第21話 空への扉

 鬱蒼とした森を抜けると、広々とした草原が広がっていた。

 ぽつり、ぽつりと民家があり、踏み固められただけの狭い道が蛇の辿った跡みたいに伸びている。

 吹き抜ける風は冷たく、時に厳しい。

 高原の花々は冬の風を受けながらも静かに咲いていて、その只中に何故か崩れた石壁が鎮座している。


 不思議に思ってアリーシャが眺めていると、荷物を背負い直したPが横に並んで教えてくれる。


「おそらくだが、ここは昔、砦があった場所なんだ。森の中を探せば幾つもある」


「気付かなかったな……」


「大半が木々に浸食されて埋もれているからな。砦の基部らしき場所もあるが、なにかしらの力で丸ごと吹き飛ばされて、飛び散ったんだと思う。その余波が森を吹き飛ばして、こういう土地を作った」


 なんとも途方もない話だった。

 あくまで予想に過ぎないとはいえ、先だって影絵の国が放った大船団を芸能神の加護が撃退したことを思えば、不可能では無いように思えた。


 かつてを思わせる痕跡は、言われてみれば分からないほどに埋もれていて、今はただ広々とした草原が広がるのみ。


「確かにとんでもない辺境だ。こんな所にまで戦火が及んでいたとはな」


 極東の島国の、北の果て。

 人が入り込む事すら稀な山岳地帯でひっそりと生きていたPとレイラの、故郷。


 馬車すら通れぬ狭い道を延々と辿って、足元も不確かな森を抜けてくるのはそれなりに時間が掛かった。

 高原故に空気は薄く、冬の風はなお寒く、なのに二人は慣れた顔をしているから、アリーシャも負けじとここまで登ってきたが。


「姫様、ふぁいとです。もうちょっとですよっ。えいえいおーっ」

「ぁ………………光が見えた、よ」


 たっぷりと脚を止めて雑談をしている内に、ようやく後続が追い付いてきた。

 先だって正式に友好が発表された影絵の国の女王にして、アイドルであるリリアナ。

 そして彼女を信奉する漆黒の装いを持つ蝙蝠侍女。

 二人が迷わないように最後尾を歩いてきた、案外面倒見の良いレイラだ。


「イ、ヒヒヒ……ここ、が、アイドルの生まれた、場所…………ぁぅ」

「姫様っ、あっ……………………、っ」


 どうにか森の出口まで辿り着いたリリアナが倒れ込むと、支えた蝙蝠侍女が少女の身を抱き締めて身悶えし始めた。

 あまり見ない方がいいだろう、現実逃避を含めてそう考えたアリーシャは、自身でも荷物を背負い直して歩を進める。


 少し先を行っていた瓶底眼鏡の青年が、殺風景な草原を見詰めながら溢す。


「だから見るべき場所など無いと言っただろう。折角の休暇を登山だけで消費することになるぞと」

「私は都市育ちだからな、こういう景色は物珍しくもある。戦って……いた時は、景色なんて目に入っていなかったしな」


 僅かに俯き、目を閉じたアリーシャを見て、Pは何かを考えたが、結局背を向けて歩き出す。

 頬を撫でる風のように、少し乾いた声で。


「なら少しは、ここでそういう心を養っていくと良い」


 アイドルには必要な感性だろうからな、などと言って。

 駆けて追いついたアリーシャが下から顔を覗き込むと、更に顔を背けられて、けれど瓶底眼鏡の隙間から見えた瞳に満足そうな笑みを浮かべる。


「あぁ。まだまだ、学ぶことでいっぱいだ。手伝ってくれよ、プロデューサー?」


    ※   ※   ※


 屋敷を管理していた恰幅の良い婦人は、大層喜んでアリーシャ達を迎え、狭い場所ですがと中を案内してくれた。


 母屋は十年以上も前に焼け落ち、今やすっかり草花に浸食されたまま放置されている。

 最初アリーシャもその有り様には唖然としていたが、二人は平然と使用人向けの小屋へ入って行って、荷物を降ろすと早速寛ぎ始めた。


「言っておいた筈だ。お前達を歓待出来る場所も物も、この土地にはない」


 持ち込んだ資料へ目を通しつつPが言うと、先ほどまで今日のリリアナの寝室を壮絶な顔をして整えていた蝙蝠侍女が深く息を落とした。


「このようにゴミゴミした場所へ、まるで詰め込むように暮らしているだなんて……土地ならば広々とあるではないですか」


「大昔の遺産にぶら下がって続いているような土地に無茶を言うな。家の基部になる石材は乏しく、木々はあるが技術者も居ない。板というのは個人で作るのは中々骨でな、物置き一つ作って見せただけで村人総出で大喜びだ」


 なんとも辺境らしい衰退ぶりだった。


 アリーシャも揃って唖然としていたら、表に幾つもの羽音が聞こえてきて、咄嗟に彼女はリリアナの肩を掴んで家の奥へ押しやる。

 眉を顰める蝙蝠侍女、憧れの先輩アイドルに触れられて目を輝かせるリリアナ、何はともあれ敵襲だと焦るアリーシャ。

 その彼女が、焦りを伴って叫ぶ。


「飛竜だッ!!」


 だが長椅子で寛いでいたPも、使用人の婦人からヤギミルクを受け取っていたレイラも、反応は落ち着いたものだった。


「あぁ、村の連中だ」

「はあっ!?」

「ここの人は皆、子どもの頃に飛竜の谷へ行って相棒を見付けるんですよ」

「はぁぁぁああああ!?」


 飛竜とは高原にする生物で、気性が荒く、時折麓へ降りて来ては村々を襲うとされている。

 騎士団にもかつて専用の部署を設立しようという動きもあったが、育成方法が確立される前に主導者がすげ変わり、頓挫した過去がある。

 その影響で数える程度の竜騎士は確かにいるのだが。


「ホントだっ、戻って来てるーっ!!」

「よおフィリップ! うわあっ、すっげえべっぴんさん!?」

「久しぶりーっ! なんかちょっと大人っぽくなったよねえ!!」

「うむ……よくぞここまで成長した…………ッ」


 ノックも無しに押し入ってくる、ツギハギな服を纏う村民達。

 どうみても野党や戦士には見えない。

 牧歌的で、極々無邪気な表情の人々は、アリーシャやリリアナを見て大騒ぎを始めるが。


「そういえば、元老院を制圧した際にはまだお前は戦場だったな。その後必要無くなったから返したが、当時はおかげで奇襲がし易かった」


「まだ来るぞ……っ」


 高原の各所から、まるで餌を見付けた鳩の大群みたいにやってくる飛竜の群れ。

 そこに跨る人々は全て武具など身に付けない村民達で、降り立った飛竜達も争い合う事無く鼻先を擦り合わせたり、身を寄せ合って休み始める。


 結果入り切らない分も含めて小屋の中も表も大変な事になったのだが。


「ええいっ、無理に入ろうとするなっ! あっ、それは新規企画の資料だからっ、どうせ文字など読めんだろうが!!」

「ひさしぶりーっ、きゃーっ、レイラはいつも通りだよー。えー? だれのことー? レイラはレイラだから、そう呼ばなきゃしーらなーいっ」

「一度全員外へ出ろっ! それと煙突から首突っ込んで来てる馬鹿竜の相棒は誰だっ、引っ込めさせろ!! ああ窓から入ってくるなっ、文明を知れ!!」


 あのPが振り回されている。

 というか窓から首を突っ込んできた飛竜が彼の首根っこを加えて物理的に振り回し始める。

 最初は襲われているのではないかと青ざめたのだが、すぐに背中へ放り乗せられ、広々と翼を広げると飛び立ち始めた。


 一斉に、休んでいた飛竜まで群れ成して。


「おい待て俺はいいから空は駄目だといつも言ってああああああああああああああああああああああああああ!?」


 叫びをあげる青年を追い掛けて、村人達が飛び立つ飛竜の足へ掴まって次々と空へと舞い上がっていく。

 まさしく騒然とした出来事に棒立ちしていたアリーシャだったが、ふと幼子がじっと自分を見上げていることに気付いて腰を落とす。


「どうした?」

「いっしょ、いこっ」

「え? あああああああああああああああああああああああ!?」


 ちゃんと扉から入ってきた飛竜に咥えられて、結局アリーシャも連れ去られた。


    ※   ※   ※


 途轍もない空の旅で歓迎された二人が戻った頃には食事の用意が出来ていて、幾分疲れ果てた顔を晒しながらも豊かな食事を味わった。

 昼間の騒がしさが嘘の様に静まり返った平原には、彼女達の居る小屋以外に灯かりが灯っている場所が無い。


「父が居た頃は、もう少し物々しさが残っていたよ……」


 レイラに背中へ乗って貰い、按摩を受けるPが疲れ果てた声で言う。


「若い頃は戦場を飛び回っていたらしい父は、飛竜の技術を使えば制空権が容易く握れると考えたんだろうな、同世代の連中を取り込んで反乱を起こそうと企んでいたが、どこぞの襲撃を受けてあっさりと死んだ。都落ちしてきた母も、父の遺志を継げと厳しく言ってきたが、俺もレイラも聞かなかった。親不孝者と言われたら……そうなんだろうが」


 小屋に母親の姿はない。

 原因は不明だが、おそらくは病だろうとアリーシャは思った。

 少なくとも二人が母親を排するとは考えられない。


「それで血の気の多い連中はほぼ全滅して、残った馬鹿は固まっていると危ないと思ったのか、山岳地帯の各地に適当な住処を作っているよ。洞穴とか、竜の巣そのものに住んでるのも居るが」

「何かあるとああして集まってくる訳だ」

「あれで皆、争いには怯えている。繋がりが薄れた事を不安視する連中も居る。だから当初、レイラがアイドルとしての力を磨くのに、結構協力してくれてな」


 けれど今は彼と彼女、二人だけだ。


 必要無いから帰したとPは言っていた。

 なら、血なまぐさい政治や争いを、見せたくなかったのではないだろうか。


 あの牧歌的で賑やかな村人達が武器を手に戦おうとする所など、アリーシャも見たくはない。


 今でこそ、アイドルによってそれが必要無いと証明出来ているが、ここまで上手く行くとは当初の彼も考えてはいなかったのではないか。

 そう思ったら、この里帰りを促してみて良かったと彼女は思う。


 幾分緩んだ彼の表情を見詰めながら。


「お前は、世界中をここと同じようにしたいんだろうな」


 青年は静かに目を閉じて、背中をレイラに踏まれて息を漏らす。

 顔なんて逸らすから内心が伺えるんだぞと、最近反応を見るのが面白くなってきたアリーシャは、滲み出す様な笑みを見せつつミルクティーで喉を潤した。

 新鮮なヤギのミルクが実に甘く、茶葉の香気が鼻を抜けていく。


「ここは、結果としてそうなっただけだ。幸運だった、とは断じて言えない出来事だが、あのままでは戦火へ飛び込み、俺や連中も竜騎士とやらを名乗って戦っていたかもしれないな」

「そうなっていたら、どの道私とは戦場で肩を並べたのだろうな」

「興味があるか?」


 投げられた問いには笑いが漏れた。

 失笑、かもしれないなと彼女は思う。


「戯言だ。最早戦場に興味など無い。最初から、好んで立っていた訳じゃあ無いからな。望む景色を見る為の方法がそれ以外に分からず、馬鹿なことを繰り返して生きてきたが……」


 今はもう。


「私はアイドルだ。歌と踊りと、笑顔と愛で平和と作り出す、芸能神の巫女だよ」


 認める。

 アリーシャは、もうすっかり自らの今を肯定していた。

 彼へ打ち明けた罪過は今後も背負っていくが、その彼が言った通り、一度限界まで走り抜けてから考える事にした。

 功と罪の天秤は、果たしてどちらに傾くのか。

 他にもちょっとした悩みはあれど、やはり特等席の景色は捨て難い。

 そういう、己自身の欲も絡んでいるのだから、決心は容易く揺らぐものではなくなった。


「はぁぁっ、おわりっ。お兄ちゃんぎゅーっ」


 と、青年の背中の上で按摩を続けていたレイラがそのまま腰を落としてしがみ付く。

 芸能神の分御霊。

 そう言われた日には困惑も多かったが、今更引っ掛かる程でも無いとアリーシャは思っていた。


 なにせレイラは単なる兄好きな、先輩アイドルなのだから。


 理解なんてそれで十分だと。


「んふふ~っ、すりすり。ねー、明日は行くでしょ?」

「うん? あぁ、そうだな。昼までのんびりしてたらまた襲撃されるから、朝の内に行って綺麗にしてこよう」

「はぁーい」


「何の話だ?」


「お参りだ」

「アリーシャは来なくていいよー。私とお兄ちゃんでやってくるからー」


 何ともいえない疎外を受けつつ、言葉に甘んじることとした。

 なにせ空を飛ぶのは大変だった。

 体力はある方なのだが、空気の薄い高原までの道中だけでなく、まだ件のライブツアーが終わってそう日も経っていない。

 ほぼ休みなしで行われた芸能祭は、今や大陸でも奇跡の十三日間と呼ばれ、注目を集めているらしい。


 伝説に謳われる影絵の国の敗北、その実際の強さが測り切れない為に評価は据え置かれているが、牙の国との時とは比較にならないほどアイドルの名が知られ、一部の国からは一度見てみたいとの外遊要請も来ているのだとか。


 今は、その慌ただしい日々へ向けた休息の時間だ。


 アリーシャもこんなに自由な時間を得たのは幼少期以来、しばらくはのんびりと過ごすつもりで居た。


    ※   ※   ※


 ただし、最初から一つだけ予定が入っていた。

 本当はPやアリーシャが出ていく必要のないものなのだが、リリアナたっての願いとあって、そしてまたとない機会と聞いて同行を決定したものだ。


「用意が出来ました、皆様」


 蝙蝠侍女が小屋の前に扉を生み出す。

 金細工の入った鍵でその錠を外すと、扉自体が光を帯びて、糸状に絡み合ったそれらが天へと昇っていく。


 全員、昨日までの楽な恰好ではなく、礼服とも言える装いだ。


 Pだけは目深に頭巾を被って顔を隠しているが、これはやむを得ない措置ということになっている。


 とてとてと前へ出たリリアナが振り返り、緊張した様子で告げる。


「す、すみません、お付き合い頂いて……魔女の交わした契約は絶対で、本当は逃げたいけど、履行しないと蛙になっちゃうから」


「実に愉快な罰則だが、素晴らしいアイドルを失う訳にはいかない。まあ我々は付き添いに過ぎないから気楽にさせて貰うよ」


「す、すばらしい、アイドル……、っ」


 頬に手をやって嬉しそうにお尻を振るのをレイラが感心するみたいに頷いて。

 アリーシャもまた、慣れてきた少女とのやり取りを微笑ましく眺める。


 リリアナが頬を染めたまま居住まいを正した。


「私も詳しくはしらないんだけど、何年も前から、こ、皇桜の国の皇女が誘って来てて……これは、そのお茶会の会場へ行ける特別な扉」


 アイドルとしての活動を望んだリリアナが、必要な物資の収集を頼めるのは彼女以外に居なかった。

 蝙蝠侍女を始め、手足となってくれる者達も居るには居るのだが、特殊な素材も多くて何年掛かるかという有り様だった。

 不思議なことに稲穂の国では湯水の如く溢れ出てくる為、昨今では全く必要の無くなった物なのだが。


 とはいえ契約は契約。

 破れば蛙。

 非常に重たい罰則だった。


「い、いっしょに来てくれて、ありがとう。あと、あの女は……や、厄介、だから、気を付けて、ね」


 蝙蝠侍女が扉を開ける。


 皇桜の国。

 牙の国を嗾けて、アイドルを探ろうとしてきたらしい大国だ。

 その皇女との対面を求めて、P達は扉を潜る。


 そうして彼らの身は一度光へと消え――――再び床を踏んだ時、景色は空へと至っていた。





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