実験レポート:結婚0日目(2)

 木村夫妻が常盤先輩の実家に(ややこしいな)子供たちを見てもらっているということで、同窓会はきっちり2時間で解散になった。ほかの人たちがその後どうしたのかは知らないが、あたしは遼太郎と最寄り駅まで戻り、駅前の居酒屋で飲み直すことにした。


 そこであたしは赤ちゃんのすばらしさと赤ちゃんを産みたいという情熱を延々話した。意外なことに遼太郎も自分の赤ちゃんを育ててみたいと言った。ヤツは保育士で、普段から他人の子供の世話をしているうちに、やがて自分の子供を育ててみたいという感情が湧いてきたのだという。


「情熱は申し分ないから、あと問題は相手がいないことだけだな」


 あたしは枝豆のさやをしゃぶりながら言った。


「何年彼氏いないんだっけ?」


 遼太郎は店員さんから追加で頼んだハイボールを受け取りながら言った。あたしはそれに3本指を立てて答えた。


「3年かぁ…」

「お前は?」

「どんくらいだろ…2年弱くらいじゃない?」

「婚活とかしてんの?」

「1回ね、園長先生に紹介されて婚活パーティーに行った」

「どうだった?」

「まったくダメ。そもそも保育士の給料じゃ戦えないと悟った」

「なるほどなぁ…」

「お前はどうなんだよ?」

「ん? 婚活?」

「婚活とか…出会いとか」

「ねぇな。そもそも結婚願望があるわけじゃないし」

「まぁ…相手にも選ぶ権利はあるからな」


 あたしはヤツのハイボールの中にしゃぶっていた枝豆のさやを投げ入れた。


 ブツブツ文句を言いながら箸でグラスの中の枝豆のさやを拾い上げるヤツの姿を黙って眺めながら、あたしはある考えをひらめいた。


「…お前、あたしと結婚するか?」


 長い付き合いから、こいつはあたしがそう言うと慌てるか噴き出すか鋭いツッコミを返すかの三択だと思った。けれどもヤツの反応は意外なものだった。


「いいよ。その話乗った」

「え? いいの?」


 返事をもらったあたしのほうが動揺してしまった。


「いいよ。結婚しようよ」

「待て待て待て待て、ちょっと一回冷静になろう」


 そう言ってあたしは往年の田村正和のように額に指をあてて考えた。


「そもそもあたしは子供が産みたいだけなんだ。だから変な話、お前はその…種だけ提供してくれてもいいんだぞ?」

「お前こそ冷静になれよ。一人で赤ちゃんを育てるのはめちゃくちゃ大変だぞ。俺はそういうのたくさん見てきた。もちろん成功?達成?してる例はある。でも大変なのは間違いない。子育てなめんなよ」


 職業柄、こいつの話には説得力があった。それにしても、なぜこいつはあたしとの結婚にこんなに乗り気なんだろう。


「お前…ひょっとしてあたしのこと好きだった…とか?」


 あたしは照れ隠しにニヤニヤしながら訊ねた。それに対してヤツは黙って真剣な表情であたしを見つめた。体感にして10秒くらいはあったと思う。


「…いや、ねーな。川で砂金を探すくらい丁寧に自分の心情をすくってみたけどやっぱりなかった。お前を好きになれる要素がない」


 ヤツは吐き捨てるようにそう言い、あたしの唾液が混ざったハイボールをぐいっと飲んだ。あたしはヤツの顔面におしぼりを投げつけた。


 びしゃびしゃになったおしぼりを丁寧に畳みながら、ヤツは言った。


「…9割だ」

「9割? 何が?」

「うちに子供を預けにきたお母さんが、旦那さんの文句を言う割合。体感で9割のお母さんが旦那さんの文句を言ってる。それを聞くたびに思うんだ。恋愛はいつか冷めるんだって。


 好きで好きでたまらない同士が結婚したって、その恋愛感情はいつかなくなってしまう。なら最初からなくてもいいんじゃないかと思うんだ。そしたらがっかりすることも、さびしくなることもない」


 こいつは過去の失恋を思い出しているのかもしれないと思った。いずれにしても、この話を持ち出したのはあたしだ。話のケツはあたしが拭かなくてはいけないと思った。


「…じゃあこうしよう。今は酔ってて冷静じゃないかもしれないから、来週の金曜日、あたしは有休を取る。そして朝からずっと家にいる。だからお前がもしもその時まで結婚する意志があったなら、あたしの家に来い。場所は知ってるよな?」

「保育士は有休取りにくいんだぜ…?」

「一生を決めるんだからそれくらいの覚悟を見せろよ。ただもしもその時までにあたしの覚悟が鈍ったら、有休は取るけど事前にやっぱ無理って連絡するわ。お前も無理だと思ったらその時点で連絡をしてこい。そん時は2人で映画でも見に行ってメシでも食おう。こんなこと言い出しといてあれだけど、あたしはあんたとの友情だけは絶対に壊したくない。だからもしこの話があんたの意に沿わないかたちで流れたとしても、遺恨だけは残さないでほしい。…勝手だけど」

「…わかった。約束する」


 そうしてあたしたちはそれぞれの家へと帰っていった。季節は5月の始め。夜風は少し肌寒かった。

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