第14話 相当の苦汗(誤字、英語でいうとタイポミスではない)の選択だったろうよ



== 14 ==



「ちょっと待っててくださいね」


 オレは吹き出しそうになるのを我慢……出来てないか?モニカの顔がまたお饅頭まんじゅうになってる。兎も角、我慢しながら、最後の一本になった短剣をふところから取り出し、縄を切ろうと手を伸ばした。


 セレーネの鋭いいななきが、部屋に響き渡る。


 同時に、カツン、と硬い靴底が石畳を叩く音が耳に届いた。僕はすぐさま反応し振り向いたが、眼前に鎧を纏った騎士が片手剣を振りかぶり、迫っていた。反射的に身を後ろに逸らしたが、騎士の動きの方が圧倒的に速かった。加えて、モニカの縄を切ろうとしゃがんだ事があだとなった。十分な回避行動も取れぬまま、肩口から袈裟斬りに斬り裂かれる。鮮血が舞う。


 ──痛い痛い痛い痛い斬られた!斬られた斬られた斬られた!


 脳が生命の危機に瀕していると、警鐘アラートを鳴らしている。傷口が焼けるように熱い。痛いと熱いが頭の中を駆け巡る。身体は──だめだ、言うことを聞かない。後ろに倒れ込んで致命傷は免れたものの、傷は深く、出血も酷い。


「ヴィーシュ!」


 モニカが何か言っている。けど、痛みの余り、それがなにか認識してくれない。

 倒れ込んだ僕に体重を預けられたモニカは、踏みとどまることが出来ず、べしゃりと地面に転がっていた。


「ヴィーシュ、ヴィーシュ!ヴィーシュ!」


 朦朧とする意識のなかで、ようやくモニカの言葉が聞き取れた。ああ、心配してくれてるのか、珍しい。どこか余所よそ事のように、自分自身の状態を認識している。


「がっ……!」


 唐突に、視界が高くなる。苦しい。喉元を掴まれている。視野が定まると、そこには血に濡れた片手剣を握る鎧騎士がいた。怒りのあまりか、その口元は歪んで気炎を吐き出していた。


 騎士は言う。


「クソガキが……!この始末、どうつけてくれようか!」


 口が汚いな。あまり品性がよろしくないらしい。まあ、賊と手を組むぐらいだ、その性根は腐りきっているか。


「さて……品がない……小鬼ゴブリンもどきを……処分したまでだよ……」


 流石にきつい。普段の滑舌とは大違いの、それこそ虫の息と形容していいぐらい弱々しい呻きを、僕は漏らす。

 ここにきて、ようやく痛みがマシになってきた。苦しいけど。斬撃は内臓までは至ってない。だが、まだ未熟な身体で、おまけに身体強化なしで攻撃を受けてしまったからか、骨が何本も折れて内臓に刺さっている。呼吸するたびに痛い。まあ、それよりも苦しいけど。血も……まあまあ出ているな、放置すると危ないかも。

 素早く自己診断を終えると同時に、騎士は憤りのまま口を開いた。


「雑魚をいくら潰しても関係ねぇ。手間がかかるだけだ。何の為に小汚ぇ浮浪者をふところに入れたと思ってやがる。面倒くせぇことしやがって!!」


 この騎士にとって、盗賊たちの命は有象無象なものとおなじであったらしく、ただ己の手間暇を掛ける事を嫌っての、理不尽な怒りであった。


 仔馬セレーネは騎士の動きを鋭く見極めようとしていた。これまでの盗賊たちとは違い、騎士は厚い金属の鎧を身にまとい、立派な剣を握っている。力で攻撃を受け止め、簡単に命を奪える敵であることを理解しているのだろう。慎重に様子をうかがいながら、迂闊に動くことを避けていた。やはり、この仔馬は並外れて賢い。


 僕は騎士を辛うじて見やる。筋骨隆々、とまではいかないが、成人男性に比べたら格段に身体に厚みがある。その筋肉質な身体を、金属鎧プレートメイルで覆っている。腕も、僕の太ももよりは太い。身長は騎士としては小柄だけど、それでも推定170の後半は行ってそうだ。地毛は焦げ茶色。優男のように無造作ヘアを流していて、今は怒りで目がつり上がっているが、甘いマスクと言ってもいい。ただ、致命的なまでに品が伺えない。だって、眉毛とか細々とした部分が適当だもん。


「はっ……! 同僚とつるめないから……きずりのならず者と手を組んでる奴が……偉そうなことを言う」


 笑い飛ばそうとしたが、お腹にちからを入れた瞬間痛みが走って失敗しちゃった。

 息も絶え絶えに叩いた僕の軽口に、騎士は苛立たしげに僕を睨む。


「黙りやがれ!!」


 とん、と軽い衝撃音と共に、騎士の身体がわずかに揺れる。なんとモニカが縛られたままの状態で、騎士に体当たりをしたのだ。


「ヴィーシュを離しなさい、れ者が!」


 その声は勇敢でありながら、体当たりの力はあまりにも弱々しい。自分の体重を巨体に預けているようにも見える。まあ、これが普通の5歳児なんだ、こんなものだよね。


「ああ!!うるせえ!!」


 騎士は苛立ちのままモニカを足蹴にし、地面に転がす。そのまま、僕を斬り伏せようと、片手剣を振りかざした。その刃は揺れる蝋燭の炎に照らされて怪しく光り、僕の命を奪わんと迫っている。


 畜生、と。流石にどうしようもない現状に僕は心の中で吠えた。いくら力があっても、所詮は子どもの体だ。大人の、ましてや身体が資本とされている騎士相手におなじ力で対抗出来るはずがない。それに、これ以上出血が続けば、間違いなく死ぬ。何とかこの不利な態勢を打開できなければ、と必死に考えを巡らせたが、喉元をつかまれている状況では難しい。首を支点にして身体を捩じっても、騎士の腕の長さに到底及ばない。5歳の未熟な身体が、これほどまでに恨めしいと思ったことはなかった。


「"この手を放せ"!」


 やけっぱちに叫びながら、いちかばちか、全身に魔力を漲らせて手を振り解こうとする。その瞬間、喉元が熱を帯びるのを感じた。奇妙な感覚と共に、騎士の手がわずかに緩む。絶好の機会だ。僕は消え失せた魔力をまた漲らせて、身体強化の出力を最大限に引き上げて、全力でその手から抜け出した。同時に、勢いをつけて騎士の顎を蹴り上げる。


「ぐっ…!」


 顎を押さえてよろける騎士。しかし、すぐさま顔を上げ、片手剣を構えて再び襲いかかってくる。僕は咳き込みながらも迎撃の態勢を整え、頭の中で先程の出来事を整理した。


 叫んだ瞬間、喉元に魔力が集まり、その魔力が消失する感覚があった。もしかして……僕の魔触部位アルカナム・エレメントは喉、そして声に関係するものなのか? それが、他人に何かを強制する能力であるとしたら──可能性が頭の中で巡る。


「"膝を曲げろ!"」


 袈裟斬りの構えに移行していた騎士に向かって、再び命令オーダーを放つ。また喉に熱が走り、魔力が吸い取られるような感覚が訪れる。しかし、今回は騎士も抵抗を見せ、わずかに体勢を崩しただけだった。すぐに剣を杖にして体勢を立て直すと、後ろに下がり警戒の色をあらわにする。


「何をしやがった……?」


 騎士の顔には困惑が浮かんでいた。先程までの荒々しい態度とは打って変わり、硬質な声で問いかけてくる。


「さぁね……?」


 僕は微笑みをよそおいながら答える。しかし、身体は限界に近づいていた。思ったよりも、魔力の消費が激しく、すでに魔力が底を尽きかけている。魔力欠乏症特有の頭痛がズキズキと僕を苛んでいる。立ちくらみすら感じるが、怯えを見せるわけにはいかない。虚勢を張り、なんとか元気っぽく見える徒手空拳でのファイティング・ポーズを取る。短剣はさっき斬られた時に落として、地面に転がっていた。


「なるほど、厄介だ。てめぇは面倒くせぇ相手のようだ」


 騎士はそう言いながら、どこからか取り出したハンカチを手早く裂き、それを丸めて耳に詰め始めた。僕はその隙に、地面に落ちていた粗末な短剣を拾い上げ、構え直す。


「こうすればぁ、その厄介そうな声、届かねぇよなあ?」


 騎士の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。やはり、騎士だけあって鋭い。この現象が【声】によって発動していることにすぐ気づいたようだ。僕も、たぶん、その推測は正しいと思う。声は空気の振動によって伝わるもの。どういう原理で"命令"が働くのかはまだ詳しくわからないが、伝達手段として音が使われている可能性は高い。漫画に出てくるような“魂へ命令ギアス”できるちからがあればと思うが……感覚的に、多分ない。魔触部位が成長すれば出来そうだけど……ただ、今はそんなこと悠長な事を言ってられない。普通、こういう場面って転生者はチート能力に覚醒するんじゃないのかよ。なんとも中途半端な能力としか言いようがない。抵抗レジストも出来るみたいだしな!


 僕は短剣を構える。しかし、その刃先が震えるのを抑えることができなかった。心許ない武器だ。せめて、周囲に転がっていた盗賊たちの武器を回収していれば、状況は少しは違ったかもしれない。初めての戦闘で、実は結構興奮していたらしい。そして、同時に戦いが終わったと思い込んで、その後の事が抜け落ちてしまっていたようだ。自分の未熟さが歯がゆい。そもそも、なんでいきなり戦闘バトってんのかが解らん。ゲームっぽい世界ならゲームっぽく奇襲なんてなしにしろよな。

 警戒は怠っていないが、つい愚痴るように思考が脇に逸れていく。



さて、どうする──。


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