第5話 遠く離れた会話

 谷本は幾度も手を振って暗闇に消えた。

「叔父さん、どうして谷本さんを家に上げたのですか?」

「レナちゃんが不思議がるのはもっともだ。大きな男がレナちゃんに会わせろって来たけど、追い返そうかと母さんが畑に来たんだ。ウチのアホ部員の抜け駆けか? からかってやろうと表に回ったら、敵のキャプテンがテコでも動かない顔で立っていた。

 何しに来たかと訊くと、自分は時間がない、レナちゃんのケイタイを教えてくれ、3日か4日後にイタリアへ行くと言った。この男は頭がおかしいかと思ったがそうでもなさそうだ。俺がわかるように順番に説明しろと言ったら、ゴチャゴチャ話し始めたんで面倒になって、そんな話はレナちゃんに言え! アンタはレナちゃんに惚れたのかと訊いたら、そうだときっぱり言った。はぁ? 呆れたよ、俺も若い頃はムチャしたがあのバカほどではなかった。それで同情して、レナちゃんに帰って来いと連絡したんだ」

 はぁ~ そうなんだ、そういうことか。

「ケイタイ教えたのか?」

「いいえ、谷本さんの携帯は聞いたけど、アクセスするかわからないと言ったの」

「そうか、あのバカはバカのままで突っ走っては行けないだろう。イタリアリーグなんて世界最高レベルのプロ集団だ。スタメンどころか相手にされずに戻って来るさ。そんときだな、アイツの真価がわかるのは。今日は驚かせたな。俺はつい昔の若いときのマボロシを見たよ、青春の陽炎ってやつだ。ところでウチのキャプテンは元気か?」

「ええ、ものすごく頑張ってますよ」

 そうか…… 玲奈に惚れているくせにだらしねえヤツだ。敵将に取られたって俺は知らねぇぞ。叔父はブツブツ何か言っていた。


 今日だわ、谷本さんが出発するのは……

「玲奈です。行ってらっしゃーい! 応援しまーす!」とショートメールすると、すぐ「ありがとう! 行って来るー!」と返って来た。

 1週間ほど経って谷本からケイタイが入った。

「こんな時間に電話して悪いな、そっちは深夜か? 君はもうベッドか? こっちは東京より8時間遅れているから夕方だ。やっと少し落ち着いた。住まいは昔の建物だがbedroomが2つある。ここに君がいたら、おはようのキスしてキレイな朝焼けを見せたいなあ。こんなことを言えるのは離れていて殴られる心配がないからだ」

「あの~ そんな勝手な想像よりバレー環境はどうなんですか? 何か困ってませんか?」

「うーん、とにかくみんな背が高い、2mクラスが10人以上いるがフォーメーションは甘い。得点を叩き出して目立つしか生きる道がないから、力で押し切るバレーになっている」

「だったら谷本さんは拾いまくって、相手が嫌がるフェイントで得点するしかないでしょう」

「さすがだ! 僕もそう考えている。それで見てもらいたくて、君だけのインスタをアップした。パスワードはreina0419だ。たまには“いいね”のプレゼントが欲しい」

 イタリアで谷本は朗らかに笑った。

 玲奈はすぐインスタにアクセスした。中世がそのまま残されているようなヴェローナの街並やコーヒーテラス、チームの練習風景、ゲームの様子などがインスタにアップされたが、なかなかスタメンでは使ってもらえなかった。インスタの谷本は少し痩せたように感じた。


 大学では春季リーグが始まったが、予想どおり谷本が抜けた筑波は精彩を欠き、格下チームに敗北を重ねた。玲奈は新1年生のフィジカルやメンタル・サポートに気を配りながら、練習をアシストする毎日を送った。チームを背負う健斗は玲奈への淡い想いを封印して黙々と筋トレに励み、スパイクフォーム改革に取り組んでいた。コーチはインカレ優勝に向けて、成長著しい2年、3年生の指導に専念した。


 谷本のインスタを見る度に玲奈は不安を感じた。時々スタメンだがボールが渡らない。どうして? 横取りすればいいのに…… 谷本さんは悩んでいる、そう思った玲奈はコメントを入れた。

「もしかして嫌われてませんか? ボールが来ないもの。あの場面で谷本さんにボールが渡ったら絶対に得点ゲットなのに納得できません」

 すぐケイタイが鳴った。

「君の言うとおりだ。嫌われてはいないと思うが僕は生活の心配がないアマチュアで、彼らはコートで生活費を稼ぐプロだ。僕は学生アルバイターと思われている」

「ちょっと待って、それはおかしいです。プロやアマなんて関係ありません。どうしたらチームが勝てるか、それだけでしょ。でも、ボールが回って来ないと何も出来ないですよね」

「そのとおりだ。君だったらどうする?」

「私だったら、僕はアルバイトだから君たちに遠慮するよ、ボールに触らないよと見せかけて、ボールが飛んで来たら仲間を蹴飛ばして1人フェイクするかも知れません。だって、悔しいじゃないですか! 遠慮なんてしません!」

「はははっ、おもしろい! そうだ、そんな手もあるか。よし、やってみよう! 出番がなければ自分で作るんだね、よくわかったよ。最高のスーパーコーチさん、ありがとう! もっともっと君が好きになったよ。今夜はぐっすり眠れそうだ。Buona notte(お休み)」

 谷本さんはずっと悩んで眠れなかったんだ……


 2週間ほど経った昼どき、1年生部員に囲まれてランチを食べていた玲奈は、テレビに釘付けになった。

「バレーボールのイタリアリーグに参加した筑波大学4年生の谷本勇士選手が、1人フェイクで場内を沸かせました。谷本選手はこのゲームでチーム最多の17得点をあげました」

 谷本がネットに背を向けて、ヒョイとボールを相手コートの片隅に放り込んだ動画が紹介された。思わず大きな拍手をしてタブレットを開き、どこかに送信する玲奈に健斗が気づいた。まさか、谷本と?

「この時間はお休みでしょうが、昼のニュースで谷本さんの1人フェイクを見ました。17得点のご活躍おめでとうございまーす!」と、コンタクトした。

 薄闇に包まれて帰宅を急ぐ玲奈に谷本からケイタイが入った。

「僕だ、谷本だ。日本のテレビに出たんだって? 親父から電話もらって面食らったよ。あれはゲームが始まってすぐ、君のアドバイスどおりにやったんだ。よろけた振りしてボールを掴んだ。2ゲームからは僕にもボールが来るようになった。仲間は僕をpazzo Giappone(イカれた日本人)と笑った。明日も張り切るから見てくれるか。こっちの新聞にも載ったんだ。偉大なスーパーコーチさん、ti amo(愛してる)、ありがとう!」


 家に着くと叔父は晩酌していた。

「おーっ、お帰り。敵将のバカ男がやったようだな、母さんがテレビで見たそうだ。仲間に入れてもらえずに捨身の突破をやったな。いきなりあんな若造が入っても俺だって仲間にしない、オマエに何がわかるかって気持だな。だが、あのバカは腐らずに元気でやっていて何よりだ。見た目より図太い大バカだな」

 叔父は上機嫌だった。


 寝ようとした玲奈に着信音が響いた。

「遅い時間で悪いな、如月だ。明日17時から最後の練習があって、監督やOBも来るそうだ。明後日は軽く流す予定だ。出られるか?」

「はい。マネージャーですもの、行きます」

「1年の山田の連絡ミスだろう、悪く思うな」

「私の見落としかも知れません。山田くんを責めないでください」

「そうだな。親元を離れて寂しいこともあるだろう、まだ子供だ。それで君は……」

「はぁ、何ですか?」

「いや、何でもない」

 健斗は、谷本と付き合っているのかと訊きたかったが口をつぐんだ。


 翌日、体育館で最後の紅白戦が行われた。チームの仕上がりは順調だ、ボールによく反応している、コンディションも心配ない。ひとつだけ不安をあげれば、玲奈はキャプテンの肩と右腕に違和感を感じた。腕が伸びきってない、オーバートレーニングかも知れない。紅白戦が終って監督やOBが退出したのを確認後、

「キャプテン、ここに寝てください」

 玲奈はトレーナーを脱いで床に敷いた。

「また赤いテープを貼るのか?」

「いいえ、あれは卒業しました。とにかく背中を上にして寝てください。ひょっとして肩と右腕が疲れてませんか? 故障しないようにケアさせてください」

 健斗を寝かせて玲奈は健斗の腰に乗った。へっ!! 何するんだ?? 健斗の不安を無視して、両掌で僧帽筋と広背筋を輪を描くように揉みほぐした。次は腰の中央に両親指を置いてリズミカルに押した。健斗は腰の中心から全身に弛緩が広がるような気がしたが、それ以上に玲奈のプリプリした臀部の感触と内股からじんわり伝わる体温に、マジにアレが覚醒しそうで慌てた。

「キャプテン、羨ましいです、ケアですか?」と部員が集まった。

 ほんのりいい気分に浸った後、次は仰向けになってくださいと、指示された健斗は儚い妄想を閉じた。三角筋から上腕二頭筋と三頭筋をマッサージし、腕を掴んでストレッチを続けた。ぼーっと体を預けているオレに、

「二頭筋が疲れると掌が上に向かなくなるのよ。少しは楽になりましたか?」

「体が温かくなったよ、ありがとう」

「血流が良くなって温かく感じるんです。真夏でも腰は冷やしちゃだめですよ。ウェストウォーマー、まあ腹巻なんですが海外のアスリートは必ず使ってますよ」


 健斗は昔を思い出した。昔といっても僅か2年前だ。

 水泳部の女子から声を掛けられ、練習後にカラオケや居酒屋に誘い、やがて抱き合う仲になった。その子はオレに乗るのが好きだった。初めてだったオレは女の体に溺れた。寮で同室の田村は練習をさぼりたがるオレに、「お前はこの頃おかしいぞ、疲れている。女か?」と怪しんだ。そのうちオレは不安になった。どうも大事なアレがおかしい。パンツに大きな目ヤニのようなものがついている。小便すると痛い! まさか性病か? いや、考え過ぎだと思いたかったが、サーブした瞬間にグチャっと何かがアレから漏れた。

 あのときだ…… 1週間前かそこら、獣のように貪りあってスキンが破れたことがあった。翌日も抱いて暴れまくった。

 病気だと観念して密かに病院で検査を受けたが、やはり結果は淋病だった。

「キミから病気をもらった、淋病だ。キミは何ともないのか? 病院に行って早く治したほうがいい」

「何のこと? 私が淋病だって? バカにしないでよ! 他の男はそんなこと言わないわ」

 “他の男”のセリフにむかついてケイタイを切った。その子の妊娠を心配したが、オレはセックスフレンドの1人か…… しばらくして「普通の男はつまらないの、健斗のパワーが忘れられないわ」と誘われたが、無視を続けてそのうち受信拒否にした。学内で出会うとその子はキショイ笑いをするが、オレのアレはびくともしなかった。


 翌日、軽く流した練習後にもう一度やりましょうと、玲奈から腕を引っ張られて床に転がった。

「まだ疲れが少し残っているようです。わかってますか、キャプテンの本番はインカレです。明日のゲームは70%でやってくれませんか」

「70%で勝てるか?」

「大丈夫です、今村さんと杉田さんに任せましょう。すごくコンディションがいいんです。中大の大川選手を徹底マークすれば勝てると主務さんが教えてくれました。あの先生の予想と理論はすごいです!」

 へーっ、あのウスゲが? 健斗は半信半疑だった。

 春季トーナメント最終戦は無敗同士が激突したが、相手ブロック陣の隙間を狙った今村のスパイクが面白いように決まり、健斗の出る幕がないままにストレートで圧勝した。


 その深夜、谷本からケイタイが飛んで来た。

「webニュースで知ったが春季優勝おめでとう! どうしたんだ、如月キャプテンは故障か? ボールが回らなかったが」

「いいえ、全身が疲れているみたいで休ませたいので隠しました。でもキャプテンって大変なんですね、勝たなきゃいけない重圧がのしかかって心身が消耗するのがよくわかりました」

「僕もそうだった。部員に不安な顔は見せないが、いつも見えない敵と戦っていた。それがプレッシャーかも知れない。しかし大学リーグのキャプテンよりプロリーグのメンバーの方がさらに厳しい。君のアドバイスで少しは出番が増えた。期待に応えてもっと活躍チャンスを掴みたい」

「ちょっとだけいいですか。ジャンプの足に少しズレを感じたけど、何かありました?」

「バレたか! 軽いネンザだ。無意識に庇っていたかな、なぜわかった?」

「だって左足が15度かな、ノーマルより外にズレてます。バレバレですよ、早く治してください」

「まいったなあ、チームドクターより正しい診断だ。スゴイよ!」

「最近は目を瞑っても谷本さんのスパイクフォームが見えます、ボールの方向も。それでちょっと違うなって、それだけです」

「へっ、方向がわかるのか、ヤバイなあ」

「クセがわかったんです、気にしないでください。それから、お仲間のクセを解析中です」

「クセとは何だ?」

「No.20の選手は、家族が観戦するとやたら張り切って、ボールを横取りして暴れます。No.19の人は気分屋で落差が激しいです」

「へえーっ、君の目には選手が裸に見えるんだな。愉快だ! 僕にも教えてくれるか、大切なコーチさん」

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