第7話 悪役令嬢、杜氏と一つ屋根の下で過ごす

「これから酒ができる一連の工程で60日ほどかかるんだけど、エミリーが本格的に参戦するなら家帰ってる暇ないね。俺の家に使ってない部屋があるからそこ使ってよ」


 この無人島は狭いようで広い。リヒトの家からエミリーの家までは、ロバの力を借りても40分ほどかかる。往復すると結構な労力だ。


 得体の知れないリヒトを警戒して遠くの小屋を指定したのだが、酒造りという面では不利に働いてしまった。


「うっ……しかし嫁入り前の令嬢が、得体の知れない男の子と一つ屋根の下はまずいわよね」


「なに言ってるの。俺達は現代日本から転生してきた日本人じゃないか。結婚前に同棲してるカップルなんて、山ほどいるよ」


「リヒトはさっき、郷に入っては郷に従えって言ったわよね。この世界では、婚姻前のご令嬢が外泊なんて御法度なんだから。それに貴方と私はカップルじゃないわ」


「そんな硬いこと言わないでよ。それにそろそろ得体の知れないはやめようよ。俺がとっても紳士的でいい人だっていうのはわかったでしょ? 絶対に指一本触れないからさ。あ、そろそろ米を浸すのはいいかな」


 米を浸した後は蒸す作業だ。大量にあった樽の中に、浸した米を投入し、平らにならしていく。


炎の霧フレイムミスト


 リヒトが樽に熱風を加えていく。みるみるうちに湯気が出てきて部屋の中が暑くなってきた。


「俺の実家、農家だし。あんまり魔法は得意じゃないんだけど、こういうちょっとしたのはできちゃうんだよね」


「……あまり得意じゃない風には見えませんけどね。そろそろ本当のことを言ってくれないと得体の知れない怪しい人のまんまですけど?」


 通常、魔法は純粋な農家の息子では発現しない。少なくとも貴族の血を引くものでないと現れないし、魔法学校に通えるのも貴族か、富裕層の人間だけだ。


 そしてこの炎の霧フレイムミストは魔法学校に行かない人間が使うことはあり得ない。農家でも裕福な家なら、国によっては魔法学校に通えなくもないのだが……。


――絶対怪しい。何者なのかしら。


 お米のいい香りが部屋の中に漂う中、エミリーはリヒトを観察する。柔らかいブロンドの髪、日に焼けない美白なお肌。そしてどことなく品のある仕草。


「男はちょっと謎があるほうが、魅力的に見えない?」


 エミリーの視線に気付いたのか、リヒトは柔らかく微笑む。


「謎なんていらないわ。なぜなら、リヒトに魅力は求めていないから」


 そう返すと、リヒトはあからさまにがっかりした態度を見せた。



◇◆◇



 リヒトは汗だくになりながら熱風をかけ、きりのいいタイミングで樽から蒸し米をすばやく取り出す。このときにも魔法を使った。


 そして大きな机の上に清潔な布を引き、蒸した米を平らにならしていく。


「エミリー、布の向こう側を持ってくれる? 二人でトントンしながら冷ましていこう」


 言われたとおり、二人で両端から布をトントン上げ下げしながら米の温度を下げて行く。充分下がったタイミングでまた米を平らにならしていく。


「さて、エミリーの出番だよ。きょうかい酵母777号を召喚してほしい」


「わかったわ。酵母って菌でしょ? 瓶に入った形で来てくれないかな」


 エミリーの願った通り、瓶に入った白い粉が掌に登場する。それをリヒトが均等に蒸し米に振りかける。


「よし、二人で揉みこんでいこう」


 また言われたとおり、酵母を揉みこんでいく。しばらくやってから布を上にもかぶせていく。


「ここで一晩寝かせよう」


 そう言われて作業小屋から出ると、空は真っ暗で月が浮かんでいる。


「ほら、こんな中で帰ると危ないよ」


「……私に何かしたらこの島を生きて出られないからね。私はローソン公爵家の娘なんですから」


 仕方ないのでリヒトに言われたとおり、ここの空いている部屋を使わせてもらうことにする。


――ヨシノにはしたないって思われないかなぁ。


 エミリーは伝書鳩を召喚する。そして手紙に酒造りで帰れなくなったからリヒトの家に泊まる、何にもないからね! と書いて飛ばすことにした。



◇◆◇



 夕飯は、炊いたご飯と焼いた魚だけで済ませる。本当は納豆も欲しいところだけど、リヒトから止められた。


「お酒の仕込み期間は、納豆は禁止なんだよ」


「えーっ! そうなの?」


「納豆菌はとっても強力だ。麹米に納豆菌が繁殖したらお酒造りが失敗しちゃうんだ。お酒が出来上がるまでの我慢だよ。俺だって納豆大好きなのに、その期間はいつも我慢してたんだ」


「むむむ……。お酒を造るって大変なのね」


 結局その日は、リヒトの家の部屋を借りて一晩を過ごした。

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