第57話 恋をしてはいけない気がする

「じゃあ、今日も練習に付き合ってくれる?」

「もちろんです」

 おしぼりを持ってきたヘデラにお礼を言い、改めて対面に座り直す。

 ここ数日占ってもらっているのは、ルーシャスがいつここにやってくるか、だ。

 先日既にミューリアが占ってくれたことでもある。結果、エデル次第、と答えが出ているのだから、これ以上さらになにを占えば良いのか、とエデルは首をかしげたものだが、当のミューリアは練習としては良い題材だと褒めてくれたのだった。

 曰く、ミューリアが占ってくれて答えがわかっているものだからこそ、練習の終着点としては明確でわかりやすいから、ということだった。

 占者のスキルとしてもっとも重要なのは、視えた未来や運命に対し、「具体的にどう行動すべきか」を助言すること、それをわかりやすい言葉で、客のやる気を刺激する言葉で上手に伝えることだ。それが未来を視る技能よりももっと重要なのだ、とミューリアは言った。

 ヘデラのその能力を鍛えるには、エデルを客に見立て、どう助言すれば良いかを練習するのが良い。その題材として良いお題、なのだそうだ。

 着地点としては「エデル次第」と答えは出ているが、その着地点への持って行き方がエデルにもわかっていない。ヘデラはそれを占い、エデルが理解できるように助言していく、というわけだ。

 そう、館の主人であるミューリアにも後押しされたから、ヘデラは連日、エデルを占って練習を重ねていた。

「じゃあ、魔鉱石まこうせきに魔力を少し分けてちょうだいな」

「はい」

 白蛇が舐め取って満足したらしい片手をおしぼりで拭い、それをヘデラの緑魔鉱石りょくまこうせきに触れる。

 魔力を込めるだけなら片手が触れていれば良い。エデルの場合、魔力を流し込みすぎて壊さないようにするのが大変だが、毎日やっているから多少の加減は覚えた。

 緑魔鉱石に魔力が流れたあとは、そこに浮かぶもやのようなものをヘデラが読み取る。これをどう読み取るかも占者の技術のひとつだ。ヘデラはこれを間違えたことはない。ただ、読み取ったことをどう客に伝えるかが、どうにも難しいのだそうだ。

 今日まで何回も挑戦してきたが、エデルは未だにヘデラの助言にピンときていなかった。

「やっぱりねえ、あなたがあなたの気持ちに気づくことが鍵、なのよね。ミューリア姉さんの言う通り」

「気持ちってなんなんでしょうね……」

 連日やっているが、いつも答えは同じだ。

 エデルの気持ち次第。その気持ちとはなんなのか、それが知りたいのに。

「エディが待っている人を大切に思う気持ちよ」

「ルースを大事に思う気持ちなら、それは確かにあるんですけど」

「大事に思う気持ち、の名前をはっきりさせることが重要なんじゃないかしら。だから私、あなたは恋をしてるんじゃないかって言ってるでしょう?」

「それはないですって」

 本当に、ないのだ。

 毎日同じ問答をしているし、ヘデラとの練習時間以外にも考えてはいるが、まさか自分が、ルーシャスに想いを寄せているなんてことはない。ないはずなのだ。

「どうしてないと断言できるの?」

 ヘデラの甘く垂れた茶色の目が瞬く。その疑問にも、もう何度も答えてきた。

「だって、本当にそんなことしてる場合じゃないんですよ。ルースは確かに、わたしが大変なときに出会って助けてくれて……。わたしの困ってることを全部引き受けて解決しようとしてくれてます。でも、わたしがもうダメだ他に打つ手がない! ってときに助けてくれたから好きになっちゃいました、っていうのは違うと思います。たまたまわたしの都合にぴったり寄り添った人がやさしくしてくれたからって好きになるのは、ただの、わたしの利己的な感情でしかないじゃないですか。それはもちろん、やさしくしてくれたから、真剣に助けてくれるから良い人だなって好意はありますけど――」

 好きか嫌いかと二択で問われたら、前者以外はありえない。こんなに良くしてくれる人は他にいない。好きにならないわけがない。けれどもそれは、恋をしたとかそういう意味での〝好き〟には成り得ないと思うのだ。

 そんな理由でルーシャスに恋をしただとか下心を抱くのは、彼に対して失礼な気すらしてしまう。

「それに……助けてくれた人っていうなら、ナイジャーだって同じです」

 ここまでが、エデルが今日までに散々考えた答えだった。

 もしかして、ルーシャスに恋をしたんじゃないの? ――とは、数日前から言われていることだ。けれど、そうではないとエデルは断言してきた。

 ではどうしてそうではないと言い切れるのか考えてみてほしいとヘデラに助言され、この問答を繰り返し、ここまでたどり着いたのだが。

 それでもまだ、自身の回答にも納得できていないような気がしてならない。

 なんだか、必死に言い訳をしているような、そんな気がしてきてしまうのだ。

 今も答えながら、次にどこを突かれるのだろう、と身構えてしまっていた。

 ヘデラはゆっくりとうなずくと、緑魔鉱石から視線を外し、今度はエデルをまっすぐに見つめた。

「そうね。でも、エディはルーシャスとナイジャー、どちらにも等しくまったく同じ感情を抱いているわけではないでしょう?」

「それは……」

 問われると、そうだ、としか言いようがない。

 ルーシャスに対する接し方や距離感と、ナイジャーに対するそれは同じではない。

 彼らふたりの性格が違うから、距離感にも差が出てくるのだ、と結論付ければそうと言えるが、それだけではないようにも思える。

 あのね、とヘデラが続けた。

「今日まで何度も同じことを繰り返して、エディにはその都度、どうしてルーシャスに恋心をいだいたわけじゃないのか、尋ねてきたけれど……。エディの答えは確かに納得できるものだわ。真面目なあなたの性格そのものって感じ。でも、私からすると少し理解ができない」

「……そう、ですか?」

「恋に対して、そんなことをしてる場合じゃないとか、失礼だとか、そんなはずはないとか、どうして理性で留めるような言葉が出てくるのかしら。それが不思議でならないのよ。――大変な時期だったら恋をしちゃいけないの?」

「…………」

 してはいけないのか、と問われると、わからない。否を唱えられない。

 押し黙ると、ヘデラは垂れた目元を和ませて続けた。

「そもそも、恋ってしようと思ってするものでもないでしょうに。同じように、しないようにしようって思ったって止められるものでもないでしょう?」

「……でも」

 今、自分は、恋愛なんてしている場合ではなくて――。

 繰り返しそうになる言葉が、ただの言い訳に思えてくる。

「エディは、なぜ恋をすることに罪悪感を抱いているの?」

「……罪悪感」

 ぽつりとこぼれた言葉が、胸のうちにしっとりと染みて広がっていく。納得感だった。

 そんなものを抱いていたつもりはない――と答えようとしたが、でも、確かに、恋をしてはいけないような気がしていた。誰かを好きになって、それに応えてもらおうとする行為が、ひどく分不相応に思えていたのだ。

「……なんでだろう」

 ヘデラが茶色の目を緑魔鉱石へと戻す。

 なにかに気づいたように、わずかに目を瞠った。

「あら……苦しそうにもがいている子がいるわ」

「え?」

「あなたの魔粒子まりゅうしよ。形が変わって、ほら。この黒いもやから逃げようとしているように見えない?」

 言われてみると、そう見えるかもしれない。

 ヘデラの緑魔鉱石に溜めたエデルの魔粒子は淡い緑色の煙のような形をしていて、その周りに黒いもやがある。エデルの魔粒子がエデル自身、黒いもやのようなものはエデルの状況を表す周囲の環境のようなものなのだ、とヘデラは教えてくれた。

 その黒いもやがエデルの魔粒子を覆うように広がっては、緑の魔粒子がもがくようにそれから逃げ出す。またもやが追いかけては緑の魔粒子がもがき逃れる。その繰り返しが見て取れた。

「これは、どういう?」

 エデルには、この緑魔鉱石に見えているものをどう読み解けば良いのかわからない。ヘデラに尋ねると、彼女もじっと真剣に緑魔鉱石とエデルとを見比べた。

「エディはね、なにか、心の奥底で囚われているのね。罪を犯したのよ」

「罪……」

「ああ、誤解しないで。それはエディが罪だと思っているだけで、実際にはあなたが悪くないことでもあるかもしれないの。――例えば、あなたのせいじゃないのに、誰かにエディのせいだって言われてしまうとするでしょう。あなたは自分のせいじゃないとわかってる。でも、誤解されてたくさんの人に「おまえのせいだ」って責められ続けたら、もしかして自分が悪いのかも? って思えてきちゃうこと、ない? もしくは、ひとりの人からでも何度も何度も「おまえのせいだ」って責められ続けたら、やっぱり自分のせいのような気がしてきてしまう」

「――――」

 そんなこと、あっただろうか。過去に、おまえのせいだと責められ続けたことが、いつか――どの時点で。

 思案しても、すぐには思い浮かばない。

「本当はエディは悪くないのに「自分のせいかも」って思っていることも、この緑魔鉱石には罪として現れてしまうのよね。それで今、あなたはそういう潜在意識から逃れようとしているの。良い調子よ」

「罪から逃れるのは良いことなんでしょうか」

「もちろんよ。逃げるっていうと悪いことのように聞こえるかもしれないけれど、言い方を変えればこれは前進よ。過去に別れを告げて新しい自分に生まれ変わろうとしている証拠なの。新しく一歩を踏み出そうとすることが悪いことではないでしょう?」

「それは、まあ」

「新しい自分――新しい価値観や、新しい、罪から解放された自分になろうとしているのね。たぶん、それが〝エデル次第〟の答えになるのよ」

「なる……ほど?」

 ピンとこないまま首をかしげると、ヘデラは綺麗に整った眉をつり上げた。

「よくわかってないわね。つまり、」

「ヘデラー! いつまで練習してるの。そろそろ営業時間よ」

「あ、はーい!」

 ここでヘデラが先輩に呼ばれてしまったので、練習会はお開きになってしまった。

 けれどもまだ言い足りない様子のヘデラは自身の魔鉱石を片付けながら続ける。

「つまり、〝なんか恋しちゃいけない気がする〟っていう気持ちの根本を解放してあげれば、エディは前進できるんだわ。罪悪感を抱いている時点で、あなたはもうあなたの中でやっちゃいけないと思い込んでいることをやってるのよ。そうでなきゃ罪悪感は抱かないでしょ。――明日までによく考えておいてね!」

「はあ。……ありがとうございました。お仕事がんばって!」

「エディは夜ふかしせずに寝るのよー」

 先輩たちに引っ張られるように客を迎える準備に行ってしまったヘデラを見送り、エデルは与えられた部屋に戻る。

 また難しい宿題が増えた気がして、エデルは頭を抱えてしまった。

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