第2話 アイヌの矢じりを探した旭川の少年&少女 💎


 

 大日本帝国陸軍旭川第七師団(通称:北鎮部隊)の広大な敷地は、かつてアイヌの人びとの土地だった。その証拠のように射撃練習場のあたりから古き戦いの痕跡である黒曜石の小さな矢じりが出土した。先人の手で丹念に磨きこまれ、慎重に研ぎ澄まされた黒い稲妻のような武具は、当時の官舎に住む少年たちの宝ものになっていた。


 尋常小学校が休みの日「フミコウ、おばさん。アイヌの矢じりを探しに行こうよ」将校官舎の並びの家のクリコ少年は、よくそう言って齋藤母子を誘いにやって来た。フミコウとは史、クリコとは栗原安秀のことで、両家の家族もそう呼び合っていた。ほかにもうひとり、のち栗原と運命を共にすることになる坂井直も同級生だった。


「生まれついて軍人の家だったから、幼いころのわたしは、この目に見える世の中は軍人を頂点にして出来ていると思いこんでいたみたい。むろん、まわりには農家や商店もあったんだけど、あくまでそれらは付け足し、もっと言えば軍人のためにある仕事みたいな……学校への往復も師団の敷地だったから隔絶された小宇宙だったのね」


 楢の古木がうっそうと生い茂る山道を、棒きれをふりまわしながら先頭をゆくのは裾の短い紺絣のクリコ少年で、それに遅れまいとおかっぱ頭を揺らせて走る赤い絣のフミコウ、さらに遅れて、地味な柄の着物の裾をからげた母のキクというのがいつもの決まったパターンで、師団参謀長の重責にある父・瀏の痩身はそこにはなかった。



      *



 この清冽なメルヘンチックな情景から六十余年を経た一九八〇(昭和五十五)年、七十一歳になったフミコウこと歌人・齋藤史は、大雪山黒岳山麓の層雲峡(温泉を流れる双雲別川のアイヌ語「ソウンペッ」をもとに大町桂月が命名)の「第七師團轉地療養所建設記念碑」の前に佇んでいた。ひと口に感慨とは言い尽くせない感懐……。


 碑の裏面には旭川第七師團師團長・渡邉錠太郎と参謀長・齋藤瀏の名が並んで刻まれている。建碑から八年後の二・二六事件で両名が敵味方に分かれようとは、師団の傷病兵の転地療養施設を建てたとき、だれひとりとして想像すらできなかったはず。運命と呼ぶにはあまりに壮絶な……曰く言いがたい思いに、ただ立ち尽くすばかり。

 


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――北蝦夷の古きアイヌのたたかひの 矢の根など愛する少年なりき

  錆色の楢落葉積む 二・二六に殺されし錠太郎の名あるいしぶみ 

  ゆくすゑを誰も知らねば渡邉・齋藤の 名もつらねたり一つの碑の面に 

  人の運命さだめ過ぎし思へば いしぶみをめぐるわが身の何か零す




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