実験レポート:結婚1日目(昼)(2)

 そんなこんなで、あたしたちは静岡県の某駅前で母が来るのを待っていた。あたしの隣ではスーツ姿の遼太郎が、楽しそうに駅前の風景をスマホで撮影していた。


 こいつは新幹線の車内でも「旅行とかすげー久しぶり」なんて言いながら窓の外の風景をうれしそうに眺めていた。馬鹿だから緊張感がないのかな、とも思ったが、たぶんそういうことでもないのだろうと思い直した。


 あたしたちは恋人同士じゃないし、お互いに恋愛感情のかけらもない。だからもしこの結婚を反対されたら、とか、その結果2人の関係にひびが入ることになったら、とかいった懸念がない。


 これは恋愛ドラマではなく、純粋なプロジェクトだ。

 計画し、実行し、評価し、改善する。あたしたちはそのために行動している。


 しばらくすると、見慣れた母の車が駅前の路肩に止まった。遼太郎と一緒に駆け寄ったあたしは、車の中にもう一人の人影を発見した。


「お父さん!? なんでいるの? 仕事は?」


 車の窓を開けたスーツ姿の父は、妙に上機嫌であたしに笑顔を返した。


「早退した。母さんに連絡をもらって、急いで出てきたんだ」

「えそれ大丈夫なの?」

「大丈夫も何も、お前の一生に関わることなんだから、当然だろ」


 あたしは父親似かもしれないと思った。


 それから父は車を降り、遼太郎と対峙した。


「荻野遼太郎と申します。よろしくお願いいたします」


 遼太郎はそう言ってあたしが用意したお菓子を父に差し出した。


 父は両手で菓子の入った紙袋の紐…ではなく、そのまま遼太郎の手を包むように固く握った。そうして神妙な面持ちで遼太郎に言った。


「不出来な娘ですが…よろしくお願いします…」

「いや早い早い早い。とりあえず2人とも乗って。うちに帰ってから話しましょう」


 車の中から母がすかさずツッコミを入れた。



 目を閉じても歩けるくらい記憶になじんだ道を車で移動しながら、あたしは母に訊ねた。


「…ねえお母さん。ひょっとして兄貴にも連絡した?」


 ハンドルを握る母は視線を前に向けたまま、後部座席にいるあたしに答えた。


「お兄ちゃん、仕事抜けられないんだって。残念がってたよ」

「言ったんかい」

「そういえば駅に行く途中でお兄ちゃんからLINEが来てて、順子ちゃん(※兄の嫁)も無理っぽいって」

「なにその連絡網」

「久しぶりにお前が帰ってきたから、みんな会いたいんだよ」


 助手席の父が、同じく前を向いたまま言った。


「みんな面白がってるだけでしょ」


 あたしは窓の外を流れる景色を見ながら言った。


 沈黙が訪れた。


 長い沈黙。


 長い、


 沈黙。


 あたしはこらえきれずに言った。


「否定せんのかーい!」



 久しぶりの実家はまるでタイムカプセルに入っていたみたいに以前帰ったときのままだった。けれどもリビングに行くと棚の上の甥っ子の写真が増えていた。子供の成長は早いので、その分、残す瞬間が多いんだろうなと思った。


 テーブルに着き、母がお茶を出し終えたところで、遼太郎が自発的に切り出した。


「本日はお招きいただきありがとうございます。改めまして、娘さん…歌子さんとの結婚をお許しください。よろしくお願いします」


 そう言って遼太郎はあたしの両親に頭を下げた。90点。


 父はしばらく黙っていたが、やがて頭の後ろを掻きながら言った。


「こういう日のシミュレーションをいろいろしてきたんだが、私の返答はもうすでに駅前で終えてしまったからなぁ。改めて、娘をよろしくお願いします」


 父はそう言って遼太郎に頭を下げた。


「ありがとうございます」


 遼太郎は再び頭を下げた。


「ありがとう、お父さん」


 あたしも遼太郎に続いて小さく頭を下げた。


「ただひとつだけ、言わせてほしいことがある」

「はい」


 遼太郎は神妙な面持ちで父の言葉を待った。


「私たち夫婦はこれまで自分たちなりに一生懸命に歌子を育ててきた。出来の悪い娘でも、私たちにとっては誰よりもかわいい、世界にたった一人の娘だ。だから…一点物につき返品交換は受け付けません。ご了承ください」

「……西野カナ?」


 あたしは眉をしかめて言った。


「その通り」


 父は限りなく児玉清に寄せて言った。


「さぁさ、馬鹿なこと言ってないで用紙を出して。証人がいるんでしょ?」


 母がいなかったらこの家はどうなってしまうんだろう、とあたしは思った。


 遼太郎がバッグの中から封筒を取り出し、そこから今朝書いていた婚姻届を取り出してあたしの両親に差し出した。父は老眼鏡を取り出して目をしかめながらそれを掛け、書かれている内容をチェックしていた。


「あれ? お前本籍神奈川の今の住所になってるけど、転籍届なんか出したのか?」

「なにそれ?」

「この子多分そんなの出してないわよ。間違いよ、これ」


 母が言った。


「念のため、ちょっと今から市役所に行って戸籍謄本取ってこよう」


 父がそう言って、あたしたちは再び大急ぎで車に乗り込んで市役所へと向かった。嫌な予感がした。

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