第8話 揺れ動く心

 年が明けても健斗は体育館に顔を出し、部員の先頭に立って体を鍛え、コーチを相手に黙々と練習に励んだ。見違えるほどに体が変わった谷本を健斗は忘れられなかった。

「レナちゃん、この前ネットで谷本くんの動画を見て驚いた。たった1年で腕と太ももが大きくなっていた。どうすればあんなになれるか?」

「想像ですが、トレーナーのアドバイスを受けて頑張っていると思います。チームにとって選手はお金を稼いでくれる商品だから、怪我や故障がないように万全のケアは当然でしょう。私は谷本さんとメルトモなんです。彼は寝る前の1時間が体のケアで、朝は家を出る前に30分のストレッチを欠かしません。サーブの衝撃が日本とはまったく違う、鍛えないとぶっ飛ばされるって言ってました」

 谷本との仲を知りたかったがメルトモだと言った言葉を信じよう。彼はイタリアだ、進展することはないだろうと安心した。

「レナちゃん頼みがある。スペアのスーツが必要になった。一緒に選んでくれないか?」

「えっ、スーツ? アスリートのスーツならミズノに就職する田村さんが適任でしょう、失礼します」

「待ってくれ、本当はデートしたいから誘ったんだ。デートはダメか?」

「デート?」

「そうだ、普通のデートしたい」

「普通のデート? 普通じゃないデートがあるんですか?」

 突っ込まれて言葉に詰まった健斗に玲奈は吹き出した。


 小雪がちらつく日曜日が初デートになった。原宿に行ったことがないと玲奈が言い出し、原宿に向かったが、混雑ぶりに嫌気がして明治神宮へ避難した。参拝者がいない参道はうっすら雪が積もり、自分の足跡をスタンプのように押して喜んだ。そのうち遊びに飽きたふたりは回廊の軒下に佇んで、太鼓が響き渡って神官が祝詞(のりと)を奉上するのを眺めた。雪はまだ降り止む気配はない。寒くないかと健斗は自分のダウンジャケットを玲奈の肩に掛けてやり、チャンスだ、キスしたい、やろうかと迷ったとき、玲奈が社務所に走り去った。そして何かを握って戻った。

「お守りです。怪我や故障しないようにもらってくれますか。100年のご利益ですって」

 キーホルダーの形をしたお守りは、裏面に除災招福守と書かれていた。

「ありがとう。変わったお守りだな、100年かすごい年月だ」

「鳥居に100年間も使われていた木で作られたお守りです。災いを除いて幸せを呼ぶらしいです」

 お守りを渡す玲奈の手を健斗は両手で包み、甘美な妄想を描いた瞬間、

「あれっ、手が冷たい、大丈夫ですか?」

 玲奈は肩を包むジャケットを健斗に返した。肩や背中に玲奈の温もりが伝わったが、健斗は自分に腹を立てた。普通は冷たく凍えた女の手を温めるのが男だろ、オレが凍えてどうする!

「キミは寒くないか?」

「寒さは強いけど東京の蒸し暑さは弱いです。ねぇ、少し暗くなって来たからどこかでご飯にしましょうよ」

 どこかと言ったか? オレはこの子とラブホに行きたい、抱きたい! 手が冷たいなんて言わせないぞ! だがそれは絶対無理だ、ぶん殴られるのがオチだろう。まだ次がある、我慢だ……


 冴えない表情で寮に戻った如月に、

「シケた顔でどうしたんだ。初デートはうまく行ったか? 誰にも言わないから白状しろよ。ところでアレは役に立ったか? そんなもんだろうと3発分だ」

「アレって何だ?」

「ポケットに入れといた」

 はぁ? ダウンジャケットを探るとスキンが3個出て来た。

「フザケンナ、余計なことするな! 迷惑だ、もう寝るぞ!」

 あんな物を見つかったら一大事だ。危なかったなぁ、ヒヤリとした胸をなでおろしたが、玲奈はアレを見て正体がわかるか? 


 それから健斗は玲奈と3回デートした。恐々肩を抱くと玲奈はビクッと立ち止まったが、オレを見て笑った。オレはそれ以上何も出来なかった。キスさえ出来ずに離れるのか、オレは情けない男だなあ。

 3月25日の卒業式に出席して記念会堂の部室に立ち寄った。誰もいないだろうと思ったが、PCをスクロールする玲奈がいた。オレに気づいて「ご卒業、おめでとうございます」と笑顔で立ち上がった。今だ、ラストチャンスだ! 玲奈を引き寄せて夢中でキスして離さなかった。苦しいとつぶやいて崩れかけた玲奈に、

「愛知へ行く前に言いたかった。初めて会ったときから好きだったんだ」

 部室を出て行く健斗の背中を玲奈は驚いて見つめていた。ドアの外には見張役の田村が立っていた。


 いつも勇士は新しい動画や画像を玲奈に送った。チームに入って約1年が過ぎ、スタメンに定着してハグする円陣の中にいつもいた。ある真夜中、動画を見た玲奈は、

「今日のゲームですが、腰が疲れてませんか? 何だかちょっとズレてソリが違う気がしました」

「そうか? 寝坊したんで朝のストレッチを少しサボった。それが君には見えるか?」

「気のせいでしょうが、小さな気の緩みが故障に繋がったりするから、気になったんです」

 まったくそのとおりだ。気のせいだと言えなかった。昨夜は俺のファンだと言うイタリア女を抱いた。玲奈、君は時々とても哀しい目で遠くを見つめる。その女もそうだった。それで抱いてしまったが心はいつも君にある、本当だ! それを見破ったか。だがそんなに腰を使ったか? 使ったかも知れない。ヤバイ! 俺は女を抱くためにイタリアに来たんじゃない。ごめんな、よくわかった。千里眼の玲奈、早く僕においでよ、僕はとんでもなく寂しい夜もあるんだ。でも君が卒業するまで女は封印しよう。バレバレじゃ隠せないと笑った。


 新学期がスタートした。新4年生は問題ないが、新3年のモタついたチームワークと個人プレーが気になった。これではフォーメーションを組めない。コーチは悩んでいた。

「レナちゃん、あいつらを目覚ませる方法はないか?」

「うーん、如月さんと今村さんがチームを引っ張って、今の3年は出番がなかったから、まだ自分のスタンスがわかっていない気がします」

 ウスゲが口をはさんだ。

「斎藤、3年のバカだけでゲームさせてはどうだ? 自分たちの考え違いを思い知るだろう。春季は捨て試合覚悟でやらないか?」

 新3年をスタメンに起用した春季リーグはボロボロに負けた。それでもコーチは黙って見守った。新キャプテンになった志村がコーチに詰め寄った。

「なぜスタメンにバカ3年を使うのですか。ミスってもあいつらは何も考えてません。僕ら4年生がそんなに信用できませんか? このまま負け続けるわけには行きません。バカ3年を外してください!」

 3年はなにも考えないのか…… コーチは考え込んだ。


 春季リーグが終了して東日本インカレが近づいたある日、コーチがみんなを集めた。

「今から3年と2年の紅白戦を始める。1年はどっちへ行ってもいい、好きな方へ入れ」

 すると1年の全員が2年チームに加わった。ふん、めったにスタメンに入れない2年に負けるはずないと3年は思ったが、玲奈が育てた2年生はパワーサーブやバックアタックを拾って拾って拾いまくり、仲間に繋いだ。飛び抜けた選手はいないが緻密なチームプレーで、3年チームにフルセットまで喰らいついて勝利した。

「今日は調子が悪かったけど、次の紅白戦は必ず勝ちます」と簡単に言う3年チームに、志村キャプテンがキレタ!!

「なぜ負けたかわかるか! 多分、何もわからないだろう。お前らはバレーがソコソコというだけでスポ科か体専に入学した。何を勘違いしている! ろくろく勉強も練習もせずに遊んでる場合か! バレーをやめたければやめろ! 3年全員やめてもかまわない。おまえらの穴は2年と1年で十分埋められる。2年に負けて恥ずかしくないか? 1年がなぜ3年チームに参加しなかったかわかるか? 個人プレーばかりでボールが回って来ないのを知っているからだ。バレーを続けるか退部するかの返事は1週間待つ。よく考えろ!」


 勇士に紅白戦の動画を見せた。

「どちらが2年かわかりますか?」

「簡単にわかる。2年の子は3年のボールがどこへ落ちるか予測できるから拾えるんだ。君の教え子だね、得点するたびにベンチの君を見ている。彼らが4年になるとさらに強くなるだろう。玲奈は僕だけのコーチにしたいがそれは贅沢な夢か? だいたい君はいつまで女子マネなんだ? いつまでも君を貸さないと監督に言うぞ!」

「ウチの監督を知ってるんですか?」

「母の兄だ。つまり伯父だ」 


 5日後、3年生は謝罪に来たがキャプテンの志村は告げた。

「お前らは関東インカレと早慶戦はベンチだ。自分のバレーをよく考えろ。2年、1年は思う存分暴れていいぞ。コンディションを整えておくように。以上!」

 関東インカレは3年生抜きで優勝し、早慶戦は圧勝を飾った。これを勇士に報告したが少し元気がなかった。ゲーム中はいつもと変わらないが、ベンチや移動用バスに乗り込む表情が違うと玲奈は感じた。

「元気がないように見えるけど大丈夫ですか?」

「うーん、そう見えたか…… 白状すると母が病気で入院している。6年前に手術して完治したと信じていたが、そうではなかった。あちこちに転移があってもう手術は出来ない、年を越せるかどうかもわからない状態だ。それでも僕は帰れない」

「どうしてですか? お母さまが病気でも帰れないなんておかしいです!」

「いや、そうじゃない。母は今がいちばん大事なときだから帰って来るなと言っている。帰っても会わない、そんな親不孝の息子に会いたくないと言った。僕はチームを離れようかと考えたが決心がつかない」

「ダメです! やめてはいけません。もし私がお母さまでも同じことを言います! ご兄妹はないのですか?」

「いない。僕がイタリアに行く前、恋人はいるかと母が訊いたことがあった。そのとき、この人だと君の画像を見せた。それから母は君の画像をねだった。ねだられるたびに画像を母のケイタイに送った。ごめん、勝手なことして」

「いいえ、それは気にしませんが勇士さんが気になります」

「いつも君は僕の表情で全てがわかるのは不思議すぎる。それだけ気にしてくれているとポジティブに考えよう」

「そう思っていいですよ。無理しないで明日もちゃんと仕事してくださいね。見張ってますよ!」

「君の明日はどうなってる?」

「えーっと、オープンスパイクに付き合います。それよりもいつ就活をスタートさせるか思案中です」

「就活かぁ…… 心配するな、僕を選んで永久完全就職しないか?」

「あら、少し元気になったみたい、どうしようかなあ」

 ふたりは遠く離れた異国で笑い合った。


 秋風が吹き抜ける季節になり、健斗はゲーム途中からに参加できる日もあったが、スタメンではなかった。何度もメールしたが返事はなかった。

 ある日の真夜中、勇士からケイタイが来た。

「本当に悪いと思う、君にとんでもないお願いをするが聴いて欲しい。母は意識があるうちに君に会いたいと言っている。病人のタワゴトだろうが会ってくれないか。まもなく鎮静剤の投与が始まって、意識がモウロウとするそうだ。死ぬ前に君に会いたいと願う母を安心させてくれないか、頼めるだろうか」

 玲奈は無言で勇士の言葉を聞いていた。どうしよう、私にそんな覚悟はない、死んでいく人を騙したくない。

「今すぐ返事は出来ません。頭の中がグルグルです、考えさせてください。勇士さんはどうするのですか?」

「帰りたいが、僕に会いたくない、イタリアでちゃんと仕事しろと言い張っている。それが母の願いなら僕は帰れない……」


 玲奈は考え続けたがいつも同じところで立ち止まった。恋人のふりしてお母さまと会っていいのか? 勇士さんは好きだけど、テレビのラブストーリーのような燃える想いではないと思う。男を好きになったことがない玲奈は戸惑うだけの日々を送った。わからない、叔母さんに話を聞いてもらおう。

 話を聞いた叔母は首をかしげて考えていたが、

「今がいちばん大事なときだから帰って来るなと言うのはわかる気がするわ。私もそうだろうね。死ぬ前に息子の恋人と会いたいこともね。恋人がいるように息子は大人になった、自分が死んでも息子を支える人がいる。少し安心してちょっと寂しさを隠して、母親を卒業する覚悟かなあ? レナちゃん、難しく考えないで人助けと思って行っといで、それから考えようよ」

 叔母はあっさり玲奈の背中を叩いた。勇士に明後日の土曜日に見舞いに行くと告げた。

「本当か、ありがとう! 母に伝えて欲しい、イタリアで頑張るからいつも見ていてくれと。玲奈、ありがとう!」

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