第7話 セリエAのプロになる

 秋季リーグは如月と今村の4年生コンビをベンチに温存して、トップ選手不在のコートで3年生を中心に完璧なフォーメーションを見せつけて優勝した。次はインカレだ、完全優勝を目指したい。玲奈は進路が決まった健斗たちを見ながら、ふと谷本さんはどうするのかと思った。

「谷本さん、失礼ですがイタリアにいて大学は卒業できますか? オンライン講義ですか?」

「卒業できそうだ。こっちでボール遊びしているから認めてくれたんだ。あと1本だけレポートを出せば完了だ。スポーツ専修みたいな学部が君の大学にもあるだろう、僕はそれだ。そしてアルバイト学生を卒業してプロ選手に昇格できそうだ」

「卒業式は戻って来ますか?」

「へーっ、そんなに僕に会いたいか? もしそうだったらベリーハッピィだ。リーグは4月あたりからオフシーズンだがまだ考えてない。君は3年生になるんだね、ひとつお願いがある。聞いてくれるか?」

「何でしょう、私に出来ることでしょうか?」

「日本のスポーツwebを観た。君の入部以来このチームはとても強くなりましたとコメントが流れて、ベンチで何かをメモっているジャージの君が映った。でも僕が見たいのは女子マネではない普通の玲奈さんだ。日常の君を知りたい、見たい。いいだろう?」


 1週間後、玲奈の動画がインスタに送られた。自分の部屋や農作業の手伝い、叔父一家との食卓や学内風景が連続ストーリィーになっていたが、谷本はラストの画像に見とれてしまった。それは成人式の振袖姿だった。ほぉ、きれいだなあ! ずっと眺めていた。俺はキスしたこともない女と長距離恋愛してるのかと思うと無性におかしくなって笑ってしまった。デートだけで終わった子もいたが抱いた子を思い出しても、この子のように俺を夢中にした子はいなかった。なぜだ? 動画を見ながら考えたが答えは見つからなかった。


 インカレに突入した。4年生コンビは好調で3年の佐伯と間宮と志村が負けてなるものかとコーナーを突き、バックアタックを連発した。無敗のまま決勝を迎え、文句のつけようがないストレート勝ちで今シーズンを終了した。関東インカレ優勝と全日本インカレ優勝、それと4年生の壮行会を兼ねた集まりが催された。乾杯の音頭を取った監督の山岡が、

「本年度のパーフェクト勝利は神崎君のサポートが大きいと思っている。コーチの指示を無視する部員が神崎君の注意は素直に聞く、そうだろう? 斎藤コーチ」

「まったくそうです。僕がしつこく言ってもまったく気にしないコイツらは、レナちゃんが腕が曲がってるよと注意すると、とたんに真剣になります。僕はコーチを辞めたくなったときがあります」

 場内は大爆笑に包まれた。

「そうだ、そうだ! レナちゃんは斎藤みたいにうるさく言わずに、本人に考えさせるようだ。時間はかかるが解決策を見つけた本人が納得する。見ていて僕はそう思った。この勝利は神崎君のお陰だと言っても過言ではない!」

 ウスゲの発言に健斗と今村は顔を見合わせて、部員以上に変わったのはウスゲだと笑った。円陣を組んで先輩の社会人スタートを祝して壮行会は終わった。俺は明日からOBだ、玲奈を堂々と誘ってみよう、健斗はそう思った。


 年の瀬が近づき街がざわめき始めたある日、谷本から連絡が入った。

「こんにちは、玲奈さん。君は今どこだ?」

「ずいぶん早起きですね、今日は移動日ですか? 私は教職の受講中でもうすぐ午後の講義です」

「驚かないで聞いてくれるか、僕は東京だ。これからイタリア大使館に書類を出しに行く。海外で働くには就労ビザが必要なんだ」

「ひえっ、東京ですか! いつ帰ったんです? どうして教えてくれなかったの?」

「戻ったのは昨日だが驚かそうと思って教えなかった、ごめんね。昨日は長野の実家にいた。急で悪いが今から会えるか?」

「今すぐ? あの~ 授業の後でいいでしょうか? でもどこで?」

「大使館は三田だ。どこで会ってくれるか? 僕は田舎人間で東京は知らない」

「うーん、私も田舎者です。でも三田の慶大に行ったことがあります、三田は浅草に近いです。浅草は行ったことありますか?」

「ないと思う」

「3時に浅草雷門の提灯の前で会いませんか? 場所はケイタイですぐわかります。三田から地下鉄で15分でしょうか」

「君の話では僕らは完全に田舎者だな。浅草で会うなんて愉快だ! 玲奈さん、待ってるよ」


 谷本は外国人観光客のように物珍しげに写メして玲奈を待った。小さなリュックを背負った玲奈が観光客の隙間をぬって走って来た。

「すみません、遅くなって。待ちましたか?」

「たくさん待ったよ、最後に会ってから9カ月も待った。ホンモノの玲奈さんに会いたくて帰って来たようなものだ。僕を早くカレシにしてくれないか」

 9カ月ぶりに会った玲奈は輝いて見えた。綺麗になったよと言おうとしたが口をつぐんだ自分に失望した。ケイタイでは何でも言えるが、本人の前では何も言えない自分に苛立った。黙ってちゃ伝わらない、チャンスは自分で作ろう……


 浅草寺の大きな常香炉の煙を谷本に浴びせて、

「どこか痛いパーツってありますか、迷信ですが煙をかけるとご利益があるそうです」

「痛いよ、ああ胸が痛い! どこかの誰かに恋をした僕は胸が痛い、苦しい!」

 胸を押さえて戯ける谷本に、故障パーツは頭でしょと煙を頭に浴びせて笑い出した。付近を見学しながら、

「メシを食う前に今晩の宿を確保するから待ってくれるか」

 谷本は予約しようとケイタイをかけまくったが、どこも断られた。

「まったくダメだ。東京のビジネスホテルがこんなに満室だと思ってなかった」

「年末だからかなあ、いつまで日本にいられるんですか?」

「明日の真夜中にあっちへ飛び立つ。僕はカプセルホテルに泊まるから心配しないでいいよ。それとも君とどこかにかくれんぼするか、それもいいなあ」

 笑って聞いていた玲奈はちょっと電話しますと告げ、誰かと言葉を交わした。

「もし良かったら、ウチに泊まりませんか。叔父は大歓迎だと言ってます」

「えっ、泊めてくれるのか! 君の部屋か! 嬉しいなぁ、さあ頑張るぞ!!」

 両肩をグルグル回してふざけた谷本に、頰を染めた玲奈はボコンと谷本の胸を叩いた。


 今夜の宿が決まって、ふたりは仲見世界隈をぶらりと散策した。

「肩を抱いて歩いてもいいか?」

 えっ、後ろにいた玲奈は立ち止まって谷本を見つめた。

「そんなに驚くなよ、僕はボーイフレンド以上だろ、カレシになりたいなあ」

 肩を抱かれて固まった玲奈の怯えが谷本に伝わった。谷本は玲奈がなぜスキーをやめたか知っていた。この子は不幸な事故に遭った。まだ恐怖と絶望に苦しんでいる……


 電車を降りて大きな1本道を歩いた。左に曲がるとすぐ家だ。谷本はすっかり落葉した桜の樹の下で突然足を止めて、玲奈と向かい合った。

「キスするがいいか?」

 目を見開いて返事をしない玲奈を抱きしめて、長いキスを続けた。時間が止まり、目を閉じて腕の中で震えていた玲奈は谷本の胸に崩れ落ちた。通行人が怪訝な顔で足早に立ち去った。

「僕だ、怖くないよ。目を開けてごらん」

 ゆっくり目を開けて谷本を見つめた玲奈は、恥ずかしそうにうつむいた。

「もう一度だけキスさせてくれ」

 目を閉じた玲奈を抱きしめた。長すぎるキスに玲奈は大きく揺れた。


 家に着くと、叔父は待ちきれないと言わんばかりにドタドタと走り来て出迎えた。

「さあ、上がれ。君の活躍は知ってるぞ、たいしたもんだ。見直したぞ!」

 座敷には豪華な刺身が用意されていた。

「あっちじゃ綺麗に盛られた刺身はないだろう、どんどん食べてくれ。イタリアにも刺身はあるか?」

「似ているのはカルパッチョですかね、薄切の魚や肉にオリーブオイルやチーズをかけて食べます。僕はオリーブオイルは苦手で酢をかけます」

「そうか、酢は体にいい。和食はコレステロールが少ないから遠慮しないでもっと食べてくれ」

 遠慮なしに次から次へと箸をのばす谷本に目を細めて、注いでやれと玲奈にビールを渡した。

「レナちゃんも少しは飲め。君がイタリアリーグに入ると聞いて、すぐにシッポ巻いて帰って来るだろうと思ったが、よく頑張ったなあ!」


 叔父は谷本のイタリアでの奮闘に大喜びして質問攻めした。

「ボールが回って来なくて悩んでいたら、仲間を蹴飛ばしてもボールをゲットしろと玲奈さんからアドバイスされました。それで仲間のボールを横取りしてポイントを稼いだことがあります。それからです、僕を仲間だとみんなが認めてくれたのは。玲奈さんは僕のスーパーコーチなんです」

「ほう、レナちゃんはそんなことをしてたのか。知らんかったなあ」

 ビールでほんのり頰が染まった玲奈を見つめる谷本に、叔父の独演会が始まった。アスリートの前に立派な社会人になれ、有名になると利用しようと近づく人間がいるなど、話は尽きることなく、谷本は覚悟を決めて酒を傾け、時々相づちを打って聴いていた。夜も更け、玲奈が退散しても叔父の人生訓は続いた。


「朝です、起きましょう」

 翌朝、客間でまだ眠っている谷本に声をかけた。

「うん? ああ、玲奈さんか。ここはどこだ? 君の部屋か?」

「覚えてませんか? 叔父の家です」

「ああそうだった。褒められたから嬉しくて飲みすぎたようだ」

「朝ごはんですよ、起きてください」

「起こしてくれるか、体が完全に眠っている」

 谷本は幼い子供のように両手を差し出して起こしてもらった。そしてキスしようとして、

「何を甘えてるんですか」、パコーンと谷本の両肩を叩いて玲奈は去った。それを廊下で見ていた大輔は、姉ちゃんはこの男を好きなのか? いつもの姉ちゃんなら平手打ちだぞ??

 昼近く、大学に行く玲奈と肩を並べて谷本は叔父の家を後にした。高田馬場で下車する玲奈に谷本も続き、階段の下で抱きしめた。

「僕のスーパーコーチさん、そして大好きな玲奈さん、僕を勇士と呼んでくれよ。元気でな。僕も頑張る」


 家では大輔が、

「父さん、姉ちゃんはイタリアに嫁に行くのか?」

「どうしてだ?」

「姉ちゃんは谷本さんを好きになったみたいだ」

「いいじゃないか、谷本君はイタリアだ。1年間は戻って来ないだろう、面倒なことはない」

 それもそうだと太輔は納得したが、キャプテンも姉ちゃんが好きだと思ったけど、諦めたのか?

 大輔は玲奈がこの家に来たときを思い浮かべた。1日中カーテンを閉じて部屋に閉じこもり、いつも泣いていた。母さんが部屋の前にご飯を届けた。そんな日が1カ月も続いたろうか。泣きはらした目の姉ちゃんは初めて朝ご飯に降りて来た。それから猛勉強を始めて大学に合格した。そのとき父さんは吠えるように大泣きして喜んだ。でも姉ちゃんは実家の札幌に一度も帰っていない。それも不思議だ……


 イタリアに戻った谷本はインスタで、

「東京でハプニングをたくさんプレゼントした僕に驚いたか? 初めてキスしたとき、怖がった君は震えていた。次はいつ会えるかと不安になった僕は、勝手に2度目のキスをした。本気のキスに君はもう震えてなかった。やっと僕に心を開いてくれたかと飛び上がりたいほど嬉しかったよ。それでスパイク最高到達点が3m55になった。3センチ UPして滞空時間も長くなった!

 来シーズンはバイト学生からプロになる僕を見て欲しい。約束する、頑張る!

 世話になった叔父さんに地元のヴェローナワインとツマミを送った。ヴェローナは世界的に有名なワイン産地なんだ。喜んでくれるといいなと思っている。

 最後にいちばん言いたいことを言う。君がいる東京は楽しかったよ。玲奈さん、Ti penso sempre(いつも君を想ってるよ)、お休み」

 スパイク最高到達点が3センチUPしたのセリフに、また勝手なことを言ってるわと玲奈はケラケラ笑った。

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