第6話 健斗はVリーグに
毎朝、玲奈は目覚めるとイタリアリーグの勝敗と谷本のインスタを確認した。イタリアで5カ月が経過し、谷本はレギュラーに定着したがスタメン落ちの日もあった。
ある蒸し暑い夕方、汗でベトベトになって戻った玲奈にイタリアからダンボールが届いた。送り主はyuzi tanimotoと書かれていた。何も聞いてないけど何だろう? 受け取っていいか見てから考えようと開けると、谷本の背番号入りのユニフォーム、ジャージ上下とフルジップのクラブパーカーが入っていた。濃いブルーの地色に斜めに白のラインが走ったデザインだ。手紙が添えられ、
「僕のユニフォームがホームStoreで販売されることになった。僕を支えてくれるメチャ可愛いコーチさんに着てもらおうと送った。サイズは想像で選んだがメンズの180だ。パジャマ代わりに使ってくれ(僕は君を包むパジャマになりたい!)。ペンダントはスポーツネックレスで、首や肩の血行を良くして、首コリ・肩コリを軽減するそうだ。僕はブラックで君はナチュラル・カラーだ。もらってくれるか?」
包みを開いた玲奈は驚いたが嬉しかった。
もらっていいのかしばらく考えたが、谷本の孤独がわかる気がした。想像すら出来ないシビアな集団とハイレベルな環境で、悩みながらも自分のテリトリーを築き始めた谷本さん。私にメールやケイタイするのは、くじけそうになる自分と闘かっているのかも知れない、だからいつもジョークでチャラけている。
「玲奈です、ありがとうございます! 私には贅沢なプレゼントですが、嬉しいです! 甥っ子に写メしてもらいました。サイズはピッタリです。似合ってますか?」
メールを送ったら、まもなくケイタイが鳴った。
「喜んでくれてホッとしたよ。返品くらいそうでビクビクしたが、正直言うと君の画像に見とれてしまった。もっと好きになったよ。ビンタの心配がないから何でも言えるのは楽しいが、ホントは寂しい。ユニフォームの君は火の鳥ジャパンの選手以上だ。
お願いがある。君もペンダントをして欲しい。君といつも一緒だと頑張れる気がするんだ。スーパーコーチさん、どうだろう、着けてくれるか?」
「はい、私はアスリートじゃないけど着けさせてもらいます」
「やった~ grazie! grazie!(ありがとう)」
1万キロ近く離れたイタリアで谷本は嬉しくて仕方がないように叫んだ。
夏休みに入っても部員の元気な声が体育館に響き渡った。玲奈は毎日ではないが体育館に通い、部員と汗を流した。
「レナちゃんは痩せたようです。腕なんか真っ黒に日焼けしちゃって、何やってんでしょうか?」
佐伯の言葉どおり、顎が細くなって痩せたようだ。夏バテか? 健斗がそう思って見ると、トス上げしていた玲奈がふわりと揺れて尻もちついた。今村が助け起こしたが、「目眩がしたみたい。もう大丈夫です」と笑ったが虚ろな表情だった。熱中症か? 今村が玲奈を抱きかかえて部室に戻り、エアコンをONにした。横抱きにされて運ばれる玲奈の胸に何か光るものが揺れていた。ネックレスか? 健斗が見ていた。
心配したコーチが駆け寄り、
「最近のレナちゃんは疲れているみたいだがどうしたんだ? 話してくれないか、僕らは仲間だ。何かあったか?」
「すみません心配かけて。叔父がギックリ腰になって雑草取りが出来ません。JAにバイトの人を頼んだけどなかなか見つからなくて、それで今日も4時から草取りしたけど追いつきません。毎日イタチごっこで疲れたのかなあ」
「そういうことか、ヘンな男に言い寄られて悩んでいるかと心配していた」
「コーチ、僕たちが守ってます、レナちゃんにそんなことはありません!」
今村が血相変えてコーチを睨みつけた。そのうち次々に、
「すみませーん、明日は用事が出来ました。練習を休ませてください」
「僕も急な用事で休みます」
コソコソ相談して、次々に休みの口実を並べる部員を眺めたコーチは、
「明日は休むな! 全員で草刈り練習に行く。集合は朝7時だ、遅れるな! ボランティアは手弁当が原則だ。米を炊いて握りメシ持参で出発する。移動用バスは押さえるから心配するな。レナちゃん、伯父さんには内緒だよ。僕らは勝手に押しかけるだけだ、気にするな」
「行こうぜ、イェーイ!!!」
前触れもなく押しかけた集団に叔父は驚いたが、顔をクシャクシャにして喜んだ。痛む腰を押さえながら、「おーい、そんなヘッピリ腰じゃ疲れるぞー」と大声で激励しながらうろついた。陽が沈む頃にはすっかり雑草が刈り取られた畑が蘇った。晩メシを辞退した帰りのバスは、各々メロンを抱えて大ハシャギだった。
「死ぬかと思ったほど暑かったけど、人助けって気分イイす!」
「なんで死ななかったんだぁ、オマエのメロンはオレのものだぁ!」
「オマエら、メロンもらって急に元気なるな!」
少々情けない若者だがいいヤツらだなと、バスが見えなくなるまで叔父は手を振り続けた。
一方、遠ざかる玲奈の家の灯りを見つめながら、健斗は底抜けに明るい叔父の笑顔を思い出した。あの人は関西で就職したと聞いたがフットボーラーだった。話を聞いてもらおうか……
このところ健斗はモヤモヤと悩んでいた。前マネージャーの田村はスポーツ用品のミズノに就職が決まり、今村は母校で教員になると聞いた。オレは一流選手ではないがバレーを続けたい気持が大きい。そして、こんなオレでもVリーグから誘いをもらった。親父に相談したが教職に就けと相手にされない。まだVリーグへ返答はしていないがタイムリミットに近い。
コーチに相談すると助手になって大学に残れとアドバイスされたが、コーチはかつて全日本の主力選手だった。無名のオレが大学に残ってもコーチになれないだろう。焦った、考えがまとまらず答えが出ない。
「如月です。覚えてくれてますか?」
「よく覚えているともキャプテンだ。どうした? レナちゃんなら戻ってないぞ」
「進路のことでご相談させてください」
「進路? ヤメロ、ヤメロ! 俺は人生相談に不向きな人間だ、他を捜せ、もっと頭がいいヤツを見つけろ」
「父は教員になれと言ってますが決心できません。ご迷惑でしょうが話を聞いてもらえませんか」
「待ってくれ。アンタは俺の息子じゃない、勝手気ままに喋るがそれでもいいか?」
「はい、けっこうです」
「しょうがないなあ、いつでも来い。話だけは聞いてやるが期待するな。いつ来るんだ?」
「今、玄関の前に立ってます」
「はははっ、アンタはウスノロだと思っていたが、目の前か。俺は逃げも隠れもせんぞ、上がれ」
叔父はどっかり座って健斗を待っていた。
「この前はありがとう、みんなに助けてもらってやっと痛みが取れたよ。さあ、座れ」
健斗はコンビニ袋から缶ビールのカートンとツマミを取り出した。
「おー、気がきくなあ、母さんは旅行でいない。アンタ、飲めるんだろ? 遠慮なくいただこう。それで話は何だ?」
叔父は一気に飲み干した。
「進路のことで話を聞いてください。まだバレーを続けたい気持とバレーは卒業して、確かな道へ進むべきかと迷っています」
「へっ? 性懲りなくまだバレーをやりたいってか!」
「続けたい、やりたい気持があります」
「ふーん、悪いがはっきり言うぞ。アンタ程度の選手はたくさんいるだろう、バレーで食って行けるか?」
「Vリーグのジェイテクトとグレートベアーズから誘われています」
「ほぉ、いい話じゃないか、昔で言えば実業団チームだな。企業はなかなか簡単には誘わんぞ。なぜ迷ってるんだ? 自分のバレーに自信がないか? そんならヤメロ! ヤメロ!」
「違います。Vリーグで頑張る自信はありますが、父は安定した仕事に就け、郷里に戻って高校の教員になれと譲りません」
「親父さんの気持もわかるが、教員になっても一生安泰なんてマレだぞ。ひとつだけ言わせてくれ。若いと言えるのは30迄だ。カタイ仕事を選んで30になって後悔するより、若いうちにやりたい道に突っ走る男もいる。無理だとわかったらリスタートすればいい、教師なんていつでもなれるさ。3月の初めに筑波のキャプテンがいきなり訪ねて来た」
健斗はピクッと体を揺らした。
「イタリアに行くんで時間がない。レナちゃんのケイタイを教えてくれとウルサイから、アンタは惚れたのかと訊いたんだ。そしたらあのバカはそうですときっぱり断言した。俺はホントに呆れたよ。今から思えば、あの無鉄砲さでイタリアリーグに行ったんだろう。人はな、いつ死ぬかわからん。やりたいことをやって死んだ方が幸せだ。おや、帰って来たようだ」
「ただいまー、あれっ、如月さん?」
「コイツは俺に就職の相談があるって来たんだ」
「決まったんですか? みんなが心配してますよ」
「まだ決めてないんだ。田舎に戻って教師になろうかどうしようかと」
「俺は詳しく知らんが、Vリーグから誘われたらしい」
「わーっスゴイです。この前、東レベアーズとパナソニックパンサーズを見に行ったんです。友だちのカレシが選手なんで関係者席で見せてもらいました。プロって想像以上にスゴイと見てました。そうだわ、ご飯作るから食べてくださいね」
玲奈は台所に消えて甥と姪を手伝わせ、旨そうな匂いが漂い始めた。
「はーい、お待たせしました」
たくさんの野菜を使った肉巻きが大皿に山のように盛られていた。
「ひん曲がって商品にならない野菜をこうやって食べるんだ。レナちゃんは料理が上手くなったなぁ、いつでも嫁に行けそうだ。もらってくれる男がいなかったら、アンタがもらってくれるか?」
叔父は面白がって健斗を冷やかした。
「レナちゃん、駅まで送ってやれ。帰りの夜道は危ない、大輔をオトモに連れて行け」
駅に続く道で大輔は、
「お兄さんは姉ちゃんのカレシか?」
「残念だがカレシじゃない。キミのお姉さんは全部員のマドンナで誘えないんだ」
「マドンナってキモイおばさんの歌手か?」
「キリスト教の聖母マリアのことだ。手が届かない憧れの女性という意味もある。つまり女神だ」
「けっ、姉ちゃんが女神! 宿題を間違えるといつも僕を蹴飛ばしてバカタレって頭を叩くんだ。あれが女神? みんなどうかしてるよ!」
大輔は不思議な顔をした。
寮に戻った健斗は、部室のPCでイタリアリーグの谷本を検索し、2日前のスポーツニュースにアクセスした。うっ! チーム最多の20得点か! ジャンプする瞬間の動画を静止して眺めたが、肩の三角筋や太ももの四頭筋、腕の筋肉が半年前とはまったく違った。仲間と抱き合う谷本の胸に玲奈と同じカタチのネックレスが揺れていた。玲奈と付き合っているのか? それはないだろう、ヤツはイタリアだ。よく見るとメンバーのほぼ全員が似たような物を首から下げていた。あれはスポーツネックレスだ。だがアスリートをやめた彼女がなぜだ? 不安が広がった。
玲奈は谷本のインスタで大活躍を知った。すぐコメントを入れると携帯が鳴った。
「見てくれたか、すごいだろう。褒めてくれるか?」
「はい、ベタホメします。体が最高にキレてます!」
「ベタホメは嬉しいがベタボレだったらもっと嬉しいよ」
「何を勝手なこと言ってるんです。でも、隣にいたらチュッしてあげますよ」
「本当か? 隣にいないから言ったんだろ? 僕と会ったらダッシュで逃げ出すのか?」
「いいえ、おデコをポコンと叩きます。毎日筋トレしてるのを褒めてあげます」
「わかるか?」
「しなやかな筋肉が作られたようです。固い筋肉はバレーでは邪魔です」
「君の言うとおりだ。叔父さんからブロッコリーを食べろと勧められて毎日食べている。ああ、時間だ。これから体のケアだ。te amo!(愛してる)」
こんなたわいない会話が玲奈は楽しかった。バレーと一途に向かい合う谷本に少しずつ魅かれていく心に気づいていなかった。
健斗は再び訪れて、玲奈の叔父にVリーグのジェイテクトに行きますと報告した。
「そうか、おめでとう!そのジェイテクトってどこにあるんだ?」
「愛知の刈谷市です。昔は豊田工機のバレー部でそんなに強くないですが、僕なんかが入れるチームではないです」
「それは1部リーグか?」
「父さん、姉ちゃんから聞いたんだ。このお兄さんが入るチームは10チームあるV1のひとつだ。その下に3チームのV2とV3があって、ジェイテクトは10チームの中で7か8位かな? 全日本選手がたくさんいるパナソニックや東レ、サントリーがすごい人気だ」
「大輔くん、そのとおりだよ。君は何かやってるのか?」
「うん、バスケだ。もっと背を伸ばせって、いつも姉ちゃんから頭を引っ張られている」
「君は下宿するのか、実家はどこだ?」
「岐阜です。岐阜に近い愛知なら安心できると母が父を説得したようです。父は3年頑張ってから考えろと許してくれました」
「良かったな、あとは君次第だ。母さん、何か旨いもの食わしてくれ」
健斗は元フットボーラーとその家族との出会いに感謝した。
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