第4話 イタリアリーグへ

 秋季リーグが始まり、玲奈は時間を作って体育館に顔を見せた。コーチと並んでトス上げする玲奈の前に部員がずらりと並び、黙々と基礎練習や筋力アップに励んだ。ある日、筑波の谷本がふらりと体育館に訪れた。しばらく練習を眺めていたが斎藤コーチに何やら話しかけ、驚く部員を無視してスウェット姿で加わり、玲奈が次々上げるボールを軽く打ち散らした。

「次は試合形式だ。さあ、別れて」

 コーチの声で部員は2つに分かれた。谷本は相手コートの健斗に見せつけるようにサービスエースを決め、連続スパイクを放った。挑発された健斗は負けるものかと懸命にブロックし、ノータッチエースを決めた。その光景を瞬きもせず玲奈は見つめ続けた。3ゲームが終わり、コートチェンジと同時に谷本は戦列から離れて玲奈に近づき、

「今日は楽しかったよ。君が知りたかったブロードやファースト・テンポのバックアタックは連携プレーだ、信頼のタイミングだよ。この次は必ずデートに誘うから神崎玲奈さん、また会おう」

 にっこり笑って部員に頭を下げて体育館を後にした。


「コーチ、ヤツは何と言ったんですか!」

「自分も参加したいと言ったから、どうぞと応えただけだ」

「レナちゃん、何と言われたんだ!」

 ぼんやり考え込んでいる玲奈に部員が詰め寄った。

「えーっと、ブロードとバックアタックは連携プレーだと言って、次に会ったらデートに誘うって」

「けっ! なんてヤツだ、レナちゃんに会いたくて押しかけたのか! とんでもない野郎だ。また来たら叩き出そうぜ!」

「そうじゃなくて何か違うと思うの。わからないけどウチのチームを見に来たのかなあ」


 秋季リーグは定位置の5位を脱却して3位に上がった。少しづつ体力と筋力がアップしたかも知れない。次の目標はインカレだ。レナちゃんが練習に参加するといいところを見せようと、部員はギブアップせずに頑張る。俺の注意は聞き流すが、レナちゃんから何か言われると真剣に頷いている。憧れの女子マネが来るとこうも違うのか…… コーチは苦笑いした。

 秋季リーグは筑波がダントツのトップだった。何気なく筑波のメンバー表を眺めて気づいた。スター選手の谷本君は3年だが、スタメンの大半は4年生だ。ウチの4年生にスタメンは少ない。如月と今村が3年生で、あとは伸び盛りの2年と未知数の1年生だ。あいつらがその気になればチャンスはある! そうか、谷本君はウチを偵察に来たのか、不安なのかとわかった。


 玲奈は授業の合間に記念会堂の部室に顔を出しては、海外の動画を披露した。ヨーロッパのプロリーグのトレーニングルームやプロ選手のフィジカルとメンタルに関するサポートを紹介した。プロ選手は活躍できなければ来季のオファーはなくて失業する、日本のように企業に所属するチームとはまるっきり違う。厳しい環境でプレーする男たちに部員は魅入られた。

「それからね、主務さんが偵察に行って教えてくれたの。筑波の4年生は大企業に就職が決まって、まったく練習してないって。彼らはラストゲームだけど意欲が感じられないって。だから大チャンスよ! 谷本さんだけじゃフォーメーションは無理ね、わかってくれた?」

「へぇー、あのウスゲが偵察? 信じられない。あいつ、ヘンなカツラを乗っけて、レナちゃんに気があるんじゃないか?」


 次の練習日、斎藤コーチは3歳くらいの女児を連れてきた。

「カミさんがお産で実家に帰ったんだ。オフクロにチビの世話を頼んだが腰痛になった。それで連れて来たが気にしないで練習してくれ」

 斎藤の後ろに小さな女の子が隠れていた。

「コーチ、お嬢さんの名前は?」

「純子だ。人見知りする子なんだ」

「純ちゃん、私と公園で遊ぼうね、パパはお仕事なんだよ」

 玲奈は純子を抱き上げて体育館から出て行った。

 1時間後、

「パパー 楽しかったぁ、お姉ちゃんといっぱい遊んでアイスも食べたよ。お姉ちゃん、遊ぼうよ」

 玲奈と純子は体育館の隅でボールを転がして遊んでいたが、そのうち疲れたのか、玲奈に抱かれて眠ってしまった。あーっ、僕は純ちゃんになりたい! 部員の大声に純子はビクともしないで眠っていた。


 翌日もコーチは娘を連れて来た。

「いやあ、本当に申し訳ないが行きたいと泣き騒いでどうしようもなかった。子連れですまない、勘弁してくれ」

 コーチは小さくなって部員に謝ったが、純子は玲奈を見つけると走り寄って抱きついて甘えた。

「お姉ちゃん、遊んでくれる?」

「うん、いっぱい遊ぼうね。その前にお姉ちゃんのお手伝いしてくれるかな?」

 玲奈は赤いビニールテープを取り出して、

「キャプテン、シャツを脱いで床に寝てください」

 へっ、何を始めるんだ? 脱げって? 逆セクハラか? わからないまま上半身裸になって床に転がった健斗に、

「そんなに緊張しないでください。腹ばいになってリラックスしてね、そんな感じだわ」

 観念して背中を見せて寝そべった健斗の背骨に沿って、玲奈はビニールテープを貼った。

「純ちゃんも手伝ってね。お兄ちゃんたちの背中にテープを貼ってくれるかな、真っ直ぐ貼るんだよ」

 面白がった純子の協力で全員の背中に赤のテープが貼られた。テープ姿の部員を前にした玲奈は、

「サーブを見せてくれますか。サーブはバレーでは唯一の個人プレーよ。これを決めると気持いいでしょ。トスや助走やジャンプのタイミングはそれぞれ違うけど、自分のベストフォームを知るのは大事だわ。そのときの動きと体幹変動が赤のテープでよく見えます。パワーがボールに伝わる瞬間を知ってサーブして欲しいの。ハーイ、行きましょう」

「ナイスサーブ!」、玲奈が叫ぶと純子はわけがわからずに拍手した。


 それからは玲奈が参加しない練習でも部員は背中に赤いテープを貼って、サーブやスパイクを繰り返して自分のフォームを確認した。それを主務の塚本がビデオに収め、その動画を見てはフォームの修正とコンビネーションをチェックした。

「わかったか、自分が最も強くミート出来るポイントで打つんだ!」

 バレーなんか知らないウスゲがなぜ本気になったんだ? 誰もが不思議がった。

 玲奈はサーブを打てるようになり、高いジャンプで落とし込むサーブは部員のため息を誘った。あれでも女か? 


 12月に入り全日本インカレが開催された。同レベルの大学に取りこぼさずに勝ち抜き、いよいよ全勝の筑波戦になった。ベンチで観戦していた玲奈は、谷本のスーパープレーに目を見張ったが、筑波のフォーメーションはタイミングが合わずに失敗するケースがあった。孤高のヒーローが放つバックアタックが炸裂したが、リベロは懸命に耐えて繋ぎ、全員が忍耐のプレーで失点を防いでフルセットのマッチポイントを迎えた。勝敗を決したのは谷本の入魂のスパイクだった。勝利インタビューに谷本は嬉しい顔をせずに、敵陣営ベンチの玲奈に向かって手を振った。

 試合後のロッカールームで谷本は健斗にささやいた。

「君たちが羨ましいよ、僕はあのスーパーマネージャーが欲しかった。彼女を手に入れた君たちは強くなったな」


 全日本インカレ準優勝を祝う集まりに、監督や0B陣と財政面を支えてくれた企業人がずらりと揃った。乾杯の用意が整って全員が乾杯の音頭を待ったとき、玲奈が突然立ち上がって、

「私は新人マネージャーで神崎と申します。大変失礼ですが乾杯する場合ではないと思います。1年後の全日本インカレで優勝したときに乾杯したいと思います」

「そうだ! 優勝してからだ。僕は神崎さんに賛成する!」

 ウスゲが拍手した。場を引き取った山岡は笑顔で、

「そうだな、今日は食事会にしよう。2位で喜ぶのは恥ずかしいことだ。わずか4カ月でこのチームをまとめてくれた神崎さんに敬意を表する、神崎さんにエアー乾杯しよう」

 部員は両手を挙げて、カンパーイと叫んだ。


 年が明け、後期試験中だが体育館は熱気に包まれていた。赤テープを卒業した部員は3メンコンビネーションやブロック&ディグに夢中で取り組んだ。背番号はないが玲奈はKANZAKIのネーム入りトレーナー姿で、オープントスや平行トスを上げて1年や2年生をフォローした。

「いいよ、そのままー」、体育館で練習を見守る玲奈のケイタイが鳴った。

「俺だ、すぐ帰れるか、客人が首を長くして待っている」、叔父からの連絡だった。

「客人って誰でしょうか?」

「今は言えない! 会うと驚くぞ」

 叔父は愉快そうに笑った。


 家に戻ると叔父がこっちだと声を掛けた。声がする部屋を覗くと谷本が正座して待っていた。はあ? 敵のキャプテンの谷本さんが?

「谷本さんですか? どうして?」

「レナちゃん、この男が話があると突然来た。近々外国に行くと言われて追い返せなかった。話だけでいいから聞いてやれ。俺は仕事に戻るぞ。まったくいい天気だなあ、若いもんが家の中でウジウジしてないで八国山でも行って来い!」


 八国山に続く畑の中の農道を辿りながら、

「谷本さんは何かお話があって来たんでしょう? 何でしょうか?」

「突然会いに来て悪いと思っている。しかしここはいいところだなあ、東京の田舎のようだ。後先考えずに来てしまってホントにごめん、このとおり謝る。連絡先は君のチームの監督さんから教えてもらった。聞いて欲しい。僕は大学に在籍したまま4日後にイタリアのプロリーグに出発する。それで君にお願いがある。何もしないから目の前に立ってくれないか」

 驚いて立ち止まった玲奈を真正面から見つめた谷本は、

「メールとケイタイを許可して欲しい。それから時々は返事をくれないか。お願いはこれだけだ」

「谷本さんのお願いはさっぱりわかりませんが、イタリアのどのチームですか?」

「Rana Verona(ヴェローナ)だ。ミラノとベネッアの中間にあるヴェローナが本拠地だ。古代ローマの円形競技場が残っているそうだ。シェークスピアのロミジュリの地らしい」

「なぜ友だちでもない私にそんなお願いをするのです? イヤだと言ったら?」

「僕は引き下がらない。スーパーマネージャーの君と普通の女子大生の君と付き合いたいと思った」

「あなたの話はまったくおかしいです、いきなり付き合いたいと言われてもあなたの何も知りません。まず、自分のケイタイを言ってください」

 谷本は教師に指名された小学生のように自分のケイタイ番号を大声で復唱した。


「でもアクセスするかは私の勝手です」

「そうだな、いきなり言い出した僕がおかしい、でも待っているよ。ところでここは何だ? 東京と埼玉の境のようだが山というほどの高さはない」

「八国山は、かつて上野・下野・常陸・安房・相模・駿河・信濃・甲斐の八国が見渡せたそうです。高さは90mしかないけど、狭山丘稜の東端なのでもともと小高い場所なんです。小手指の戦いで勝利した新田義貞がここに布陣して指揮をとったので、その跡地は将軍塚と呼ばれてます。近くに古戦場跡や勢揃い橋なんて地名も残ってます」

 谷本が突然笑い出した。

「君に会いたくて決死の覚悟で押しかけて、社会科の授業を聞くとは思わなかったよ。でもここは武蔵野だとよくわかった。戻ろう、君がさらわれたかと叔父さんが心配している。僕は一歩前進した気持でイタリアに行ける、ありがとう、玲奈さん」


 家に戻ると玄関先に出迎えた叔父が谷本に、

「話は聞いてもらえたか、アンタが殴られるかと心配したよ。上がって晩めしでも食って行け。しばらく日本の旨い飯は食べれんぞ」

 叔父は遠慮する谷本を無理やり上がらせ、普通の家庭料理を山ほど振る舞った。

「レナちゃん、飯をよそってやれ。武者修行にイタリアまで行くとは敵ながらアッパレな男だ。遠慮はいらんぞ、どんどん食え」

 初めは少し遠慮がちだった谷本は旨そうに食べ出した。その豪快な食べっぷりに、

「あっちへ行ったら自炊か?」

「基本は自炊です」

「食う野菜に迷ったらブロッコリーをチンして食べろ。茹でると栄養が飛ぶぞ。筋肉を育てるタンパク質やカリウム、ビタミンがどっさりだ。イタリアはブロッコリーの本場だ。農家のオヤジは嘘は言わんぞ」            

 谷本は幾度も礼を述べて、「神崎さーん、待ってるよ」と叫んで帰って行った。

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