第12話 過酷な試練
ウザい、ウザい、ウザい
今日ほど、この言葉を理解した日はない。ウザい。さらに輪をかけてスキンシップが激し過ぎる。首筋や顔にさわるな。お前は髪だけ弄ってろ。
「凄い髪の量だねえ。重いでしょう。でもこの髪、惚れ惚れするくらい艶といい、質感といい、たっぷりの量と太さもいい。うううううんんんn。いい。」
シャンプーの後に丁寧に櫛けずられ、さわさわと髪に触れられているだけで電気が走るのは、なぜだ。おぞけも走るが。
今日はおしゃれ番長、義顕行きつけのサロンに来ている。完全予約制で1年先まで埋まっているこのサロンに、朝早くねじ込んでもらった。
ウォールナッツの重い扉を押して入る。間接照明でほどよく調光された待合室は、床や壁、左の壁一面のシェルフ、右手にあるローテーブルに至るまでオークウッドで統一されている。唯一の色は、オークウッドのフレームにオリーブ色の布が張られた、ソファ。
扉に手をかけたとたんに抵抗もなく内側から開いた。黒のパンツに白のゆったりしたシャツ、ゆるいウェーブの長い髪を後ろでざっくりとまとめた30代くらいの男が出迎えた。早速、奥の部屋にはいる。間仕切ってあるだけで、扉は一切ついてない。さっそくシャンプー台に乗せられ、何度も何度も俺の髪を襟首から上に、耳の後ろから真後ろに、かき上げる。白くて細長い指で前髪をジグザグに梳きながら、
「少し軽くしようかぁ。耳の後ろから後ろまで、刈り上げるかな。」
いきなり椅子を倒されて面食らったが、首筋をやさしく支えられ、安心感が広がる。びっくりして泳いだ俺の目を楽しむような眼で見つめられる。近い。シダーウッドの香り。
今までこんな甘美な洗髪をしたことはない。初めてのことに緊張し、肩のあたり妙に力が入っていたが、どうだろう。ひとたび洗髪が始まるや否や、すべての筋肉が弛緩し、あまりの気持ちよさに頭の芯が痺れる。指の腹が自在に動き、気持ちの良いつぼを刺激する。最後に耳をそっと暖かい手で撫でられ、耳殻を洗う。背中に電流が走った。
大きなタオルで髪をつつまれ、ひとつ奥の間仕切りに移動する。大きな黒の革張りの椅子。圧迫感も多すぎる解放感もないちょうどいいサイズの個室には、椅子の前にアンティークの鏡が一枚だけ。
丁寧に水気をふいて、髪を梳く。上の方を大きくまとめ上げると、少しずつ毛束をを取り、ピン止めしていく。
「襟足えっろ。もったいないかぁ。切りたくねえ。」
少しずつ下ろしながら胸より少し長めの位置で切りそろえていく。
「今までは、誰が切ってたの。」
「小姓が、剃刀で適当に切りそろえていた。」
「ふーん、どうするかなあ。まず、髪を軽くしようか。」
大胆にすいてゆく。表面は長いまま。縛ったりすることも考え、襟足も長く。自在に扱いやすいように。
「どう?少し軽くなった?」
切りそろえただけにしか見えないが、頭が軽い。
「うむ。」
「この状態を保ちたいので、2週間に一度はカットとトリートメントに御来店下さい。いいこと?私以外の人に髪を切らせないで。浮気したら承知しないからね。」
ムースでふんわりと髪をかき混ぜ、右側でざっくりとひとつの三つ編みにされ、おくれ毛をディップでまとめる。仕上げに前髪を二筋ほどたらし、右耳の後ろに、シダーウッドの香り。
「これ、私の香り。おぼえててね。」
耳元でささやかれると、ようやく解放された。
転移局で待ち合わせをしていたので、桜通りを歩く。
みんな赤い顔で振り向くのはなぜだ。変な髪形だったか。匂いか?
こまちちゃん教えてくれ。
こまちちゃんとともに待っていたのは、氏真と小柄な女性だった。
「すべてがエロいです。この香り、鹿之助さんの香りと混じって凄い威力です。よくご無事で、ここまで来れましたね。」
こまちちゃんは、上から下まで鹿之助を堪能する。
今日の氏真は、黒のゆったりしたオムのパンツに、落ち着いたボタニカルプリントのグラムのシャツ、最近履きやすくて気に入っているバレンシアガの革ミュール黒を合わせて。左耳にごついイアーカフ。半眼にした目を下からあおられた日には、この世に落ちぬものなどなかろう。
「あ、ご紹介します。スズシロさんです。これから鹿之助さんの一切のコーディネートをします。氏真さんの紹介です。」
氏真のファンだというこの女は、スズシロという。金に糸目を付けぬ人の専属になり満足していた。今日は突然呼び出されて、わけもわからずここにいる。
「はじめてお目にかかる。鹿之助と申す。世話になる。」
コーディネーターになってこれほど楽しかったことはなかった。鹿之助の時代錯誤の言葉遣いに目を白黒させながらも、あれほど過密スケジュールな氏真と一緒に、鹿之助と3人でショップ巡りをし、お茶をし、スタジオを借りて、とっかえひっかえ意見を交わしあう。これほどの禍福があろうか。
「こっちの、ヨージさんのスーツ、サイズどうでしょう?ちょっと細身過ぎましたか。鹿之助さん、肩幅が広いから無理ですかね。ほんとはもったいないけど、ちょっと筋肉落としてほしいんです。肩と二の腕の部分入らなくて、残念な服が多いんです。」
「しかし驚いたな。鹿之助は合わない服無いのな。派手なプリントも、甘めのシャツも、ハードなトップスも、何でもいけんじゃん。あーつまんね。俺が似合うのは、ジャージだけかよ。」
拗ねる氏真にすずしろがフォローを入れる。
「そんなことないですよ。氏真さん自分で似合わないと思っているだけですよ。」
「あー、慰めのフォロー入りまっせん。なんか、スズシロさん、チョー楽しそうだね。」
「めっちゃ楽しいです。」
次の更新予定
鹿之助,惑い悩む憂う @hosigame
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