ある日のそれから
長谷川さんとお付き合いしてから五ヶ月が経った。
キス以上の進展はなし。なんだけど、ふとした瞬間の馴れ合いに、心臓が鷲掴みされるくらいなレベルで色々ともたない。
恋愛経験がない私には、どう対応していいのやら状態だ。
このご時世に、ネットがあって良かった。
……本当に良かったと心から思う。ネット社会万歳。
『同性』『お付き合い』で検索をかけると、それなりの情報が出てくる。その中で、気になったものにクリックをすると意図も簡単に情報が手に入るのだ。
本当に有り難い。
記事を読み進めていくと、具体的なことまで色々と書いてくれてあった。
助かるには助かるのだが……。
ぼふっ。枕に何度か頭を打ち付けた。
顔が熱い。なぜなら、キスから先のことが書いてあったからだ。
私と長谷川さんがキス以上のことを……。
するのか?出来るのか?わからん。けど、興味が無いと言えば嘘になる。
「……長谷川さんはどうなんだろうか」
今日の職場での様子を思い出す。付き合ってからも前のように普通と言ったら普通の対応だし、特別になにかすることも無い。まわりにバレるとかそういうの心配もない。
いまだに夢見心地で、本当に付き合っているのか?という疑問さえ湧いてくるほどだ。
付き合ってはいるんだと思う。もう既に何度かデートもしているし。キスだってしている。
その、好きだと言い合ってもいる。出来れば、もっと触れたいとも思ってしまったりする時もある。だからこそ、ネットの力を借りているわけで。
言い訳がましくなってしまったが、正直キス以上にも興味がある。大いにある。
けど、そこはお互いの気持ちが大切なのだ。だからと言って、直接聞ける自信もないけど。
ベッドの上でのたうち回りながら、あぁでもない。こうでもない。ぐるぐると考えてはネットで調べてを繰り返して夜は更けていく。
お陰様で、今日も寝不足だ。
※※※
ここ最近、橘さんの態度がおかしい気がする。気がするのではなくおかしい。
なんとなく距離を置かれているような。ここ数日、ろくに話せていないのだ。メッセージを送ればいつも通りだが……。
この前の残業時間の触れ合いが駄目だったんだろうか。橘さんと二人きりで、気持ちが焦ってしまった。他の人がいないのをいいことに、キスをせがんでしまったのだ。
あの時の橘さんの照れ具合を思い出しては、胸の奥がむず痒くなるような気持ちになる。あれでも私の中では抑えた方で。出来ることならもっとしたかった。
橘さんは、私と付き合うのが初めてと言っていたからこそゆっくりととは思ってはいたが、想いを伝えあった日にキスをしてしまったことを考えると、ゆっくりとはと思うがその先のこともある。
……橘さんに触れられたい。
そもそもだ。橘さんは、自分の魅力に気がついてすらいないのだ。
本人は気がついていないが、橘さんのことをいいなと思ってる人は、小耳に挟んだ噂では確実に二人はいる。その人らがアプローチを仕掛けに行っても本人は気にしてないからか、毎回流して終わりみたいになってはいるけれど。
私は前から意識していた訳でもない。懐いてくれる橘さんに嬉しくなって毎回では無いけれど、時々、というか何回も誘ったら引かれるかと思って、何ヶ月かに一回と決めて食事に誘っていた。
アプローチしている人らと同様に、すっぱりと断られたら少しだけ心に傷を負う自信があったからそこは慎重にしていた記憶がある。
仕事の都合で断られたこともあるが、三回目だったか。誘えた飲み会で、橘さんのペースが早くて酔っ払ってしまった時にことは起きたのだ。
「私、長谷川さんのことがいいなって思ってまして。仕事の癒しなんですよね。見てるだけで幸せになれるというか。まぁ、こうして触れられる距離にもいるんですが、そこまでは求めてなくて」
驚いた。まさかそう思われているなんて。
橘さんに私が癒しだと。見ているだけで幸せになれるという橘さんの言葉に嬉しく思ったのと同時に、少しだけモヤッとしてしまった。
「見てるだけでいいの?」
私も酔っていたんだと思う。いつもなら、冗談で流して返す言葉を鵜呑みにしてモヤモヤして、そして返してしまったのだ。
「触ってもいいなら触りたいですね。長谷川さんのことが好きなので。好きだからこそ大切にしたいし、私ごときが無闇に触りたいって思わないというか。自分の手垢をつけたくないというか」
「なら、触ればいいんじゃない?」
「それは駄目ですよ。触るなら特別な関係になってからですから。長谷川さんが私の恋人になってくれるなら触りまくっちゃうんですけどね。……長谷川さんはいつもかわいいですねぇ」
ほぅ、と熱の籠ったため息と視線に、自分の身体に橘さんからの熱が移っていくのがわかる。
そして、橘さんに指を絡め取られた。
……これは、だめだ。
「ちょっと、橘さん。飲みすぎちゃってるからお水でも飲んで酔いを冷まさないと」
「んー?」
私の顔を、橘さんはにこにこした表情のままずっと見ている。その視線に耐えきれなくて視線を逸らすが、橘さんに許してもらえなかった。
「逸らしちゃダメですよ。可愛いお顔が見れないじゃないですか。長谷川さんのどんな表情も目に焼き付けておきたいんです。この目も、鼻も、唇も。そこだけじゃなくてこの指も全部、全部かわいい」
これは口説かれているのか……。
勘違いしてしまいそうな言葉の数々に、上がった熱は下がることなく増すばかりで。
「長谷川さんが、私の恋人だったらいいのになぁ……」
「えっ?」
気付けば、気になる言葉を残して橘さんは机に突っ伏して眠ってしまっていた。
絡められた指はそのまま。私からは離すことも出来なくて。
その後、少しだけ寝て起きた橘さんは、何事も無かったかのように寝てしまったことへの謝罪をして終電で帰ってしまった。
それからだ。橘さんのことを意識するようになってしまったのは。
我ながら単純だとは思う。
同性同士だからとかそういうのは気にはならなかった。むしろ橘さんだから、ということの方が大きかった気がする。
あれ以来、橘さんの態度はあの日のことが無かったかのような振る舞いで、日に日にやきもきしたものだ。
ついに私の我慢の限界で、あの日にそういうことになってしまったのだが、後悔はしていない。
それよりもだ。 もしも、知らないうちに橘さんになにかしてしまっていたら。
そう考えると、怖くて聞けないでいる。
「長谷川さん?」
声を掛けてきた方へと向くとそこには橘さんではなく、橘さんの同期の田中さんがいた。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。それよりどうかした?」
そうですかと引き下がってくれて、それと同時に資料の見直しをお願いされた。そのままその場で確認をして、不備もなしということで返すと、田中さんも自分のデスクに戻って行った。
そのあとは、黙々と仕事をこなしていく。終業のチャイムが鳴れば、今日の業務も終わりだ。
さてと、帰ろうかなと席を立ったと同時に待ちに待った人から声を掛けられた。
「あの、長谷川さん」
「ん? どうしたの?」
嬉しいのはおくびにも出さず、冷静な対応を心掛けていく。
「今日、予定が空いていたら飲みに行きませんか?」
橘さんが誘ってくれたのが嬉しすぎて一瞬固まってしまったが、すぐに行くと返事をするとホッとした表情をしていた。
断られると思ったんだろうか。
付き合ってまだ日は浅いが、その前からの付き合いだ。慣れてほしい気持ちもありつつ、こういう初々しさも嫌いじゃない。
どこに食べに行こうかと相談しながら、二人で会社を後にした。
※※※
なんでこうなったのか。
会社を出るまではどこで食べるか決めていたのに、いざ決まったのは私の部屋だった。
近所のスーパーで、お酒とおつまみになるようなものを買って帰ってきた。が、開始早々、長谷川さんのスピードが早くて、一時間後には案の定酔っ払った長谷川さんが完成されていた。
「橘さんは、私のこと……すき?」
「えっ。あっ、はい」
「はいじゃなくてちゃんと言って」
「好きです」
「はい。ごうかーく」
長谷川さんのことが好きと言うゲームなのか。さっきから何度もやらされている。嫌とかではないけど、恥ずかしい。
「長谷川さん、飲み過ぎですよ。そろそろ、その辺でお水にしておきましょ」
「やだっ」
やだって。可愛いかよ。
それでもお酒を取り上げてお水を渡すと、不貞腐れながらも飲んでくれて安心する。
「呆れちゃった?」
不貞腐れたと思ったら、次は落ち込んでいて驚いてしまう。
「全然。それよりも可愛いなって思ってました」
「なっ、かわいいって……」
「長谷川さんは可愛いですよ」
可愛いと言った時は照れたのに、また落ち込んでしまった長谷川さんをどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
「けど、橘さん。最近私のこと避けてたし」
「えっ?」
誰が誰を避けていたって?
「私が、長谷川さんを避けてたってことですか?」
長谷川さんはコクリと頷いた。
「いやいやいや、私が避けるわけないじゃないですか」
「避けてたもん」
もんって。いちいち可愛いな。
長谷川さんの意見はこうだった。
前よりも話しかけてくれる回数が減った。なんとなくソワソワしていて目線を合わせてくれない。ご飯も全然誘ってくれなかった。長谷川さんが話しかけても上の空。そんな感じで、私に避けられていると思っていたらしい。
不安にさせたのは申し訳ないんだけど。なんか、理由がどれも心当たりがありすぎて、なんて話そうか迷ってしまった。
ここは、素直に言うのが一番だが恥ずかしい。非常に恥ずかしい。けど、大切な人を不安にさせたままなうえに、嘘もつきたくない。
言うしかないのだ。
「あの、それには理由が少しばかりありまして……」
長谷川さんとの関係を意識しすぎてギクシャクしていたこと。
煩悩ばかりだと思われたくないけれど、キスしたいなと思っていたこと。どうしたら、イチャイチャをスマートに出来るのか悩んでいたこと。それら全てを話終えると、長谷川さんは深いため息を吐いていた。
「よかった。嫌われちゃってるのかと思ってた……」
「それはないです! しっかりと好きです」
「しっかりとって」
なにそれ、と笑った顔にほっと胸をなでおろした。
笑っていたかと思えば急に真顔になって、私の心臓は休まる暇がないらしい。まだ何かあるのか。なにかしてしまったのか、と不安になったが、この後の言葉に杞憂だったとわかるが、それ以上に慌てることとなる。
「お互いのことを知るために同棲しちゃう?」
「えっ?」
「嫌だ?」
「嫌とかでは無いですけど、展開が早いというか……。それに急に知らない人と暮らすのは大変じゃないですか?」
「橘さんは、知らない人じゃないし」
怒ってる顔も可愛い。じゃなくて。
「私は全然構わないし。なんなら職場で一緒にいれない分、同棲していられる時間が増えるのは嬉しいから問題は無いし。部屋も一部屋空いてるから、そういう問題もないよ。あとは橘さんの気持ち次第かな」
とてつもなく惹かれる案件だ。いつかは一緒にと想像していたのもある。けど……。脳内は同じことをループし続けている。
「嫌なら嫌って言ってね」
寂しそうに言う長谷川さんの姿に、そんなループは全部吹き飛んで覚悟を決める。こういうのは勢いも大事ってネットにも書いてあった。
「します! 同棲したいです」
「本当に?」
「はい。本当にです。けど、長谷川さんは本当に嫌じゃないですか? 大丈夫です?」
「私は嬉しいよ。橘さんと一緒に暮らせるの……嬉しい」
職場では見せない、気の緩んだ笑顔にときめいてしまう。
「では、その……不束者ですがよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いされます」
こうして、私と長谷川さんは付き合って五ヶ月で同棲することになったのだ。
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