第21話 

ナイトに弱体とかマジでぶっころしょ……

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「飲まれてますねぇ、御館様」


 静かに差し出された声に、<ジェイムズ>は低くわらった。

 ここは<ミモザ>伯爵家の執務室。つい昼頃に、<ヴィーシュ>とジェイムズが、悪魔の契約めいた密約を交わしたその場所である。

 今は夜が暮れ、蝋燭ろうそくの明かりだけを頼りに、ジェイムズはウィスキーのボトルを空けていた。

 

「ああ、<ドウェイン>ドゥーネか。何、飲まずにはいられなくてな」


 ジェイムズは手元の杯を揺らし、琥珀色の液体が静かに波打つ。

 見た目は凡庸ぼんように見えるが、名うての剣士であるドウェインが音もなく執務室へと侵入してきたことに、ジェイムズは気付いていた。

 その腰には変わらず、数打ちの剣をいている。ドウェインも、どうやら内部に巣食う間者の存在を知っているらしい。こうして、ジェイムズが酔い潰れないように、介抱にやってきたようだった。


皇国ヴィラス……本国のいぬが、チラついてますなぁ」


 ドウェインの言葉に、ジェイムズはわずかに顔をしかめた。

 しばらく聞きたくない単語を耳にしたのだ。嫌な気持ちにもなる。


「ああ……そうだな。人間ヒトてのひらもてあそぶ手口、まさしく本国のくそったれ共だ」


 苦々しげに言葉を吐き出し、ジェイムズ様は目を伏せた。その瞳には深い疲労がにじんでいる。

 事件解決から一週間が経ったとは言え、背後関係の精査やヴィーシュの扱いの検討や教育の手配など、ジェイムズは休むことなく精力的に働いていた。

 ヴィーシュに後遺症がなければ、交渉も万事うまくいった。ジェイムズは張り詰めた気をすこしでも紛らわせる為に、こうして酒をあおっていた。


「そんな、くそったれ共の手口と同じことを、俺は無垢な子どもにやった。揺さぶり、戸惑わせ、思考を蹂躙じゅうりんし、逃げ場を喪った所で手を差し伸べる……くそったれの所業さ」


 酒臭い息を吐き出す。言葉には、自らを責める感情がありありと宿っていた。


「俺はな、なんの変哲もない、ちょっとした幸せが欲しかった」


 ジェイムズ様は目を閉じ、過去の記憶を掘り起こすように語り出す。


家内ミモザに目をつけられたのも、最初は鬱陶うっとうしかったさ。俺は出来損ないだ、にも関わらず、俺を好くなんざもの好きで奇特な奴だなと、内心嫌悪してたさ」

「兵役が空けたら、どっかの街で店でも構えてさ。近所の悪ガキに魔法でも教えて、のんびりしたスローライフってのに憧れてたんだがよ」


 苦笑を浮かべながら、ジェイムズは杯を一気に呷る。


「でもよ、家内の真摯しんしな気持ちに、結局根負けしてさ。くっついちまったが、悪いもんじゃなかった。家内はただひとり、伯爵っていうデカイ家を切り盛りしてたから色々大変だったけどさ。そうだ、悪いもんじゃなかった」


 声の端に滲むのは、愛おしさと後悔。


「娘にも恵まれた。モニカとソフィア。目に入れても痛くない、可愛い娘がふたりもだ」

「でもよぉ、貴族っていう家は国を護らなきゃいけねえ。国を護らなきゃ、家族も守れねえ」


 言葉は次第に重く、苦悩が滲む。


「それがたまらなく嫌で、平民になろうって思ったのによ。ままならねえもんだ……」

「ああ、ままならねえ。皇国ヴィラスの手がせまってるんだ。だから、俺と家内ミモザの命を優先させなきゃいけねえ。まだ子どもだ、言っちまえば、替えがきく。きいちまう。くそったれだ、命惜しさに娘の守護を軽くするなんざ、親として、人として失格くそったれ以下だ」


 酒を呷りながら、ぽつりぽつりと語るジェイムズ。辣腕らつわんを振るう、敏腕伯爵の姿はそこにはない。しょぼくれた背中を前に、ドウェインは何も言えなかった。


「幸い、これでモニカもすこしは落ち着いてくれるかもしれない。おまもりに、他人ひと様の子どもを使う、くそったれな案も思いついた。あの子ども……ヴィーシュくんは娘を護る尖兵になってくれる。だがぁよぉ……」


 ジェイムズの言葉が詰まる。杯を置く手は震え、深く息を吐いた。


「だから俺ぁよ……平民で、ただ家族を守るだけの男になりたかったんだ……なりたかったんだよ……」


 静かな部屋に、悲しみの吐息が滲む。


「御館様、伯爵。すこし、酒が入り過ぎてまさぁ……。ここ数週間、昼も夜もない中で仕事してやしたんでさぁ。今は、ただ、身体を、心を休めてください」


 ドウェインの言葉は、いたわりと敬意に満ちていた。それを聞き、ジェイムズは力なく微笑む。


「そうだな……すこし、休ませてもらうさ……」


 その声は、どこか遠い。伯爵としての責務に押しつぶされそうな彼の姿が、そこにはあった。 

 琥珀色の液体が、僅かに残ってグラスの底できらめいている。コトリとグラスは置かれ、随分飲んだはずなのに綽々しゃくしゃくとした動きでジェイムズは立つと、ゆったりとした歩調で執務室を出る。

 懐に潜り込んだ蛇を始末するまで、ジェイムズに休みはない。常に、自分と家族を天秤にかける生活を強いられ、領の為人の為日夜まつりごとを執る生活に、彼の心は参ってしまっていた。


 ドウェインは何も言わず、ジェイムズの後に続く。

 ドウェインはこの道しかない。政治の世界は怪奇なものだ、莫迦ばかな自分がしゃしゃり出ても、悪い方向にしかいかない事は目に見えている。だから、今はただ、牙を研ぐ。

 皇国くそどものはらわたを食い破る為に。自分を救ってくれたジェイムズをはじめ、ミモザ伯爵家の皆が幸せに暮らせることを願って。


 ドウェイン=アザミナ。棘草トゲクサの名をいただいた騎士ケモノは、皇国本国を刺しつらぬく為の刃として、今も尚、力を研ぎ澄ましていた。



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