第11話 25日目
雨が降っている。土のにおいが立ち上って、雨のにおいと混じりあう。萌えだしたばかりの木のむせるにおい、どこかに花の匂い。目の前の池に魚影。雨粒が作ったものか、魚のあぶくか、どちらでもよい。旧御涼亭はここでいいのか。庭師の手入れが行き届いた新宿御苑。こんな天気だからか仄かに暗い。
「待たせたな。こんな朝早くですまん。時間が取れなくてな。普段こんな時間に入れないところなんだが、ここの庭師、うちのものが入ってるから融通が利くんだ。」
傘のしずくを切りながら、斎藤一が東屋に入ってきた。前髪がいつもと違って乱れてうねっている。
「朝は予定を入れてない。問題ない。こちらこそ急に呼び出して悪かった。ここはいいところだな。」
「話をするにはうってつけのところだろ。」
鹿之助はどこから話していいものか迷ってしばし間があいたあとに、
「信さん、知っているだろ。信康さん。あの人、コンサートの設置とか、運営の会社持ってて、少しは芸能界?だのエンターテイメント系に顔突っ込んでるみたいで言われたんだ。はじめさんに相談に乗ってもらえって。今、モデルにならないかって言われてて、まだ返事はしてないんだが、エージェントにスカウト?されてて。」
「いやいやいや、ちょっと待て。整理させてくれ。は?あんたがモデル?なにをするか分かってる?」
「突拍子もないことだということは、重々。」
「興味があるのか。ま、なんでもやってみることはいいことだ。そうか。お前、よく見るとビジュアルいいしな。あ、ビジュアル、わかる?えー、見た目ってことだな。」
煙草を取り出して火をつける。
「鹿之助、俺を頼ってくれてうれしいけどよ、おれ自身の先のことも判らねえのに、相談に乗ってる場合かっての。俺も本気で先のこと考えねえとなぁ。でもまずは組のごたごたが終わるまでは、見届けたいんでな。自分のことはその後ってことにしてる。」
「跡目相続、うまくいってないのか。」
「お前も葬式見ただろ。あの人数。オヤジ一人の器量で回っていた世界だったのよ。最後の義侠とか、極道の良心とか、勝手なこと皆ほざきやがって。オヤジはただはみ出し者が身の置きどころがないことがないように、目を配っていたってだけなのに、どいつもこいつも勝手に恩にきやがって。大きな人だったのよ。あの人に会う前の俺だったらとっくの昔に放り出しておくぜ。面倒くさい。」
「とかいいながら、頼られると断れないんだろうが。良い漢だな、まったく。」
「俺はただの客分だっての。だが、知らんぷりって出来なくてな。あ、聞きたいことがある。モデルを始めるにあたって、事務所は、その誘われたところに行くのか。」
「信康は、ちゃんとした事務所だっていってたな。その業界に顔が利くし、仕事の幅も増えるし、最初に利用出来るもんは利用しとけって。後から事務所立ち上げるにしても、その世界に顔売れるまでは仕方ないんじゃないかって。」
「俺が出来ることは、そうだな、やっかみが多い仕事だから妨害がないように気を配ることと、悪いスポンサーに捕まらないように目を見張っておくくらいか。付き人を紹介してやるよ。目端の効く優秀なやつ。腕っぷしもなかなかのもんだぜ。」
とうに吸い終わった煙草を吸い殻入れに始末する。
「あと、うちでやっているサロンを紹介するよ。男もエステとかする時代だからな。ははっ。お前も毛剃って、エステして、ネイルやって、化粧すんのか。笑えるな。」
「化粧って、お公家さんがする白塗りか。あの丸ぽちだけは嫌だな。みっともねえ。」
「あれはねえよな。知ってるか?あの丸ぽちににそそられるやつもいるらしいぜ。」
「ありえねえ。」
「とにかく、俺はお前が気に入っている。裏のことは心配しないでやってみるといいさ。俺に相談してくれてありがとうな。なんかうれしかったぜ。」
「これからよろしく頼む。」
「おう。」
雨が上がったようだ。ぼちぼち人が入園してくる時刻だ。だが、もう少し雨上がりの風景の静けさを、洗われた空気を。この光っている朝露を楽しむのもいい。
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