第6話 歌人としての地歩へ第一歌集『魚歌』刊行 📚



 一九三八(昭和十三)年九月、仮出所した瀏は、長い幽閉期間を解き放つように文筆活動を再開する。処刑された青年将校らは天皇に見捨てられたかたちだったが、瀏の忠君愛国と国家主義は変わらなかった。その一方で「歌人将軍」は東条英機や小磯国昭ら軍首脳部からの報道関連の要職打診は拒絶して、天皇と国に殉ずる芯を通す。


「自分は天皇と国家のために働く身であって、軍のためになにかをしようという気はさらさらない、予備役ゆえ与しやすしと見損なってくれるなという侍魂でしょうか。済南事件で虫けらのように捨てておきながら、いまさらなにを言うかというプライドや憤りもあったでしょうね。それで戦犯にならずに済んだようなものですが……」



      *



 翌年四月の瀏主宰『短歌人』の創刊には、三十歳になった史のあと押しがあった。同年、夫・喬夫は軍医予備員として召集される。さらに翌年夏、史は『新風十人』に佐藤佐太郎、坪野哲久、前川美佐雄らと参加し、八月には第一歌集『魚歌』(装丁・棟方志功)を刊行して幻想的で明るく色彩豊かな作風が注目されるなど活路を開く。


「アララギで徹底的に批判されたことが、かえってよかったのかも知れません。自分には逆立ちしても写実一辺倒の日常詠はできない。いえ、無理すればできないことはないが、それでは自分という人間が短歌を詠む意味がない。ひとがどう思おうと思うまいと、わたしはわたしの心を短歌に託し通す、そういう決意が生まれましたから」



      *



 一九四一(昭和十六)年、三十二歳で長男・宣彦を出産する。十二月、大東亜戦争が始まった。戦時下の史は女流文学者会(委員長・吉屋信子)の常任委員をつとめるが、同会はのち日本文学報国会に含まれ、戦争激化、疎開などで消滅する。歌集『朱天』や随筆集『春寒記』を刊行する一方、夫・喬夫が病気のため召集解除となった。


「このころのわたしの歌ですか? ええ、人並みに(笑)時局に添う短歌もつくっています。政府や軍部からの要請もありましたが、それよりも隣近所のひとたちも鋭い目を光らせていて、国家総動員のもと軟弱な歌など詠んだら、自分はもとより家族もいやな目どころか危険な目に遭いかねない世情でした。言い訳はしませんけど……」

 


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――物言はず居もたまらねばこの頃の 我に一聯の俗歌あるなり

  古い奇妙な楽器なれども鳴りて居り 五弦あるいは三十一字

  あきまへんわ といひてわが歌に 棒線をひくときの快感

  蕗味噌の香るを食みてさてこれより いよいよ苦き歌評に遭はむ




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