。そのときヘマして頭をガードレールにぶつけてしまった。ボールより子供の方が重かったようだ。僕の記憶はそこまでだ」

「待ってください! それで何ともないのですか?」

「うん、まだマトモに練習してないから不安はあるが、徐々に戻すつもりだ。連絡したかったがケイタイは禁止だった。驚いた父が渡航準備を始めたが僕は退院していた」

「どれくらい意識がなかったのですか?」

「3日間と聞いた。いろいろ説明してくれたが理解できなかった。医学用語が混じったイタリア語を聞き取れなかった。あとでチームドクターから聞いたが心配ないそうだ」

 ふーっ、玲奈は不安を固めて大きなため息をついた。練習中に幾度も転倒や滑走失敗で脳震盪になったが、意識がないなんて普通じゃない! バレーをやって本当に大丈夫かと心配で仕方がなかった。

「子供を助けたことがテレビや新聞に載って、こっちは大騒ぎなんだ。今からムービー送るから見てくれるか」

 ゴールデンタイムのニュースで、『日本のボーイがイタリア少年の命を救った。ユージはセリエAのバレー選手で、少年を抱えて見事にジャンプした』と報じ、谷本のジャンプの綺麗な奇跡を図で紹介した。


 玲奈は叔父に谷本のアクシデントを話した。

「俺はアメフトで何回も脳震盪はくらったが一過性だった。3日間も意識不明とはなあ…… 後遺症は突然出ると聞いたことがある。体あってのアスリートだから、一旦帰国してちゃんと検査を受けた方がいいと思うが…… 何事もなければいいが心配だ」

 不安な日を過ごしていた玲奈に健斗からケイタイが入った。

「谷本さんからメールもらった。事故に遭って大変だったらしいが本当に大丈夫か? 僕は谷本さんとメルトモになって、アドバイスもらっている。早くスタメンになれと叱られたが、バレーしか考えていない男を初めて知って尊敬している。彼からどんなに励まされたか言葉では言えないほどだ、感謝しかない。しかし今はとにかく心配だ。キミにはどう話しているのか教えてくれないか」

「心配ないと言ってますが、3日間も意識不明だなんて普通じゃないと、叔父は不安に思ってます。難しいことはわかりませんが、日本へ戻って精密検査を受けるべきだと心配しています。私もそう思います」

「レナちゃん、日本で検査を受けるように言ってくれないか、頼むよ。僕は彼を失いたくない」

 華麗なバックプッシュが忘れられない健斗は、谷本にすっかり心酔していた。


 職場復帰した勇士はコートでパワフルに走り跳ねていた。玲奈は勇士の動画をコマ送りして、どこか変な動きはないかと探したが異常は見当たらなかった。クリスマスが近づき、勇士から小さな箱が送られて来た。添えられたメモに、

「チームメートとトレヴィの泉に行ったんだ。想像したより大きな噴水で、得意なバックトスでコインを2枚ぶち込んだ。1枚投げ入れるとローマに再び来られる、2枚は最愛の人と幸せに暮らせるという言い伝えだ。何枚もぶち込むともっと幸せになれそうだと、10枚以上のコインを握ってスタンバイすると、慌てたパウロがノーとジャマした。3枚以上投げ込むと別れるそうだ。欲張りはダメってことだ。ユージはなぜそんなに投げようとしたかと訊くから、日本にいる恋人に早く会いたい! そう叫んだら笑われた。

 これは就職祝いだよ、玲奈にぴったりだと思う。この人は僕の人なんだと首を絞めたいからスカーフにした。受け取ってくれるか?」

 鮮やかなブルーを白い花びらが埋め尽くしたスカーフだった。


 後期試験が終わって卒業単位を楽々クリアした玲奈は、

「就職する前に旅行に行ってもいいですか?」

「いいよ、行って来い。どこに行くんだ?」

「イタリアへ行きます。勇士さんが本当に大丈夫か会って確かめます」

 谷本か…… 叔父は黙ってしまった。玲奈を預かって4年が過ぎた。この子はもう少女ではない、いつかは男を追って自分の意思で歩いて行くだろう。谷本をどれほど好きかわからんが、谷本はあっちで金を稼ぐいっぱしの大人だ。ふたりを信じよう、そう思った。

「大輔から聞いたがイタリア語を勉強しているそうだな、行っていいよ、谷本君にカツ入れて来い!」

 玲奈は勇士のチーム・スケジュールを調べた。この週はホームゲームだ。勇士さんに何も言わずに突然会いたい、びっくりさせよう、そう決めた玲奈はタブレットを持ってイタリアに向かった。

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