第6話 転移4日目

 目が覚めた。リビングのシャッターを開ける。まだ暗い。今なんどきだろうか。虎の刻か。同部屋二人は帰って来なかったようだ。蘭丸が隣の部屋で寝ているはずだが、起きてくる気配はない。

 冷蔵庫を開けて水を取り出し、キャップをひねる。こんなに冷たい飲み物が、すぐに手に入るとは。汲みたての井戸水よりも冷たい。

 窓際の椅子の上に胡坐をかき、夜が明けるのを待つ。左側の窓からは、海が見える。黒くて動かない海だ。海が凪いでいるのはわかるが、白波が見られないのはなぜか。

 そのうちに空と海の間につうっと白い線が描かれ、空に紅色がさす。辺りを漂う雲の底辺が薄く染まり、徐々に色濃くなっていく。天空の色は夜から光を取り戻し、青紫から一瞬で薄水色に変わる。水平線がきらりと光り、徐々に上り始めるご来光。こんなにゆっくりと日の出を楽しんだのは、何時ぶりか。

「おはようございます。早いですね。ゆっくりお休みいただけましたか?私も今朝はゆっくりと眠れました。今日は、朝ごはん、お作りしますね。」

 蘭丸が湯を沸かし、米を研ぎ始める。

「白湯をもらえるか。やはり白湯が良い。冷たい水はうまいが体の中を温めないと、調子が崩れる。」

「はい、お白湯です。あと一時間くらいしたら、朝ごはんですよ。」

「一時間とは?」

「あの時計で、長い針が6、短い針が7です。七時半と言います。一日は24に分けられています。今、六時半です。昔でいう明け六つです。ちなみに一年は365日、今日は3月20日、春分です。これからは日が長くなりますよ。」


 朝飯は、いわしの炊いたの、三つ葉と小松菜をかつおぶしで和えたもの。かぶの浅漬け、焼きのりに梅干し。白米に、シジミ汁。贅沢だ。梅干しはしょっぱくてすっぱいだけのものだと思っていたが、こんなに地味深いものだとは。舌の両側からうまみが攻めてくる。白飯がすすむ。シジミ汁にはほんのりショウガが効いている。

「このいわしは、蘭丸が作ったのか?うまいぞ」

「あ、買ってきました。無理です。このようにうまくは作れません。お気に召しましたか?私も好きなんです。」

「今日も、転移局に行くのか?」

「いえ、今日はゆっくりしましょう。詰め込みすぎもよくありませんし、会わせたい方がいらっしゃいます。その方がいらっしゃるまで、お好きにお過ごし下さい。お忙しい方で、何時にいらっしゃるか、予測がつか無いで部屋から出ないでいただけますか。」

 食後のお茶をすすりながら、テレビなるものを見る。こんな薄いものに人が入っているのか。聞くに聞けなくて、ずっと眺めている。すごく早口で、でも聞き取りやすい。

 だが、何を言っているのか、話の内容がわからない。7時52分 画面の中に時計があるという。やっと、話が分かる内容になった。犬だ。なぜか服を着ている奇妙な犬だ。かわいい。しっぽがちぎれそうだ。小首をかしげるしぐさもかわいい。なぜこんなにきれいなんだ。犬とは薄汚れているものとばかり。  

余程大事にかわいがられているんだろうな。小さい頃飼いたくても乳母が犬が苦手とかで飼ってもらえなかった。飼ってみたい。

 物心がついて以来、気が付くと戦いに明け暮れ、それが当たり前で、他のことは二の次にしていた。いったい何のために戦っていたのか。それは正義だったのか。

 ここはこんなにも穏やかで、心地よい。日本国では自分が生きていた時代のすぐ後に、300年以上も平和な時があったと聞いた。今は平安の世である。戦いなど繰り返したところで、何もいいことがなかったではないか。

 ほんの一握りの者が己の欲望のために起こした負の感情で、どれだけの者が巻き込まれていったのだろうか。いったいそういう自分は、どれだけの人を不幸にしてしまったんだろうか。こんなことを考えられるようになったのは、考える時間が出来たからだろうか。それとも、昨日歴史をざっくり聞いてしまったからなのだろうか。

 小町殿に、これからは好きなように生きていいのだと言われた。しがらみも守りたかった者たちも、何もなくなった今、おのれの道を自分で決めていいという自由さに呆然としている自分がいる。

 好き勝手生きても、誰の迷惑にもならないでいられるのだろうか?

 俺は、自由に生きていいのだろうか?



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