実験レポート:結婚2日目(2)
とりあえず、あたしはヤツが買ってきた潤滑ゼリーの外装をはがして枕元付近のベッドの下に置いた。あたしも買ってきたということは、知られないようにしようと思った。
ヤツがバスルームから出てきたときに備えて、あたしはどういう体勢で待っていればいいんだろうと思った。なにせこういうのは初めてだったからだ。恋愛感情がない分、流れというものがわからなかった。触れて、キスして、盛り上がって的な流れではない。あたしたちは計画し、実行しようとしているだけだ。
あたしはとりあえず部屋の電気を暗めにし、下着姿でベッドの中に入った。そうしてしばらくそのまま暗い天井を見つめて考えたのち、下着も取ってしまうことにした。省略できるものは、省略してしまおうと思った。
恥ずかしながら、あたしはドキドキしていた。初めての相手ということもあるし、あたし自身そういうのはだいぶ久しぶりということもあるしで、この先どうなるのか展開がまるで読めなかった。平たく言うと、緊張していた。ヤツが早く来てくれという思いと、もうちょっと待ってくれという思いが混在していた。
やがて、バスルームの折り畳み式の扉が開く音が聞こえた。あたしはベッドの中で思わず身をすくめた。
「暗っ」
ヤツは小さくそう言った。
「…あたしはベッドにいるから、準備ができたら来て」
あたしの声は緊張で少し震えていた。
キッチンのフローリングから畳へ、足音が変化する。あたしは頭から布団をかぶっているので姿を見ることができない。ベッドの傍で、ヤツが服を脱ぐ音が聞こえた。
ついに、ヤツがベッドに入ってきた。緊張がピークに達する。あたしは思わずヤツに背中を向けた。
しばらく無言で、あたしたちはベッドの中で同じ方向を向いたままくっついていた。やがてヤツはゆっくりと後ろから手をまわし、あたしの身体をぎゅっと抱きしめた。そうしてまたしばらくその姿勢のまま動かなかった。あたしの身体が、徐々にヤツの身体になじんでいくのを感じた。
不意にヤツの手が動き、あたしの胸に触れた。ヤツの手がそこでゆっくりと動く。あたしの心臓は激しく鼓動し、無意識にそれを鎮めようとしたのか、あたしは訳の分からないことを口にした。
「お…お前…さ、前に小さいほうが好きって言ってたよな」
ヤツの動きが止まった。
あたしは言葉を続けた。
「あたしのその…ぺぇは…さ、ほら、ちょっと大きいほうだからさ、お前の好みじゃないかもな…」
「ぺぇって…お前どこの団長だよ…」
ヤツはちょっと笑った。
自分でも何を言ってるのかわからなかった。
しばらくして、止まっていたヤツの手が再び微かに動き始めた。
「…いや…なんつーか…うーん…」
ヤツの声は少しかすれていた。
そうしてヤツは小さく咳払いをして、続きの言葉を口にした。
「…俺の中の新しい扉が…開いてくような感じがする…」
その言葉に、あたしは思わず後ろを振り向いた。暗がりの中に、微かに呆けたようなヤツの顔が見えた。その表情を見たとき、あたしはなぜだか妙にうれしくなって肩の力が抜けたような気がした。
あたしはヤツのほうへと身体を向けると、ヤツの胸の中で微かに笑って言った。
「…その扉…開いて入ってこい…」
…
…
…
結論から言って、あたしたちはそれから3回した。
潤滑ゼリーは必要なかった。
それはあたしにとって大きな変革だった。それと同時に、あたしはその中で大きな挑戦を成し遂げた。男の人に、自分がどうしてほしいかを伝えたということだ。
2回目が終わったあとで、あたしはヤツに勇気を出して言った。
「…すごくよかったんだけど、ひとつだけ、お願いしたいことがあるんだ」
「…何?」
「手でしてくれるときに、激しくされると痛いんだ。粘膜だし、デリケートだから、こするのもやめてほしい。傷がつくかもしれないから」
「うそ…良かれと思ってしてた…」
「何で学習したのか知らないけど、激しくせず、絶対に爪を当てず、一定のリズムでやさしくポイントを刺激してほしい」
「リズムキープか…」
「そう…まさしく。あんたも栃木出身だし、SAMだってリズムキープしながら韻を踏んで言いたいことラップしてるんだから、同じようにあんたもあたしの身体から流れるビートを大切に聞いて、リズムキープしながらなおかつバイブスは満タンで自己表現してみてよ」
「うわめっちゃむず…でもそんなの誰にも言われたことなかった」
「これはあくまであたし個人の意見で、あたしは女の子代表じゃないからね。ほかの女の子のことは、ちゃんとほかの女の子に訊いてよね」
「了解。ほかに気づいたことがあったらどんどん言ってくれ」
「わかった。あんたもしてほしいことがあったら言ってね。あんたが『栃木の顔って俺のこと』って言う日を期待してるから」
あたしたちは声を出して笑い、そのあと静かに見つめ合って、キスをした。
あたしはこれまでの彼氏に、こういったことを言うことができなかった。めんどくさいと思われたり、嫌われたりするのが怖かったからだ。それにこのことについてはあくまで男の人が主体で、女の子は受け身でいるべきという認識があった。
だからあたしはずっと我慢していた。不満を口にせず、あたしが痛みに耐えれば、良好な関係を維持できると思っていたからだ。
その呪いは遼太郎に言うことさえ躊躇させた。それでもあたしがあたしの要求を口にすることができたのは、遼太郎を信頼していたことと、愛情を失う恐れというハードルがなかったからだと思う。
あたしがそのことを遼太郎に伝えたあとで、3回目ができたことは本当にうれしかった。多少のぎこちなさはあったものの、遼太郎は真摯にあたしの要求を叶えようとしてくれた。言ってよかったと心から思った。
3回目が終わったあとで、あたしは(多分遼太郎も)くたくたに疲れ果て、いつ寝たのかも定かではないほど深くどろんとした穏やかな眠りについた。
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