友達婚プロジェクト
KeY
実験レポート:結婚0日目(1)
部屋の壁に貼ってある映画『娼年』のポスターの中の松坂桃李がセクシーな視線であたしを見つめている。
そんなに見つめんなよ、照れるぜ。
あたしは頭の中でそう呟きながら、昨日飲んだビールの空き缶や食べかけのポテトチップスの袋がそのまま置いてある乱雑なテーブルの上に置いた鏡を覗き込みながらニキビ跡にコンシーラーを塗っていた。
5年ぶりに開かれる大学の同窓会。あたしは32歳になった。若いころの友達と会うときに、正直どういう格好で会ったらいいのかわからない。大学のころのようなラフな格好で行くべきか、それとも年相応に大人っぽくするべきか。そもそも普段まったく連絡を取ってないような人たちにそれほど気を使う必要があるのだろうか?
そんなことを考えながら、地雷を撤去するように慎重にニキビ跡と対峙していると、テーブルの上のスマホがブブブと振動した。
『お前何時頃行く?』
LINEを開いて遼太郎からのメッセージを確認した。こいつは大学からの友達で、唯一、今でも連絡を取り合っている。
『わからん。今化粧してる。終わり次第出る』
それだけ返信すると、すぐに既読になった。あたしはスマホを手に持ったまま化粧を続ける。そのうちに、手の中で再びスマホが振動した。
『お前知ってた? 川原の石はどんなに時間かけて磨いてもダイヤモンドにはならないんだって』
『タヒねゴミカス』
あたしは手早く返信を打ち、そのままスマホをベッドの上に放り投げた。しばらくしてスマホが振動したような気がしたけど、どうせスタンプか何かだろうと思って確認もしなかった。あたしは今忙しいのだ。
化粧を済ませ、薄いブルーのゆるっとしたシフォンシャツにワイドパンツを履いてマンションの部屋を出た。ドアの鍵をかけてからスマホを確認する。案の定、遼太郎からふざけたスタンプが送られていた。あたしはそのままヤツに電話を掛けた。
「今出た」
「マジで? 思ったより早かったな」
「あんたは?」
「今から準備して出るよ。それじゃあ駅前で待ち合わせで」
「ほいほい」
そう言って電話を切り、最寄り駅まで15分の道のりを歩いた。
改札口で待っていると、しばらくして遼太郎が走ってくるのが見えた。天パで丸顔で眼鏡で、桃李くんとは程遠い見た目だ。それでも今日は普段着もしないジャケットを着ている点だけはほめてやろうと思った。
「今日は年相応の格好をしてるな。いつもフード付きのしか着ないくせに」
「一応ね。あー疲れた」
そう言ってヤツは膝に手をついて息を整えた。あたしは鞄から財布を出し、中から四千円を取り出してヤツに差し出した。
「これ、こないだの飲み代」
「え? いいよそんなの」
「お前におごられたままなのが気持ち悪ぃんだよ。いいから受け取れ」
「いやおごったっていうか、お前が飲み放題でむちゃくちゃ飲んでつぶれただけだろ…」
「うるせえ早く取れよ」
あたしはそう言ってヤツの上着のポケットに札をねじ込んだ。遼太郎は何かぶつぶつ言っていたけど、あたしはそれには耳を貸さず、すたすたと改札口へと入っていった。
遼太郎とは大学の映画サークルで出会った。あたしたちは同い年で、映画や漫画の趣味が近かったこともあってすぐに仲良くなった。あたしが監督・脚本で、遼太郎がカメラと編集を担当していくつかの映画を撮った。遼太郎はまだそのデータを持ってるらしいけど、あたしは恥ずかしくて見ることができない。
あたしの趣味がカルピスの原液くらいの濃度で注ぎ込まれた恋愛映画。願望の結晶と言ってもよいだろう。今にして思うと、こいつはよく真顔でそれを撮ってられたなと思う。…だめだ。思い出すと恥ずかしくなってきた。
あたしと遼太郎は周りから付き合ってると勘違いされるほど仲が良かったけど、あたしがこいつに恋愛感情を抱いたことは一度もない。あたしの名誉にかけて。遼太郎も同じだと思う。経験上、こいつは小柄で目鼻立ちのぱっちりした子が好みだと思う。
実際付き合っていた歴代の彼女もそんな感じの子ばっかりだった。あたしは女の子の中では大柄なほうだし、ナイフのように鋭い一重が持ち味だ。そしてあたしの好みはもちろん、桃李くんのような少年の面影と大人の色気を併せ持つ一粒で二度おいしいイケメンだ。
つまりあたしたちは決して交わることのない平行線を並んで歩き続けているようなものだった。
あたしに彼氏がいたり、遼太郎に彼女がいるときには、あたしたちは互いに極力連絡を取ることを避けた。卒業後の就職先が近かったこともあって、大学を出てからあたしたちは申し合わせることもなく最寄り駅が同じ街に住み始めた。
そのため頻繁に近所で顔を合わせたが、お互いにパートナーと一緒であれば素通りし、いなければ周囲を警戒しながら話すといった関係を続けた。まるでスパイ活動のような関係だ。
履歴が残るような連絡も避けた。頻繁に連絡を取るようになったのはここ最近で、理由はお互い彼氏彼女が切れてしまったからだ。これはいわば非武装地帯のようなものだ。
会場までの3駅を吊革につかまって2人で電車に揺られながら、遼太郎があたしに訊ねた。
「ねえ米村、今日の会場ってイタリアン居酒屋だっけ?」
「和風ダイニングだよバカ。地球の真裏じゃねーか」
「真裏じゃねーだろバカ。日本の真裏は大西洋だよ」
「……え? 日本の真裏ってブラジルじゃないの?」
「ブラジルじゃない。正確には沖縄以外はブラジルに被らない。だから沖縄以外で地面に呼び掛けてもブラジルのひとには聞こえない」
「お前それ営業妨害だぞ」
あたしがそう言うと、あたしたちの前の席に座っていた上品な帽子をかぶったおばさんが噴き出した。それを見てあたしたちは互いに無意味な達成感を共有した。
目的の駅で降りて、遼太郎がスマホのGoogleマップで店の位置を確認しながら会場へと歩いた。
「今日の店のチョイスって常盤先輩?」
あたしが遼太郎に訊ねると、遼太郎はスマホから目を離さずに答えた。
「たぶんね。幹事がそうだし。つっても木村先輩が決めたかもしれない。そのへんはわかんない」
常盤先輩も木村先輩も共に大学の映画サークルの2つ上の先輩で、2人は在学中からずっと付き合っていて、卒業してすぐに結婚した。なので正確には2人とも木村先輩である。けれどもそれだとややこしいし、かといって下の名前で呼ぶのもなんだかなぁということで、旧姓呼びが定着していた。
常盤先輩はこの前3人目を出産したと聞いていたから、あたしは事前に出産祝いとして今治タオル製のスタイセットを買っておいた。抜かりはない。その点遼太郎は何も持たずポケーっと歩いてる。まぁこいつは馬鹿だからしかたない。
……などと思っていたら、こいつは会場に着く間際にジャケットの内ポケットからなにやらファンシーな封筒を取り出し、木村夫妻に会うなりちゃっかり「ご出産おめでとうございます」などと言ってその封筒を手渡した。
どうやらギフトカードらしい。あたしも慌ててスタイセットを渡したが、後塵を拝した屈辱を何らかの形で遼太郎に仕返ししてやろうと心に誓った(※自分勝手)。
結局同窓会には合計8人が集まった。あたしは正直言ってこういう場があまり好きではない。酒は好きだが、できれば仲の良い人と少人数でやりたいほうだ。なんならあたしは一人で焼き鳥屋にだって入れる。
そんなあたしが参加を決めた理由は、単純に、みんなの変化が知りたかったからだ。卒業から10年の時を経て、ほかの人の人生はどういう風に進んでいるのか知りたかった。なぜならなんとなく、自分が何の変化もないままこの10年を過ごしているという焦りがあったからだ。
遼太郎はノーテンキなので論外として、学生時代に同じように時を過ごしていたみんなが、卒業してどのように変化したかが知りたかった。
結論から言うと、みんなほとんど変わっていなかった。話題が思い出話中心ということもあるだろうけど、みんな昔のノリとテンションのまま話しているので、ともすると学生時代に舞い戻ったような錯覚を覚えるほどだった。
そんな中であたしに強烈なインパクトを与えたのは、常盤先輩に生まれたばかりの赤ちゃんの写真を見せてもらったときだった。
「うわ、めっちゃかわいいっすね」
それはあたしの心からの言葉で、あたしはそこに自分自身の変化を感じ取った。
あたしが20代のころは、他人の赤ちゃんを見ても正直かわいいとは思えなかった。誰かの赤ちゃんを紹介されても、もちろん口では「かわいい」と言うのだが、実際のところ何の感情も沸いてこなかった。むしろそれは近寄りがたい、住む世界が違う異質な生命体のように思えた。
でも30を過ぎて、あたしの中の母性が最後の悪あがきを始めたのか、気が付くと街ですれ違うベビーカーすら目で追うようになり、電車で赤ちゃんを見かけると思わずにっこりと微笑みかけるようになった。そうか…あたしは赤ちゃんを好きになったのだ、と痛烈に思った。
木村先輩はさらにその赤ちゃんの動画を見せてくれた。保育器に入った赤ちゃんが、きゅっと握った手を顔の両脇に置き、目を閉じて小さく息をしている。ふわふわで尊くて、命そのものを見てるみたいだった。
産みてぇ、とあたしは強く思った。あたしだけの赤ちゃんを産みたい。ちっちゃくてほわほわしたあたしの赤ちゃんを、この手でだっこしたい。
それは無自覚だったあたしの願望が明確に形をとった瞬間だった。
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