第三話・セーム平原の戦いⅡ
戦場で起きている異変にカイはすぐに気がついた。
戦場中央の王国軍が突如後退を開始し、敵の戦線が崩壊し始めたのだ。
一見王国軍が敗走しただけに見える。
だが━━。
(妙だ……。奴らが退くほど押せてない筈だ)
戦場中央の王国軍は士気が高く、連携が取れていた。
おそらく敵はこちらが主力を配置した中央に精兵を置いたのだろう。
そんな彼らが容易く崩れるとは思えない。
それに先ほど王国軍本陣から放たれた火矢がどうにも気になる。
「敵が崩れたぞ!! 追い散らせ!!」
敵の後退を好機ととらえた帝国軍が追撃を始める。
それによりこちらの隊列が乱れ、中央部が突出する形になった。
「おい、カイ! 嫌な予感がするぞ!?」
「分かってる! だがもうどうにもならねぇ!!」
帝国軍の隊列は既に伸びきっていた。
敵が敗走したと思いこみ、興奮状態に陥った兵士たちは手柄を立てようと我先にと敵を追い始める。
何かがおかしい。
嫌な予感がどんどん強くなっていく。
そしてその予感が的中した。
「……も、森から!!」
誰かが悲鳴のように叫び、皆が森の方を見る。
木々の間を駆け抜けて、現れる騎兵たち。
白鷲の旗を靡かせ、ランスを持った騎士たちは隊列を組みながら帝国軍の突出部に向かって駆ける。
白鷲騎士団。
レイクランド王国最強の騎士団による奇襲が行われたのであった。
※※※
レイクランド王国軍による奇襲は戦況を決定づけた。
奇襲をまったく予想していなかった帝国軍は騎兵部隊による側面からの突撃に粉砕され、壊滅する。
更に後退していた王国軍は一斉に反転し、戦線崩壊した帝国軍に襲いかかる。
大混乱に陥った帝国兵たちは次々と逃げ出し、どうにか冷静さを取り戻した軍団も王国軍の猛攻を前に次々と斃れていく。
左翼の戦場も中央壊滅により動揺し、傭兵たちが「も、もうダメだ!!」と逃げ出そうとし始めていた。
「ひ、退くなっ! 退くんじゃな━━ッ!?」
馬上で指揮をしていた騎士の首に矢が命中し、落馬する。
それが最後の一押しであった。
指揮する者が討たれたことにより傭兵たちは統率を失い、恐慌状態になる。
(クソッ!! 最悪だっ!!)
戦場で最も恐るべきものは恐怖だ。
恐怖は病のように伝播し、兵から戦う力を奪う。
幾度の戦いを経て精強となった兵士も、一度恐怖に取り憑かれれば忽ち弱卒と化すのだ。
恐怖に呑まれた兵士たちは敵に背を向け、我先にと逃げ出す。
だがそれこそが自ら死に飛び込むことになるのだ。
既に敗北は確定したと判断したカイは先ほど斃れた騎士の馬に跨り、戦場を見渡す。
そして森の方を剣で差すと「森に逃げこめ!!」と指示を出した。
「正気か!? あっちには敵がいるんだぞ!?」
「平地じゃ騎兵から逃げられねぇ!! 敵を突破して森に逃げ込むしかねぇ!!」
ザガラン砦の方角は逃げる帝国兵が殺到したせいで機動力が削がれている。
ならばまだ手薄な森の方向に突撃を仕掛け、突破した方が生き残れる可能性が高いだろう。
カイの言葉にデニムは頭を掻くと「やるしかねぇか!」と頷き、「死にたくなかったらカイに続けぇ!!」と大声で指示を出した。
それに合わせてカイは馬で駆け始め、森の方に向かう。
進路上の敵を次々と斬り、必死に道を切り拓く。
その姿を見た傭兵たちは僅かに冷静さを取り戻し、森目掛けて突撃を開始する。
敵もそれを防ごうと立ちはだかり、一人の騎士が「傭兵風情がっ!!」とカイに向かって突撃してきた。
真っ直ぐにランスを構える騎士に対してカイは舌打ちし、十分に敵を引きつけると上体を大きく逸らしてランスの一撃を回避する。
そしてそのままの勢いで剣を力任せに振り、騎士の脇腹に斬撃を叩き込んだ。
剣が胴の中ほどまで達した騎士は大量の血を吹き出しながら落馬し、その光景を見た傭兵たちは歓声をあげた。
※※※
「なんと……!!」
傭兵が一太刀で騎士を斬り捨てたのを見てフォルカーは思わず感嘆の声をあげてしまった。
斬られたのはゲーデ家の騎士であり、勇猛果敢で有名な男だった。
それをたったの一太刀で斬ってしまうとはあの男……。
「例の傭兵ね」
リシテアの言葉にフォルカーは頷く。
そして主の娘を横目で見ると彼女は食い入るように傭兵を見つめていた。
(やれやれ……面倒なことを言い出さなければいいが……)
もしあの傭兵を生け捕りにしろとか言い出したら大変だ。
ああいう手合いは近づけば誰彼構わず噛み付く猛獣だ。
多くの血が流れることになるだろう。
「閣下、ご息女が妙なことを言い始めたら」
「ハッハッ。無論止めるさ」
「そりゃよかったです」とフォルカーは胸を撫で下ろす。
そして再び戦場の方を見ると「しかし、これは拙いですな」と唸った。
戦場左翼は突破されつつある。
逃走する敵兵を追撃する部隊が多く、左翼が手薄になっていたのもあるが、あの傭兵の気迫に兵士たちが及び腰になっているのだ。
「クローヴィケル卿! 私に行かせてください!!」
そう言ったのはエーレンバッハ家に仕える若き騎士、スヴェン・ランドールだ。
スヴェンは若手の中でも特に優秀な騎士で、短槍を扱わせれば右に出る者がいないと言われている。
彼ならばあの傭兵を止められるかもしれない。
しかし━━。
「勝ち戦でわざわざ命を危険に晒す必要は無いぞ?」
「分かっています。ですが目の前でみすみす敵を逃せば誇り高きエーレンバッハ家の名折れとなります!」
「どうか私にご指示を!」と意気込むスヴェンを見てフォルカーはコンラートに「如何しましょうか?」と訊ねる。
するとコンラートは己の髭を摩り、それから「スヴェンよ、己が務めを果たせ」と頷いた。
「ありがとうございます!! よし! 何人か着いてこい! あの傭兵を討ち取るぞ!!」
スヴェンと共に五人の騎兵が丘を駆け下り、傭兵の方へ向かう。
その姿を見送りながらフォルカーは少し心配そうに眉を顰めるのであった。
※※※
カイたち傭兵部隊は被害を出しながらも王国軍を突破しつつあった。
突破された王国軍も本気で追撃しようとはせず、半ば見逃すような動きをし始めている。
(そうだ、それでいい! 誰だって勝ち戦で死にたくはないからな!!)
既に勝利している彼らからすれば帝国軍本隊ならともかく、逃げる傭兵部隊を相手に無駄な犠牲を出したくない。
突破さえすれば追撃はされないという判断は正しかったようだ。
ならば後は森に逃げ込み、ほとぼりが冷めるまで潜伏するのみ。
だが━━。
「騎兵が追ってくるぞ!!」
小さな丘の方角。
エーレンバッハ公爵家の陣から数名の騎兵が追ってきているのが見えた。
僅かでも手柄を立てようとした騎士が追撃してきたのだろうか?
兎に角厄介なことである。
「……?」
いや、騎士たちは傭兵たちを無視していた。
逃げる彼らを追い越し、真っすぐに向かうのは━━。
「俺が狙いか!!」
舌打ちする。
敵の狙いは間違いなくカイであった。
相手は白鷲騎士団に匹敵するエーレンバッハ家の騎兵。
このまま逃げ切るのは難しいだろう。
「デニム! お前たちはそのまま逃げろ!!」
「お、お前は!?」
「俺は深追いしてきた馬鹿どもを蹴散らしてから逃げる!」
デニムは僅かに躊躇った後、「ま、任せた!」と他の傭兵と共に逃げ出す。
そしてカイは反転し、ゆっくりと深呼吸をすると騎兵たちに向かって突撃を開始する。
互いに真っすぐ。
正面衝突の進路で馬を駆けさせ、そして━━交差した。
すれ違う一瞬の間に騎兵隊の先頭にいた騎士と切り結ぶ。
カイの剣と敵の短い槍がぶつかり合い、弾かれ合うと即座に反転した。
敵も既に反転しており、再びすれ違いざまに攻撃を叩き込み合う。
そのままお互いの尻を追うように駆け、そしてやがて二人は並走するようになる。
カイが両手剣を力強く振って敵を叩き斬ろうとするのに対して敵は馬上で短槍を巧みに扱い、受け流していく。
(やりやがる……!!)
騎馬での戦闘では敵の方が一枚上手だった。
緩急をつけた槍の攻撃に押され始め、防戦一方となる。
そして一瞬の隙を突かれ、敵の槍がカイの馬の首に命中した。
悲鳴をあげ、倒れた馬から放り出されたカイは地面を激しく転がり、全身が痛むのを我慢しながらどうにか立ち上がる。
そして既にこちらに向かって突撃してきている敵に対して剣を両手で構えると心を落ち着かせる。
相手の動きをしっかりと捉え敵が目前に迫った瞬間、横に僅かにズレながら剣を全力で横に薙いだ。
それにより敵が乗っていた馬の足が断たれ、敵は先ほどの自分と同様に馬から放り出されて地面に転がった。
「くたばりやがれっ!!」
倒れた敵にトドメを刺すべく剣を振り下ろすが、敵は倒れた体勢から即座に短槍による刺突を放ってきた。
強引に体を逸らすことでどうにか刺突を回避するが穂先がカイの兜に当たり、弾き飛ばした。
それと同時に振り下ろされた剣は敵頭部のすぐ近くの地面に刺さり、敵は横に転がりながら起き上がる。
そして一度互いに距離を取り合うと敵は兜を脱ぎ捨てた。
(若いな……。俺と同じくらいか?)
金の短い髪に青い瞳。
整った顔立ちの若い騎士であった。
彼は短槍を構えなおすと「スヴェン・ランドールだ」と名乗る。
「傭兵よ。貴様の名前を聞いておこう」
「……ラーゲンのカイだ」
「ラーゲン? 貴様、レイクランドの民でありながら祖国に刃を向けるか!」
「は! 傭兵に祖国なんて関係ねぇ! 金がもらえるから戦う! それだけだ!」
スヴェンと名乗った騎士を援護すべく他の騎兵たちが迫ってくるがスヴェンは「手出し無用!」と大声で彼らを止めた。
「一騎打ちがお望みってか?」
「私一人で十分だということだ」
お互いに殺意を向け合い、ゆっくりと距離を詰めていく。
そして風が吹いた瞬間━━両者は同時に仕掛けるのであった。
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