第30話 ダイナミック

   ◆◆◆



「あっ、見て見てっ、お母さん! ツグミンがテレビに映ってる!」



 朝の神楽井家のリビングに、まだ寝間着から着替えていない鈴香の声が響く。

 さっきまで寝惚けていた思考が一気に醒める。推しを目の前にして、脳みそが歓喜の拍手を鳴らしていた。

 どうやら、渋谷のスクランブル交差点に、魔法少女・ツグミの電子広告が掲載されているらしい。

 現場から生中継で流れているみたいで、局にいるアナウンサーのお姉さんも大興奮みたいだ。



「いいなぁ〜。スズも見に行きたいな〜」

「ふふ。本当、鈴香はツグミって子が大好きね」

「大好きじゃないんだよ、推しなんだよっ」

「同じじゃない。それより、宿題はやったの?」



 洗濯物を乾す母の蜜香みつかは、呆れ顔を見せる。

 蜜香のお小言を、鈴香は顔を逸らして無視する。

 わかっていない。母は何もわかっていない。この感情は大好きではなく、自分の手じゃなくてもいいから幸せになってほしいという想い……つまり、推しなのだ(兄・継武談)。

 リビングでコーヒーを飲んでいる父のたけしは、柔和な笑みを見せる。



「夢中になれるものがある。素晴らしいことじゃないか」

「もう……あなた、甘やかしすぎです」

「はっはっは」



 もう、父と母の言葉は聞こえない。テレビでやっている、『謎の魔法少女・ツグミ』の特集を観ているからだ。

 魔法少女・ミケにゃんや、魔法少女・ゆ〜ゆ〜の配信に僅かに映っている彼女が、テレビで流れている。

 何度も、何度もリピートした。今、SNSの公式アカウントに上がっているツグミの写真も、全部保存している。

 どうしてこんなにも、彼女に魅入られているのかわからない。

 でも、それほど彼女のことが頭から離れないのだ。

 テレビに釘付けになっていると、武がマグカップを置いて鈴香に視線を向けた。



「ふむ。なら、今日渋谷に連れていこうか?」

「ほんと!?」



 今日初めて父を見た。

 いつもの優しい笑顔だが、若干の呆れが見える。



「その代わり、ちゃんと宿題をするんだよ」

「うん! ありがとう、お父さ──」






 ──ドッッッッツゴジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!






「キャアッ!?」

「ッ!?」

「あなた、鈴香を!」



 耳をつんざく轟音と、地震を遥かに凌ぐ揺れ。

 武は蜜香に言われ、鈴香を自身の元に引き寄せると、抱き締めるようにして庇う。

 時間にして何秒だろうか。それとも何分? いつの間にか揺れは収まっていたが、身体中に変な悪寒が走っていた。



「なっ、なっ、なに……?」

「あなた、鈴香、逃げるわよッ!」



 蜜香が棚から防災カバンを取り出して武に押し付けると、鈴香の手を取って玄関に向かう。

 何が何だかわからない。なぜ母はこんなにも慌てているのか。



「お、お母さんっ。どうしたの……!?」



 不安そうにしている鈴香を、蜜香がしゃがんで抱き締める。

 安心させるように頭を撫で、しかし真剣な目で、鈴香の目を見つめた。



「鈴香、落ち着いて聞いてね。今の音は魔物が現れた音。多分、位置的に近い。急いで逃げないといけないの。わかる?」

「ま、魔物……!?」



 当然、魔物の存在は知っている。数々のMTuberを追っているのだ。戦っているところも見たことがある。

 でもまさか、自分たちが住んでいる場所に現れるだなんて思ってもみなかった。



「お、お家、なくなっちゃう……?」

「わからないわ。でも助かるために、少しでも早く逃げないといけないの」



 生まれてからずっと育ってきた我が家が、無くなってしまうかもしれない。

 でもそれ以上に、兄がいないうちに家が無くなってしまったら……兄は、どんな顔をするのだろうか。

 大好きな兄の姿が脳裏を過ぎるが、時間がない。

 靴を履いて急いで外に出ると、近所の人たちも慌てて同じ方向に逃げていた。

 反対側に目を向けると、空に巨大な大穴が開いている。その真下には、地球のものとは思えない三つの顔と六本の腕を持つ巨大な化け物がいた。



「アシュラ・エンペラー……!?」



 蜜香が驚いた顔を浮かべるが、すぐに鈴香の手を取って走り出す。



「「「■■■……■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッ!!!!」」」



 突如化け物が雄たけびを上げると、三方向を向いていた口が紫に光り出す。

 そして――光線となって、住宅地を薙ぎ払った。

 鈴香を蜜香が。そしてその上から武が覆いかぶさり、暴風と熱波から愛娘を守る。

 時間にして数秒か、数分か。

 地響きが収まって周囲を見ると、見慣れた住宅街が瓦礫の山と化していた。



「……うそ……」



 さっきまでの平和な日常は、どこにもない。文字通り、地獄だった。



「あなたっ、あなた!」



 蜜香の声で、鈴香はハッとする。

 自分たちを庇って倒れている父の頭から、血が流れていた。



「だ、大丈夫。ちょっと岩が当たっただけだから。それより、急いで逃げないと。ッ……!」



 立ち上がろうとした武が、頭を抑えてしゃがみ込む。

 自分を愛してくれている父の傷付いた姿に、鈴香は呆然と化け物を見上げる。

 周囲を破壊した化け物は、ゆっくりと動き出し……鈴香と、目が合った。



「「「キヒャッ……キヒャヒャヒャヒャッ!!」」」



 精神を逆撫でする嘲笑に、鈴香は逃げる気力さえ折られた。

 今までは画面の向こうの話だと……安全圏にいる自分だけは絶対に無事だと、どこかで安心しきっていた。

 でも違う。画面の向こうであろうが、あれは現実に起きていたことで……それが今、自分の身に降り注いでいる。

 こっちを見下すような笑みを浮かべ、化け物が歩いてくる。

 逃げたい。泣きたい。諦めたい。もうダメ。何もかもおしまい。

 いろんな思いが胸をよぎるが、一番最後に浮かんだ思い。それは……。



(ムカつくッ……!!)



 怒り、だった。

 鈴香は近くに転がっていた石を掴むと、遠くにいる化け物に向かって投げつける。

 当たり前だが、届かない。でも、何もせずにいられなかった。



「私の育って来た町を壊して……大好きなお父さんを傷つけて……! アンタなんか嫌い! 大っ嫌い!!」

「ダメっ、鈴香!」

「嫌い嫌い嫌い! ふざけんな馬鹿! ばーかばーーーーかぁ!!」



 悪態が止まらない。涙も止まらない。

 慌てて蜜香が鈴香を抱き締める。

 が、時すでに遅し。化け物はもう一度口を大きく開け、紫色の光を凝縮させる。

 次の瞬間に訪れる、確かな死。

 思考ではなく本能で理解した鈴香だが、化け物を睨み続ける。

 そして紫色の光が瞬き……。






「ダイナミックお邪魔します!!」

「「「ッッッ!?!?!?」」」






 突然、空から落ちてきた謎の人影の突撃により、化け物の体が大きく傾いた。



「……ぇ……?」



 見上げんばかりの巨体だった化け物が倒れた。

 体当たり(?)をした人影は、化け物を足蹴にして鈴香たちの前に降り立つ。


 ――女神だった。


 この世の美を凝縮した美貌に、すべての人に愛されるだろう可愛さ。

 汚れるのを厭わず跪いた拍子に夜闇を思わせる美しい黒髪が揺れ、宝石のような瞳が鈴香を見つめる。

 魔法少女・ツグミ。

 今世界を席巻している……自分の最推しだった。

 最推しツグミが聖母のような微笑みで、鈴香の頭を優しく撫でる。



「よくお父さんとお母さんを守ったな、偉いぞ」

「ぇ……ぁ……」



 言葉が出てこない。彼女が助けに来てくれたという安心感と、推しを前に舞い上がってしまっているという気持ちがあるが……それだけではない。

 なぜかツグミと……大好きな兄継武が、重なって見えたから――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る