実験レポート:結婚1日目(夕)(2)
午後4時36分、あたしたちは目的の駅に到着した。駅を降りて周りを見渡すと、四方を山に囲まれた平野の中にいるのがわかる。
海なし県、初上陸。
海産もの(?)の意気地を見せつけてやるぜ、と勇んで駅の階段を降りると、駅前の歩道から小さく手を振っている女の人が見えた。小柄で、ダークネイビーのワンピースに白いショールを羽織っている。
「はじめまして。遼太郎の母です。本日は遠くからお越しいただきほんとうにありがとうございます」
遼太郎のお母さんは体の前で両手をそっと重ね、涼やかな声でそう言うと気品あふれるきれいなお辞儀をした。栃木のイメージはU字工事かDOTAMAかSAMか例の『ないんだな、それが』ぐらいしかなかったので、あたしは初っ端から足を撃ち抜かれたように膝の力が抜けた。
――これが栃木のお母さんの佇まいというやつか(※個人の見解)。
あたしがうかうかしていると、こちらのデッキから召喚された母がいち早くお母さんの前に進み出た。
「はじめまして、歌子の母の美咲と申します。本日は急に押しかけてしまい大変申し訳ございません。こちら、心ばかりですが、どうぞお納めください」
そう言って母は電車に乗る前に買っておいたお菓子を手渡した。漁師の娘は、なかなかにエレガントな振る舞いをした。
「私が父の典久です。そしてこちらが娘の歌子です」
父は自分の挨拶に併せてあたしを紹介してくれた。
「はじめまして。米村歌子と申します。どうぞよろしくお願いします」
「あなたが歌子さんね。こちらこそ、どうぞよろしく」
そう言ってお母さんは上品で無邪気な笑みをあたしに向けた。
信じていいのか警戒すべきか迷う無邪気さだった。
遼太郎のお父さんとお母さんは、大学の卒業式で見かけた記憶はある。でもあたしたちの輪にぐいぐい入ってきたあたしのお母さんとは違って、遼太郎のご両親は少し離れた場所で息子の姿を見ていた気がする。なにせ10年前の記憶なので、もちろん定かではないが。
「おふくろ、悪いんだけどさ、来る前に伝えたとおり、急いで市役所に連れてってよ。戸籍謄本確認したいから」
ファーストコンタクトで何の役にも立たなかった遼太郎が急かすようにお母さんに言った。
「そうだったわね。それではみなさんはタクシーを呼んでおりますので、先にそちらで会場まで行かれてください。わたしたちも市役所で用事を済ませてからすぐにまいりますので」
それから遼太郎はお母さんの車に乗り込み、あたしたちは言われるがままタクシーで会場へと向かった。
タクシーはやがて街中を離れて木々に囲まれた道へと入っていった。あたしは不安に駆られて隣に座っている母の顔を見た。母はのん気に手鏡を取り出して歯に口紅が付いていないかをチェックしていた。父はあたしと同じように怪訝そうな顔で窓の外の景色を見ていた。ホラー映画ならアップでも使えそうなほど心情を表情で表せていた。
やがてタクシーは脇道へと入り、細く曲がった道をゆるゆると登っていった先に、鏡のような池に囲まれたヨーロッパの古城を思わせる建物が見えてきた。建物は夕日に照らされ、その荘厳さを一層強調しているように思えた。
マジかよ、と思った。
試食コーナーで2、3個食べるようなやつが足を踏み入れていい場所ではない気がした。
建物の入り口で、スーツ姿の遼太郎のお父さんが出迎えてくれた。
「本日は遠路はるばるお越しくださりまことにありがとうございます」
「いやすごい建物ですねー…びっくりしました」
父は素直に感想を述べた。
「私の勤め先の社長がここのホテルと懇意にしていて、事情を話したら一室を手配してくれたんです。私も接待で何度か利用したことはありますが、初めてのときはさすがに気おくれしました」
そう言ってお父さんは笑った。
それからあたしたちはお父さんのあとについてクラシカルな洋間へと案内された。部屋の中央には猫足の長テーブルに赤いベルベット生地が張られた椅子が6脚並べられている。部屋の壁際にはでけぇ花瓶にでけぇ花が飾られている。シャンデリアは小ぶりだ。一般的なサイズを知らんけど。
コーヒーを飲みながら談笑していると、やがて遼太郎とお母さんが部屋に来ていよいよ両家顔合わせとなった。
料理が運ばれてくる前に、婚姻届に遼太郎の本籍とお父さんの署名をもらって完成させた。あとはこれを提出すればミッション達成だ。
食事をしながら、あたしと遼太郎は両方の両親から質問攻めにあった。
どんなところが好き? とか、付き合い始めたきっかけは? とか、そんな甘い質問は一切なかった(それはそれでありがたいことだが)。
そもそも結納はどうするんだ、とか、婚約指輪・結婚指輪は、とか、結婚式は、2人の新居は、新婚旅行は、親戚への挨拶は…等々、結婚にまつわる諸々の事柄をどうするかという、まるで業務会議のような様相を呈していた。
あたしたちは当然、何も考えてはいなかった。
けれどもそれらについて話し合ったことはなくても、互いの意見は一致していた。
省略できるものは、とことん省略する。
あたしたちは慣習に抗う魔法の言葉を有していた。
「いまどき」だ。
あたしたちはこの言葉一つであらゆる儀礼をはねのけていった。
住むところはまあ近々見つけるとして、両家の両親たっての要望で、結婚指輪とフォトウエディングだけは承服せざるを得なかった。まぁこれだけ大ごとになってしまったのだから、それくらいは受け入れなければならないだろう。
食事が終わって歓談中、あたしがトイレから戻るタイミングで遼太郎のお母さんと廊下でかち合った。
お母さんはあたしを見るなり笑顔で「本当にありがとうね」と言った。
「お昼にお父さんから連絡もらったときは、腰が抜けるほどびっくりしちゃった。申し訳ないけど、遼太郎が騙されてるんじゃないかと思っちゃった。
でも今日歌子ちゃんや歌子ちゃんのご両親に会ってお話していくうちに、心から結婚を喜べるようになったの。何よりあなたと話すときの遼太郎が本当にリラックスしてて。この子は本当に、歌子ちゃんを信頼してるんだなぁって思った」
リラックスしてたのはね、お母さん、そこに1ミリも恋愛感情がないからですぜ、と思ったが、もちろん言わなかった。
「遼太郎はどんくさいところがあるから、とろとろしてたら蹴とばしちゃってね」
「とんでもないです、お母さん。わたしはいつも遼太郎さんに助けられてばかりなので、これからはわたしが遼太郎さんの支えになれるよう、努力していきます。
ですのでどうぞ、今後ともよろしくお願いします」
「あらあら、こちらこそ、よろしくお願いします」
あたしたちは互いに深々とお辞儀をし、顔を上げて2人で笑い合った。
これ以上の応対があるというならハガキに書いて送ってきてほしいくらいだ、とあたしは自信満々に思った。
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