第9話 あれから二週間後
さらわれた事件は、口が堅い鹿之助から語られることなく、また無事に鹿之助が戻ってきたことで、無駄に騒ぎ立てず、皆、何もなかったようにそれぞれの仕事をこなしている。
鹿之助は、日常の生活はひと通りこなせるようになって、一人でいる時間も取れるようになった。蘭丸や小町殿は相変わらず世話好きで、信康も義顕もそれに輪をかけて甘やかす。セレクトショップに連れていき、さんざん買い物をした後に、一見さんお断りの店や気さくな小店に連れていく。図書館の楽しさも、音楽を楽しむことも教えてもらった。刺激的なことが続いていて、さすがの鹿之助もお疲れ気味である。情報量が多すぎてflowしそうだ。近くの地理も覚え、戸惑うことも少なくなった。
時々早起きをして、(もともと日の出前には起きているが)ひとつ橋を渡り、海が見える公園まで散歩をする。夫婦連れのランナー、大型犬の散歩をさせる人、ベンチに座って朝食らしいものを口にする人。大きな駐車場で仮眠をとる運転手。少し入ると倉庫街が続いて24時間自動配送の機械の音が外に漏れてくる。見るもの聞くもの珍しくて飽きないが、時々自分は何をしているのか分からなくなる。
蘭丸は、今は準備期間なのだから吸収できるものは吸収してほしい。無駄な時間なんてないのだから。と、言う。うるんだ目で見つめてくるのだけは勘弁してもらいたい。
小町ちゃんは、鹿之助と一緒に歩くと『テンションあがるぅ。ずっとそばにいてね。小町が好き?』などと のたまう。
義顕は、今のうちに遊んでおけ。金なら出す。と、札束を渡してくるし、遊び用の服、靴、時計、一級品を揃えてくれる。また鹿之助は派手なイタリア製のブランドがとても似合うので、着せ替え人形のようにつぎつぎとあてがわれる。靴は麻布で拵えたオーダーメイド、時計はお下がりのウブロ スクエアバンである。
信康は、俺の仕事を手伝え、と夜になると部屋に連れ込まれ、書類仕事を叩き込まれる。お陰でいっぱしにパソコンが使えるようになったし、経費の整理くらいはお手の物だ。こちらもバイト代と称して使いきれないほどの金を渡される。仕事の後は連れ出され、酒の知識を詰め込まれる。最近、鹿之助はウイスキーの味がわかるようになってきた。アイリッシュのシングルモルトも捨てがたいが、信康押しの日本産の『響』と『963』が気に入っている。
「鹿之助、今日はもう一人の同居人、今川氏真が日本に帰ってくるんだ。成田まで迎えに行かないか。」
義顕が誘ってくれて、二人でドライブすることになった。いつものジャガーではなく、荷物が入るようにと黒のランクル250。乗り心地を重視した改造車でsoftな白のラムスキンに金のメタルが映える。鹿之助が最近気に行っているpiano協奏曲を聞きながら氏真のことを教えてもらう。
「もともとあいつは蹴鞠の名手で鞠からサッカーボールに変わっただけで金が稼げてるんだ。語学が堪能ってわけではないんだが、コミュニケーション能力が高い。目でものを言うタイプというか、なんか通じてしまうから不思議なやつだ。時々、人の心が言わなくてもわかる能力でもあるんじゃないかとみんな言ってる。だからおまえもすぐ見通されちゃうぜ。」
「こわいなあ。でも楽しみだ。氏真は今回どのくらい日本に居られるんだ?」
「2週間くらい休みを取れたって言ってた。でもあいつのことだから、日本中のクラブに顔出しするんだろうな。今、子供たちに教えるのにはまってるらしい。」
空港の到着ロビーは、報道陣、ファンたちで溢れかえっている。とっくに到着しているはずなのに氏真はなかなか出てこない。出口付近で待っていると、なぜか外から入ってきた。天鵞絨の黒のパーカーに茶色のブルゾン、ぴったりはりついたジーンズ。茶色のレンズに大きい白縁のサングラス。白のキャスケットを深々とかぶり、オーラを隠しているつもりらしいが、その目的は果たされていない。
スーツケースひとつ持たず、背負っているバックパックはシンプルな40リットルサイズだ。
「お待ち。行こうぜ。」
「お前どっから出てきた。」
「ひ・み・つ」
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