第53話 ミューリアの占い②
ミューリアは占う体でエデルに質問を重ねていたものの、実際には占うというより、ただ話し合いをしている感覚に近かった。
生まれ育ちを聞かれて、
「そんなに詳細に教えてくれなくてもいいのよ。話しにくいことは言わなくても良いの」
「あ、すみません。引き取られたときのことってあんまり覚えてなくて……。でも、占うのに情報が必要なんじゃないんですか?」
ミューリアは少し目を瞠り、それから申し訳無さそうに眉を下げた。
「気を遣ってくれたのね。先に説明しなくてごめんなさい。占いには占う人の情報は確かに必要だけれど、その人の人生のすべてが必要なわけじゃないの」
「そう、なんですか」
「そうね。どう言ったら良いかしら。――エディが今困っていることって、お父様に引き取られたときのこと?そうではないでしょう。十年前に起こったことではなくて、今起こったこと、その今起こったことも、関係しているのはせいぜいこの数年の間の出来事よね。だから、最近のことや今の困りごとの周辺の出来事が詳細にわかれば、自ずとこの魔鉱石に未来や運勢が出てくるわ」
「そっか。確かに」
「でもね、今の困り事も、遡ってみたら幼少期に起こったことが少しだけ関わっていたりすることもあるでしょう。だから生い立ちを尋ねるけれど、覚えているだけ、話したい部分だけで良いのよ。もしも話したくなくて意図的に伏せた部分があったとしても、今のあなたが困っていることと関係していれば、無意識に自然と思い浮かべているでしょうから。そうしたら、この魔鉱石が必ず視せてくれるわ」
「はい」
答えながら、エデルは内心で疑問を抱く。
そうだとしたら、彼女に嘘は通じないのだろうか、と思ったのだ。
見せたくない、教えたくなくて伏せたとしても、彼女の赤魔鉱石が暴いてしまうのなら隠す意味がない。それとも、そういうことも暴いてしまうから、敢えて口にする必要はない、ということだろうか。
思考にふけると、ミューリアは察したように苦笑した。
「けれど、それは必ずしもあなたの心の見せたくない部分まで暴くものじゃないの。あなたが無意識に「こういう形でなら知られても良い」って思うものを視せてくれるのよ。だから安心してちょうだいね」
「あっ、そういうことなんだ」
なるほど、とうなずいて、エデルは素直に口にした。
「あの、そう、小さいときのことってあんまり覚えてないんです。だから、だいたい七歳くらいのときに引き取られて、それからはずっと緑層の村で養父と暮らしてて……そのくらいしかなくって。――あ、そうだ。養父に引き取られる前、好きだった男の子がいたんです」
今、話していて思い出した。本当に、ふっと脳裏に思い浮かんだのだ。
どうして忘れていたのだろう。忘れていたことが信じられないほど、大切な気持ちをくれた少年だったのに。
「えっマジ?」
意外にも反応を示したのは、隣でずっと黙っていたナイジャーだった。竜の目を見開いて急に身を乗り出すものだから、エデルは驚いて肩をすくめてしまう。
「あらあら。素敵ねえ」
ミューリアもコロコロと笑うのだが、なんだか誤解されている気がしてエデルは眉をひそめた。
「あのぉ、たぶん、ふたりが想像してる〝好き〟じゃないです。こういうわたしにも気にかけてくれて、そばにいても嫌な顔をしなかったから好きだった、って言ったらわかるかな」
エデルは小さいときからどこへ行ってもお荷物だった。
魔力が使えない。貴重な魔鉱石に触れさせたら壊す。
魔鉱石だって、いつでも安価に手に入れられるものではない。特に貧しかった幼少期は、魔力の入っていない空の魔鉱石でさえ手に入れるのに苦心して、だからそれを壊すエデルは蛇蝎の如く嫌われた。実際、そのことが原因でたくさんの人を怒らせた。大人も、子どもも。記憶にかろうじて残っているひとつふたつのエピソードを思い浮かべても、よく殺されずに生き延びたな、と思うくらいだ。
養父に引き取られるまで、エデルには頼れる人がいなかった。その中で、唯一エデルを気にかけてくれた少年がいた。浮浪児仲間にまで嫌われるエデルを和の中に引き入れ、拒絶する子どもたちを取りなし、とりあえず、死なない程度の居場所をくれた。
その彼のことが好きだった。彼しか頼れる人がいなかったのだから、小さかったエデルが懐くには十分すぎる理由だった。――そういうニュアンスだから、甘酸っぱい幼少期の思い出、なんて生ぬるい感情ではない。
口にすれば、ナイジャーもミューリアも神妙な顔をしてしまう。別段、恋心と勘違いされて気を悪くしたわけではないのだが、なんだか悪いことをした気になってきた。
「なんか……ごめんな」
ついにナイジャーが真面目な顔で謝ったので、エデルは慌てて首を振った。
「あ、ああ、いや、怒ってるとかじゃなくて……。でもその、ほら、ふたりが思う〝好き〟じゃなくて、ただ仲の良いお兄さんみたいな人がいてくれたなって、それだけだから」
「エディが嘘偽りない話をしてくれていることはちゃんと石にも出てるからわかってるわ。勘違いしてごめんなさいね。こういう話題、好きだからどうしても」
恥ずかしそうに頬に手を当てるミューリアに、エデルも苦笑するしかない。
「ヘデラさんたちも好きですよねえ」
ヘデラ、というのはこの店――深淵の館の従業員のひとりだ。今朝エデルにサンドイッチを持たせてくれたのが彼女だった。
彼女だけでなく、従業員の女性たちはみんな人の恋路を覗き見るのが好きだ。話を聞くのも好きだし、恋占いを得意としている人も多かった。
恋占いというと、気になる人との相性を占ったりして、当たるかどうかはあなた次第――といった娯楽要素を持つものが想像されやすいが、ここで行われている恋占いは種類が全然違う。
なんといっても、彼女たちは本職の占者なのだ。
単純に恋占いといっても、具体的に気になる人との相性を視て、より良い関係になるためにどういう行動を取るべきか、微に入り細に入り指導する。占者の助言にきちんと従えば確実に望んだ未来が得られるのだが、実際に行動に移せる人は驚くほど少ないらしい。だから当たるかどうかはあなた次第、なんて言われるようになったのだ、とヘデラなどはため息をついていた。
その彼女らに、「エディはナイジャーとどういう関係?」などときらきらとした目で聞かれたのは、この館に滞在し始めてすぐのことである。ただの依頼者と傭兵だと何度も説明はしたのだが、今でもなんだか勘違いされているような気がしてならない。――実は従業員たちの間で、「エデルはルーシャスとナイジャーのどちらと恋仲になるか」で勝手に占われて賭けの対象になっていたりもするのだが、エデルには知る由もなかった。
「そういえば、ルースはそのお兄さんに似てるなあ」
「うん?」
不意に少年のことを思い出すと、それをきっかけにしたように彼との遣り取りがいくつか蘇る。その思い出のどれもが、なんだかルーシャスの行動と似ているのだ。
首をかしげたナイジャーにエデルはくすりと小さく笑った。
「そのね、構ってくれた人が。世話焼きなんだけど、細かいっていうか。毎朝着替えると「寒くないのか、もう一枚着たらどうだ」とか、珍しくてあちこち見てたら「きょろきょろするな、怪しまれるぞ」とか、ルースもしょっちゅう言ってたでしょ。ああいうの、似てるなって」
「あー……」
「あ、そうだ。いらないって言ったのにいちごくれたとこ、ほんとそっくり」
思い出したら笑えてきた。
きっと、構わずにはいられない
他人から見ればルーシャスの構い方はお節介なのだろうし、実際ナイジャーも「赤ん坊じゃないんだから少しは自由にさせてやりなよ」と窘めていたことがある。けれど、エデルはそういうお節介を嫌だとは思わなかった。誰かに気にかけてもらえることが嬉しくて、口うるさくされている間は安心感すら抱いていた。まだ自分を気にしてくれるつもりがあるんだな、と心のどこかで思っていたのだ。
そういうところが、かつての少年にもあった。あのときのエデルはもっとずっと小さかったから、それこそ一から十まで世話を焼かれていた。朝起こしてくれるところから、顔を洗って着替えを手伝ってくれて、食事を分け与えられ、エデルを嫌う浮浪児仲間が意地悪をすれば、どこからともなくすっ飛んできて仕返しをしてくれた。ルーシャスも、エデルを狙う追っ手から守ってくれている。同じだ。
だからきっと、彼のそばにいると安心するのだ。
なのに、今はその彼の行方が知れない。
エデルは目先の不安を思い出して、そっとため息をついた。
その思考するエデルに気づかれないよう、そっと言葉を交わす男女がいた。
ナイジャーとミューリアである。
ナイジャーは大きな手でそっと壁を作るように口元に当て、ミューリアに尋ねた。
「……これ、やっぱりワンチャンあるよな?」
「可能性どころかそのものの
「下手するとあっちにも自覚なさそうなんだよなあ……」
遠い目をしたナイジャーが深く息をつく。
ミューリアは細い眉をきりりとつり上げて、気合いを入れた。
「なんとか収まるところに収まるように誘導するしかないわね」
「頼んだぜ、姉さん」
「あなたはルーシャスのほうをなんとかなさい」
「マジかぁ……。てかあいつマジどこ行った?」
「それは今から視てあげるから」
そんなふたりの応酬の合間に、エデルがぽつんと呟いた。
「ルースは……ちゃんと来るかな」
「…………」
押し黙ったふたりのうち、先に声を掛けたのはナイジャーだった。
「来るさ。それを今から占ってくれるっていうから、元気出しなよ」
エデルの大きな碧い目がくるりと潤み、瞬く。
それがいじらしく哀れで、ナイジャーはこんな顔をさせる不在の相方を内心で罵ったのだった。
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