第20話 命が助かった伯爵は優しいからな他の奴らにも伝えるべき



 <ジェイムズ>伯爵様はウィンクを交え、茶目っ気をアピールするような仕草を見せた。だが、その目はまるで笑っていない。いや、むしろ冷え切っている。


 ──あかん、これ本気マジだ。


 オレは先程とは違う背筋に走る寒気を感じながら、無意識に姿勢を正していた。そして、心からの「ごめんなさい」を添えて深々と頭を下げた。この人は絶対に怒らせちゃいけない。僕はしかと肝に銘じた。


「良かろう。謝罪は受け入れよう」


 くつくつ、と抑えたわらい声を漏らしながら、ジェイムズ様は鷹揚おうよううなずいた。その後、ふっと表情を和らげる。


「さて、ちなみに娘は無事だ。君を随分と心配していたようだよ。色男め」


 その言葉に続ける形で、仔馬の<セレーネ>の無事も伝えられる。しかし、朗らかに見える表情とは裏腹に、彼の目は相変わらず冷え切ったままだ。

 ……し、知らん知らん!いや待て、あの時ベッドの隣にあった小さな椅子、あれって<モニカ>のだったの!?

 きっと僕のひたいは汗でびっしょりだ。どう反応していいのかわからず、狼狽ろうばいしていると、ジェイムズ様がこほん、と咳払いをした。


「さて、私の些細な誇りプライドから話がうやむやになりかけたが、はっきり言おう。そうだ、ミモザ伯爵家……それも、城に出入りする身分の者の中に、皇国とえんを持つ者がいる」


 ……本当マジか。

 『できる伯爵』として名高い、ジェイムズ様の治世でも、裏切り者がいるのか。

 これが隠されていた事実ものか。いや、話の端々から察するに、ジェイムズ様は二手も三手も手札を隠す癖があるようだ。だから僕は、続く彼の一挙手一投足を目を皿のようにして見定めることにした。


 すると、ようやく彼の目に少し温度が戻り、愉快そうな笑みを浮かべる。


「君の場合、情報を与えるとどこまでも突っ走っていくきらいがあるように見えるから、敢えて誰かは告げない。ほぼ確定くろだとは思っているがね。だが、他にも協力者がいるかもしれない。もし、怪しい人物を見つけても君から行動を起こさないようにしてくれたまえ」


 ジェイムズ様は僕をいたわるようにさとすが、その言葉には確かな重みがあった。


「相手は懐に入り込みながら、狡賢ずるがしこうごめく蛇だ。なれば、慎重に事を進める必要がある。君は顔に出る性質たちだからね・犯人に近付いたときに、態度で出てしまう。それは、悪手であることは理解できるね?」


「……わかりました」


 信用や信頼という問題ではない。僕が未熟だから、捜査から外れるのは当然なのだ。


「さて、この話は終わりだ。ここからは君を口説く時間としようか」


 ──口説くって、僕はスパイじゃありませんってば!


「ほら、また。顔に出ている。疑ってはいないさ。だが、君にはふたつの功績とひとつの嫌疑がある」

「ふたつの功績と……嫌疑?」


 僕は首を捻った。功績は一つだろうし、嫌疑とは何のことだ?スパイではないと信じているのではなかったのか?


「ふむ。得心がいかない顔だね。では、ひとつずつ話していこうか。まず、ふたつの功績。これは、私の娘、モニカの窮地きゅうちを救ってくれたこと」


 伯爵は指折りながら、ゆっくりと語る。


「そして、もうひとつ。縄による暗号で私達に位置を知らせてくれたことだ」


 ……あっ、あの結び縄の合図暗号のことか!

 もし仮にバドラークを倒せたとしても、僕は満身創痍まんしんそういだった。だから、モニカ救出までに時間がかかっただろう。それを防ぐための情報提供が、功績として認められるのか。

 しかし、伯爵の声色が次第に硬くなり、立てた二本の指が一本に戻る。嫌疑の話だ。


「そして、嫌疑。君は人を操作する特異な魔法を持っている可能性がある、ということ」

「人を、操作する……?」


 最初は何を言われているのか分からなかった。だが、次第に思い当たる。

 僕が覚醒させた魔触部位アルカナム・エレメント。喉から発せられた魔力による命令オーダー。それは相手を従わせるという、あまりにも特異な能力ちからだ。


 同時に悟る。これ……あかん奴だ。


 まだ能力の概要をはっきりと把握していないが、この能力は誰かを操作する恐ろしい能力だ。もし、この能力が悪用されれば、国を内側から揺るがす扇動者アジテーターになり得る。恐ろしいほど危険な力だ。


 ……これ、もしかして詰んだ?


「君が魔触部位に覚醒したことは、素直に喜ぼう」


 僕の思考を打ち消すように、ジェイムズ様は抑えた声でそう告げた。だが、その眼差しは冷徹で、軽々しい感情ではなかった。続けざまに放たれる言葉が、僕の心を刺す。


「だが、それはそれとして──私は君の能力を危険視している。だから、君の能力を検証したうえで、ミモザの名の下に君を雇用しようと考えている」


 僕はその言葉に思わず息を呑んだ。自分の魔触部位──喉に宿ったこの能力の特異性が、どれほどの影響をもたらすか理解しているからこそ、危機感が膨れ上がる。


「それは……もし、僕のこの能力が、人を洗脳するものだった場合は、僕は……」


 勇気を振り絞って問い返した瞬間、胸の奥に嫌な汗がにじむ。まるで、逃げ場のない罠に自ら足を踏み入れたような気分だ。


「いいや」


 ジェイムズ様はきっぱりと首を振った。その冷静さが、かえって心を騒ぎ立てる。


「そんなむごたらしい真似をするつもりはない。君は娘を助けた。それは事実だ。私が君に受けた“恩”であり、私はそれに報いなければならない」


 彼はゆったりとした動作で背筋を伸ばし、厳然とした眼差しでこちらを見据えた。


「治世を敷く者は、人情が通った統治者カリスマでなければならないと、私は考えている。決して、独裁者タイラントであってはならない。なってもならない」


 その声は毅然きぜんとしており、強い信念を帯びていた。


「先程の話を蒸し返すようだが、だからこそ・・・・・──皇国の間者だろうと、疑わしいという理由だけで罰するつもりはない。それだけは覚えていてほしい」


 言葉だけを聞けば、甘く美しい理想論だと片付けたくなる。だが、その裏には、綱紀を乱す者と認めた瞬間に即座に処罰するという冷酷な意志が宿っている。ジェイムズ様の覇気に満ちたその姿は、まさに統治者カリスマそのもの。僕は無意識に息を詰め、圧倒されてしまった。


「故に、君に頼みたいことがある」


 ジェイムズ様はわずかに身を乗り出し、静かに言葉をつむぐ。その目には、確固たる信念と揺るぎない意志が宿っていた。


「その能力を包み隠さず、教えてくれないだろうか。私はその報酬として、君に教育を与えよう」


 その言葉と共に、ジェイムズ様は僕に手を差し伸べた。

 教育。平民である僕にとって、それがどれほどの価値を持つものか、想像にかたくない。だが、同時にこれは──僕の全てを晒せという、試練でもあった。


 躊躇ちゅうちょは、ある。

 僕の能力を危険視して、秘密裏に処される事だってあるかもしれない。あるいは、政争の具に使われることもあるだろう。


 だが、それでも、僕はこれに「否」と応える選択肢を持ち合わせていなかった。推しソフィアを護る。その一点に、この人生をついやすと決めている。その為なら、僕の立身出世なぞ、どうだっていい。


 だから、僕は。ジェイムズ様の手をしかと掴んだ。


「わかりました」


 ジェイムズ様は軽く頷くと、満足げな表情を浮かべた。その唇が再び開かれる。


「よろしく頼むよ、ヴィーシュくん」


 僕の決断が新たな道を開くのか、それとも──破滅の始まりとなるのか。その答えを知るのは、まだ先の話だ。



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推しを守りたいだけなのに、姉に勘違いされてます! 金伊幡楽 @ahnarou2234

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