第52話 ミューリアの占い
「私はね、自分と自分に関係する人に起こる未来のことは視えるけれど、他人の過去を知ることはできないし、自分と関係しない人の未来もそうはっきり視えるわけじゃないわ」
言いながら、ミューリアはどこからか持ち出した石を小さな台座のようなものに乗せ、机に置いた。
ちょうど両手で一抱えもある、ほのかに色づいた丸い石である。暗く赤い色をしているが、ほとんど透き通ったその色に見覚えがあった。
「魔鉱石ですか?」
「そうよ。
「はい」
「赤魔鉱石はね、
「あ……ハイ」
どこまで知っているのだろう、と思う。
くすくすと笑われて、エデルはちょっと恥ずかしくなった。
「この赤魔鉱石はね、魔鉱石の原石とは違って、占うための
「それがこの台座ですか?」
「そうよ。この魔導具の台座に赤魔鉱石を置いて、占いたい人の魔力を流してもらうの。そうすると、この赤魔鉱石に模様が浮かぶ。その模様を私たち占者がみんなにわかり易い言葉に置き換えるの。それが占うってことなのよ」
「はあ……」
難しいわよね、とミューリアは笑った。
「ちょっと試しにやってみましょうか。――あら」
エデルの首元からふかふかの白蛇がひょっこりと顔を現した。ハイネックのシャツから無理矢理出てこようとするものだから、襟首が引っ張られて「ぐえ」と声が漏れる。
ぎゅわ、と小さな鳴き声を上げたのは、白い羽毛に覆われた蛇のような竜――ウィットランドーグの幼獣だった。
「久しぶりに顔を見せたわね。こんにちは」
うふふ、とミューリアは機嫌よく笑って白魚の手を差し出す。幼獣は口吻の突き出た口を伸ばし、確かめるようにスンスンとにおいを嗅ぐ。そうしてから、やや警戒するように頭を引っ込め、しかしするりとエデルの首元から離れると、蛇のようにするすると這ってミューリアの赤魔鉱石に寄っていった。
「あっ、こら」
なるほど、赤魔鉱石に反応したらしい。
ウィットランドーグのような
しかし、この赤魔鉱石はミューリアの大切なものなのである。
エデルがこの幼獣の世話を任されている以上、勝手なことをさせるわけにはいかなかった。
「ごめんなさい」
幼獣のにょろにょろとした体を引っ掴み、引き寄せて赤魔鉱石から離す。幼獣はぎゃうぎゃうと抗議の声を上げたが、こればかりは許すわけにはいかなかった。
「朝ご飯はさっき食べたでしょ」
「良いのよ。どうせこの大きさじゃ食べられないわ。中に魔力が溜められているとそれを吸われてしまうけれどね」
「ほらよ、エディ。これやんなよ」
横からナイジャーが透明な石屑の入った革袋を差し出してくれた。幼獣はそちらに反応してパッと飛びつくが、中の魔鉱石にはまだ魔力が満たされていないとわかると、わかりやすく不満そうな顔をする。
「ありがとう、ナイジャー」
「体は小さくてもウィットランドーグは特級獣魔だものね。必要な魔力も相当なものでしょう。特にこんな小さな子なら成長のためにたくさん食事が必要だわ」
エデルが石を取り出して、幼獣に食べさせるための魔力を込めようとすると、ミューリアが制止した。
「待って。それ、私があげても良いかしら?」
「良いですけど、でも、魔力を消費することになるから……」
「これくらいなんてことはないわ。あげてみたいのよ」
そういうことなら、とエデルは魔鉱石の石屑をミューリアに渡す。幼獣はエデルからもらえるものだと思ってしきりと手にまとわりついていたものだから、急にその矛先がミューリアに向いてしまって戸惑ったように顔を上げた。
「ミューリアさんからもらえるよ」
「ぎゅ……」
エデルの腕に長い胴を巻き付け、石屑の行く末を見ていた幼獣だが、エデルからもらえないとわかると少し警戒するように首を引っ込めた。
この幼獣は、あの倉庫での騒動以来、すっかり臆病な性格になってしまったようだった。――というより、もともとそう簡単に人に懐く性質ではなく、よくよく慣れた人間にも媚びないのがふつうなのだ、とナイジャーが教えてくれた。この幼獣は一般的なウィットランドーグから大きく外れて人懐っこい性格だと思ったのだが、どうもあれ以来、エデル以外に強い警戒心を抱くようになってしまっていた。
今のところ、エデルの首元を巣と決めて、エデルがひとりのときでないと姿を現さない。ナイジャーとふたりきりのときは、にょろりと首から出てきてエデルの膝の上などで眠っていることもあるが、彼にも触れられることは嫌がった。
この深淵の館の人たちの前では、ちらりとも姿を見せたことはない。
エデルがミューリアと関わることが一番多いから、彼女の前ではときどきほんの少し顔を見せる程度だった。
今は「おやつがほしい」という動機があるから逃げはしないが、やっぱり警戒心は強い。だが、食い意地もまた一丁前に張っている。
「さあ、どうぞ」
ミューリアが自身の魔力を込めた魔鉱石の石屑を手のひらに乗せ、幼獣に差し出した。
幼獣はしばらくエデルとミューリアとを見比べたあと、エデルからもらえないらしいとわかると諦めたようにミューリアの手に顔を寄せる。なるべくミューリアの手に触れないよう口先で器用に石屑を拾い上げると、さっと離れてエデルの手元に引っ込み、ようやくそこで石屑を味わう。警戒心は強いが、絶対にもらえるものは逃さない。強い意志が見て取れた。
「食い意地張ってんなあ。飯だけは俺の手からも食うもんな」
ナイジャーがからからと声を上げるので、エデルもつられて笑った。
「早くここのみんなにも慣れてくれると良いんだけどなあ」
こう見えて、この幼獣は深淵の館の従業員に大人気だった。姿も見せない幼獣だが、遠目からでも様子が確認できるだけできゃあきゃあと騒がれる。若い女性しかいないので、みんな幼い獣がかわいくて仕方がないらしい。
「それだけじゃないのよ。竜系獣魔というだけで、黒層ではお目にかかることもほとんどない種族だものね。それがこんなところで見られるなんてとても貴重なことなの。竜系の中でも特にウィットランドーグなんて、一生に一度本物を目にできたらそれだけで自慢できるくらいよ。この白い美しい毛並みは誰もが憧れるものなのよ」
「そんなにすごい子なんですか、この子」
「ええ。もちろん」
ミューリアは幼獣が手のひらの石屑を拾っていく様子を楽しそうに眺めている。近づいてきたからといって決して無理に触れようとしたりはせず、幼獣の好きなようにさせている。きっと触れたいだろうに、幼獣のペースを優先できる辛抱強い人だ。
「この子、もう名前は決まっていて?」
幼獣から視線を外さないままのミューリアに尋ねられ、エデルはちょっと困った顔になった。
「ああ、それが、まだどうしようかなって悩んでるんです。名前をつけちゃうと、それってもうわたしの子になるっていうか……」
「お名前をつけると愛着が湧いちゃうわよね」
「そうなんです。でも、竜系獣魔を飼い馴らすにはすごくお金がかかるって聞きました。食事のこともそうだし、いろいろ手続きがあって、価値のある獣魔だから盗まれないようにしなきゃいけなくて……。そういう、この子の命を預かる責任はわたしには負えません。幸せにしてあげられない……」
せっかく懐いているのだ。この際名前を決めて、エデルの騎獣にしてしまえば良いとナイジャーは言った。今はまだ幼いが、成長すればエデルを守る立派な護衛になる。
特級獣魔を下せる実力のある者は、傭兵の中でもほんの一握りだ。
過去には、ウィットランドーグの成獣を捕獲しようと国が兵を挙げて一個中隊を派遣し、壊滅を喫した記録もあるくらいなのである。それくらいの潜在能力を秘めた幼獣が、エデルを親のように慕って懐いている。これを利用しない手はないとナイジャーなどは言うのだが、エデルにはどうしても、この小さなかわいい生き物が幸せになれるかどうかを考えてしまうのだ。
「エディはやさしいのね」
「……そんなことは」
そんなことはない。これもまた、保身なのだ。
エデルは自身が幸せになれるとは思っていない。
この社会で生きていくには魔力のことをひた隠しにしなければならないし、そうなればどうやったって「魔力のない人間」として蔑まれるしかない。魔力のことが知られたら、今のように悪い人間から追われる。そんな自分の境遇に、この小さな生き物を巻き込むのは不憫だ。
それに、強く賢い獣魔だというのなら、この子が大きくなったとき、こんな面倒なエデルのそばにいることに嫌気が差してしまうかもしれない。そうしてエデルのそばを離れてどこかへ行ってしまうかもしれないと思うと、どうにも怖いのだ。
じっと黙り込んでしまったエデルに、ミューリアは何を思っただろう。
幼獣がすっかりミューリアの手の中から石屑を食べ終えると、自身の赤魔鉱石をそっと撫でた。
「それなら、ひとまずはエディのことを占いましょうか。あなたのこれからのこと……このちいさなかわいい子とどうしていったら良いのか……それから、ルーシャスのこともね」
そのために、とミューリアはエデルを見つめ、目尻をやわらかく下げて微笑んだ。
「あなたのこと、いろいろ聞くから教えてちょうだいな」
穏やかでやさしいミューリアの言葉に、エデルはしっかりとうなずいたのだった。
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