そして花子さんの登場!

 陽がかたむくころに、サコ爺の車では、隣の市の、ちょっと田舎の小学校に到着。

 わたしが通う小学校とは、雰囲気が違った、古そうな三階建ての校舎だ。


「生徒の人数は少ないですね。一学年一クラス、二十人くらいで、全校生徒百人くらいでしょうか」


 そう言って、サコ爺は、運動場のすみっこに車をとめた。

 わたしと翔くんも、サコ爺と一緒に車からおりる。


「わたしたちの小学校より、運動場が広いよね。校舎も大きいな」


 でも、その広い運動場で遊んでいる生徒は、ひとりもいなかった。


「いかにも出そうだな」


 翔くんの言葉に、わたしはどきりとする。

 これは、いろいろな意味で気を引きしめなければ。

 だって、わたしは、その、お化けが得意ってわけじゃないもの……。

 あ、あと、ワニのような、爬虫類も苦手だけれどね!


 あらかじめ、サコ爺が、学校側に連絡を入れていたらしい。

 校舎から運動場へ、先生がふたり、出てきた。

 サコ爺と年齢が近そうな男の先生と、二十代の真ん中くらいの女の先生だ。

 先生ふたりは、挨拶をするわたしと翔くん、そして六十越えのサコ爺といった組み合わせを見て、ちょっと不安そうな顔になる。


 うんうん、わかるよ。

 わたしでも、そちらの先生側にいたら、きっと不安だよ。


 それでも、サコ爺がうまく、先生たちの話を聞きながら、みんなで校舎に向かった。

 今日は、わたしたちが花子さんをどうにかするために、生徒を全員帰宅させているそうだ。

 そういう事情だったら、そりゃあ運動場には、生徒は残っていないよね。


 先生の説明を聞きながら、一番目撃証言が多く、女の子たちが追いかけられたと言われる、一階の廊下の、一番端にあるトイレ前に着いた。


「女子トイレのほうが、目撃者は多いんですよ」


 説明は、もっぱら、西山にしやまと名乗った女の先生だ。

 教頭先生だという男の先生に、ときどき確認するように視線を向けながら、西山先生は言葉を続けた。


「ただ、教師が見回りしても、でないんですよね。なので、教頭先生も私も、まだ見たことがないんです。でも、児童の言葉がウソとも思えなくて」

「それは、やっぱり小学生で、それも女の子の前にあらわれやすいってことですね」


 サコ爺の返事を聞いて、わたしは横を歩いていた翔くんにささやいた。


「ほぉら、わたしがついてきていて、よかったでしょう?」


 クールな顔で、ちょっとイヤそうに眉をひそめた翔くんに、わたしは、ふふんと笑ってみせる。


「それでは、ここからは、我々におまかせください」


 サコ爺に言われた先生たちは、職員室に戻って待機することになった。




「ぼくが行ってもでないのなら、仕方がない。ほら、おとり。さっさと行けよ」


 つっけんどんに、翔くんはわたしに言った。


「はいはい。ちゃんとおとり役をしてきますって」


 そう言いながら、わたしが、女子トイレのドアに手をかける。

 すると。


「――なにかあれば、すぐに悲鳴をあげろよ。助けにいくから」


 そうつぶやく翔くん。

 思わずわたしは振り返り、横を向いていた彼の整った顔を、じっと見つめてしまった。

 すると、翔くん。怒ったような声になる。


「ほら、ぼぉっとするな! はやく行けって!」

「あ。はい、はいはい」


 わたしは、急いでドアを開けて、中に飛びこんだ。


 ――びっくりした!

 いきなり天然で、ドキッとすること、言わないでよ。

 わたし、顔が赤くなってないかな。

 真っ赤になっているところを、翔くんに見られたりしたら、恥ずかしい!

 あ、でも翔くんは横を向いていたから、たぶん見られていないよね?


 わたしは、両頬を軽くたたく。

 気持ちを切りかえると、真面目な顔になって、ゆっくり中を見回した。


 古い校舎なので、塗りかえられていないトイレの壁も天井も、くすんだような色だ。

 ちかちかとしている、薄暗い長電灯。

 ふたつある手洗い場の前には、ふちが黒ずんだ鏡。

 その向かい側には個室がみっつ。

 さらに、その奥にある細いドアは、用具入れだろうか。

 さすがにわたしは、どきどきしてきた。

 怖いの、苦手だなあ……。


「おい、中はどんな様子なんだ」


 そのとき、外から、翔くんの声がした。

 わたしは、ドアのほうへ振り返って、外の翔くんに返事をする。


「待って。いまから順番に、個室を確認していくから。それに、大きな声をだすと、姿をみせないかもしれないし」


 そう言ってから、わたしは考えた。


 恐怖心を取りのぞく効果があるけれど、いまは、九字の呪文で精神統一しないほうがいいかもしれない。

 なぜなら、九字の呪文自体にはらいの効果があったとしたら、花子さんはあらわれない可能性がある。


 そう考えて、ひとりでうなずいたわたしは、そろりと、一番入り口に近い個室のドアに近づいた。

 そっと、ドアを開く。

 中には、だれもいない。


「――ふう」


 息をはいて、わたしはドアを閉める。

 それから、となりの個室の前に立つ。

 ドキドキしながら、ドアをゆっくり開く。

 ここにもいない。

 なんだ。もしかしたら、今日は空振りかも。


 外から、しびれを切らしたような、翔くんの声がした。


「おい」

「待ってってば」


 そう言い返しながら、わたしは最後の個室のドアを開けようとして。

 そのドアは、開かなかった。


「あれ? おかしいな? 引っかかっているのかな?」


 簡単に開かないことに、わたしはちょっとムッとした。

 だから、力をこめて引っ張る。

 それでも開かない。

 いったん手を放して、わたしは気合をいれる。


「おい! 凛音! 気をつけろ! ぼくの刀が鍔鳴つばなりを起こしている!」

「え? 鍔鳴りって、なによ?」


 うわの空で、わたしは翔くんに聞き返しながら、目の前のドアを思いっきり引っ張ろうとして――いきなり内側から、勢いよく開いた。


 ドアの向こう側には、だれの姿もいないはずだ。

 生徒は全員、下校しているはずだもの。

 なのに。


 わたしは、おそるおそる視線をさげる。

 すると、手を伸ばせば届くところに、ひとりの女の子が立っていた。


 白いブラウスに赤いスカート。

 おかっぱに切りそろえられた黒髪の、小さな女の子。


 その女の子は、下からすくいあげるように顔をあげると、かくん、と首をかしげた。

 吸いこまれそうな、大きくて、真黒な瞳。

 目が、合っちゃった。

 そして。


「あ そ ぼ」

「ひっ!」


 わたしは、両手で口をふさいだ。

 けれど、花子さんから、視線がそらせない。

 わたしは、じりじりと、あとずさりして――一気にドアのほうへ向かって駆けだした。


「あっぶねえ!」


 外で様子をうかがっていたらしい翔くんは、バァンとわたしが勢いよく開いたドアに、ぶつかりそうになる。


「凛音、どうなってい……」

「でた! でた! 花子さん!」


 体の奥からわきあがる恐怖で、わたしは廊下を走りながら叫ぶ。

 そして、逃げるわたしの真後ろに、甲高い笑い声をたてながら、ぴったりついてくる花子さん!


「ま っ て」

「なんで? どうしてついてこれるのよ!」


 わたしって、逃げ足がメチャクチャ速いんですけれど!

 どうしても、花子さんを振り切れない!


 振り返ると、おくればせながら、わたしと花子さんのあとを、翔くんとサコ爺も追いかけてくるのが、はるか遠くに見えた。

 でも。

 でも!

 そのあいだに、わたしは、トイレとは反対側の、廊下の行き止まりに追いつめられちゃったの!


 あ~ん!

 こんなことになるなら、あのとき九字の呪文で、恐怖耐性をつけておけばよかった!


 壁を背に、わたしはヘタリと、腰が抜けたように座りこむ。

 その前に、口をにんまりゆがませた、おかっぱ頭の花子さん。

 わたしのほうに、ついっと片手を伸ばして。

 そして。


「つ か ま え た」


 ピトッと、手のひらを、わたしの肩にふれた。


「こ ん ど は」


 わたしの、耳もとに口を寄せて、ささやく。


「つ か ま え て ね」


 ――え?


 顔をあげると、花子さんは、わたしに背中を向けて、パタパタと走りだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る