第18話 強襲
芸能祭、十三日目。
「っっっっ、ありがとうございましたぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
「またぁっ、ゼッタイまた会おうねええっ!!」
予定していたライブツアー全行程を終えて、今、最後のステージが終了した。
沸き立つ人々、感動に涙し、けれど共にステージを作り上げた彼ら彼女らも疲労困憊で。
なのに誰しもが喜び合い、笑い合っている。
戦いは終わった。
先日、十二日目の時点で敵船団は大陸へと戻っていった。
貿易風と呼ばれる、島国から吹く風に乗ってあっという間に。
※ ※ ※
『アア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ニンゲンがぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!』
十二日目の早朝に、業を煮やした敵が最後の攻勢を仕掛けてきた。
船団を率いていたと思しき蝙蝠侍女が、天を覆うほどに巨大化して咆哮を放つ。
背には巨大な漆黒の翼、顔は溶け、手足もまた闇を纏って具現化した、影絵の如き異形の女。かつては稲穂の国を主導する会議室へと乗り込み、芸能神の巫女を見てその程度と蔑んだ筈の彼女が、闇の吐息を以って加護の粉砕を試みるが。
容易く、弾かれて。
『ッッッッ!? アアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!』
その衝撃が暴風となって船団を襲った。
更には芸事を妨害したことによって発生した天罰が蝙蝠侍女へ下り、その身は冗談みたいに吹っ飛ばされて大陸へと消えていく。
長らくの停滞ですっかり士気の低下していた船団は、それらを脅し付けて主導していた者が大敗した事であっさりと船を返し、逃げて行ったのだ。
既に海岸へは僅かな監視を配置するだけだったが、ツアーの調整でちょうど付近に居た瓶底眼鏡の青年はこう呟いたという。
「あの時はアイドルとしての活動中では無かったからな」
そうして追加の最終日を企画し、国を挙げての戦いは終わりを告げた。
※ ※ ※
アンコールの大合唱を聞きながらも、ステージ裏でまずは一休憩。
水分を補給し、汗を拭き、メイクを直す。
それらの動きも様になって来ていて、既に青年が事細かな指示を出す必要は無くなっていた。
「ありがとうございます……っ」
故にか青年はいつかの様に跪いてアリーシャの手を取り、感謝を述べていたのだが。
「はぁ……もう分かった分かった。ステージ降りてくる度にやらなくていいんだぞ」
やりきった興奮と疲労感で満ち満ちていた彼女はさらりと応じつつ、こっそり握り返す。
するとまた別の朱色が頬へ乗るのだが、今はスタッフなど別の者達も居る場所だ、恋愛禁止のアイドルとして変な色は出さない。
「ねえお兄ちゃんっ、私は? 私はー?」
そんな二人の横で、丸椅子に座ってメイク直しを受けるレイラが甘える様に言う。
二人が兄妹であることはスタッフに知れ渡っていて、こうした絡みは少なくない。
恋愛禁止の謳い文句も、血縁者であるのならと気にする者も居ないからだ。
「素晴らしいステージでしたッ!! あぁレイラ、君は最高だッ!! どうして俺の心をこんなにも揺さぶってくれるんだ!? さっきのステージっ、あんなにもクールに甘く歌ってみせるだなんてっ、この拗らせ職人めっ」
「でへへへへへへへへぇ……っ!」
くいっ、と兄の方へ向いていた顔を正面へ固定されつつ、蕩けた表情だけはどうしようもなく、メイクさんは髪の乱れを優先して直し始めた。
このアイドル、兄の前では大体こんな感じなので、いい加減周囲も慣れてきている。
それでも『アイドル』レイラへの好印象は変わらない。
誰よりも研鑽し、誰よりも覚悟と誇りを以てステージへ挑む、稲穂の国が誇る二大アイドルの一人なのだから。
「……それにしても、アンコールが凄いな」
ストロー越しに飲んでいたミルクティーを離すと、すぐに水が差し出される。
流石にもう少し茶葉の香りを残しておきたかったのだが、などと思ったが、素直に応じて口の中を整えた。
ツアー序盤で口の中がミルクティーのままステージへ出た際、どうにも気になって集中を欠いたのだ。気付いたレイラが場を繋いでいる間に裏へ駆け込んで対処したが、彼女にとっては痛恨の経験でもあった。
過酷なツアー初体験で、どうにも慣れ切っていない状態での失敗だ。
よし大丈夫、と頷いた所でメイクの者がやってきて、早速口元を直してくれる。
そう影響が出ないように飲む工夫を覚えたアリーシャだが、薄く馴染ませる程度の口紅を血走った目で調整する彼女は、寡黙ながら実に良い仕事をするファンでもある。
「皆、今のステージに感動して熱が収まらないんだ。演奏のスタッフにも準備は進めてもらっているから、少し休んだら頼んでいいか?」
瓶底眼鏡の青年の言葉に、二人のアイドルは快く頷く。
昨日までのステージは国難へ対処する為という側面もあった。
無論、心の底から楽しんで貰えるよう、なによりも芸能を寿いでいたのは彼女達だ。
けれど今、敵は去り、最終日と定めた芸能祭の締めくくりを迎えて、より純粋にステージを愉しんで貰える環境が好ましかった。
鳴り止まないアンコール。
訪れた平和。
安堵と、興奮と、幸福と。
勝ち取った今を握り締め、二度と脅かされてなるものかと想いつつも、今はただ純粋にアイドルを求めて声を張り上げる。
「っ、よし。私は行ける。レイラはどうだ?」
「ん……もう、ちょっと?」
レイラ担当のメイクも中々に気合いが入っている。
敵中で孤立した友軍を救う為、寡兵で以って強襲を仕掛ける将みたいな表情で恐ろしく繊細な作業を丁寧に丁寧に行っている。
それは最早、執着と呼んで差し支えないほどに。
無論アリーシャのメイクが劣るという訳ではないのだ。
双方共に、誇りと覚悟を以てそれぞれのアイドルを引き立たせるべく切磋琢磨しているに過ぎない。
と、ステージの側で何か歓声があがった。
アリーシャはついPを確認する。
二人が休める時間を稼ぐ為、何か手を打ってくれたのだろうかと。
けれど彼もまた首を傾げてステージへ視線を送っており、アリーシャは眉を寄せそうになった。
「どうした――――」
またもや歓声。
このライブ会場に研修生らや、各地で擁立されたアイドルはやってきていない。
他のアイドル達は現在、国中に散ってライブを行っている筈だからだ。
Pでもなく、レイラもアリーシャもここに居る。
演奏者達も準備中であると言っていた。
では、誰が。
『――――――――――――!!』
聞こえた。
壁越しで言葉までは分からなかったが、確実に誰かがステージ上に居て、声を張り上げている。
そうして音楽が始まるのを聞いて、最早アリーシャもPもその場に留まる事は出来なかった。
決して遠くはない位置にある、ステージ上への出入り口、そこまで行って立ち止まる。
既に楽曲は始まっている。
何者かは分からなかったが、それを土足で踏み荒らせる者はこの場に居ない。
故に垂れ幕の裏から、その景色を見た。
「…………何者だ」
歌い踊るアイドル。
小柄で、愛嬌のある歌声で、ステップに複雑さはないものの軽快で乗りやすい、そんな魅力のある誰か。
まさか、と。
アリーシャはそもそもの始まり、昨日までのあの国難が発生する直前に自身が何を言っていたのかを思い出す。
「何者かと問いましたね」
その傍らに、本当にいつの間にか、漆黒の侍女服を纏った女が立っていた。
「っ、お前は!?」
「あらいけませんよ。ステージ脇で大きな声なんて……アイドル活動を妨害しては天罰が下る、そうでしたよね……?」
会議室へ突如として現れ、戦えと求め、そして芸能神の加護によって大陸へ吹っ飛ばされていった蝙蝠侍女が、どこ吹く風と澄ました顔で言葉を添える。
だがアリーシャの焦燥は止まらなかった。
なぜなら今日は芸能祭の最終日、そのステージを終えた直後であり、観客はアンコールを繰り返してアイドルの登場を待ち望んでいたのだ。
そこへ現れた新たなアイドル、これではまるで。
「っっ、ステージの乗っ取りか……ッ。キサマら、攻めかかっただけでは飽き足りずに私達を利用して、っっっ!」
対する蝙蝠侍女は楚々と笑い返す。
豊かな胸を揺らしながら身体を揺らしつつ、アリーシャの顔を見て尚楽し気に。
そこへメイクを終えてやってきたレイラが加わり、咄嗟にアリーシャは庇い立った。
「それで、あのアイドルは貴方達のプロデュースしてる子なんですか」
にも関わらず、芸能神の分御霊は問いを投げた。
既にステージ上が奪われているというのに、動じている様子はどこにもない。
「プロデュース……? あぁ、才無き者が才有る者へへばりついて行うというアレですか。そんなもの必要ありません。我が主こそ世界を導く者。誰ぞに教えを乞うなどありえない話です」
「主、ですか」
「えぇ。芸能神マップァ、ようやくその姿を見る事が出来ましたね。我が主と比べればまだまだ卑小な、極東の土着神」
その神に負けた癖に、とは思ったものの、アリーシャも敢えては言わなかった。
彼女が強大な力を持っているのは事実。
ステージを降りているとはいえ祭日中な為、守りの加護は続いている筈だが、最後に見せた異形の話は聞き及んでいる。
そもそも入り込んでいること事態が脅威なのだが、下手に刺激していい相手ではなかった。
「今あのステージを演じている御方こそ、私の奉じる唯一の存在。比類なき御力を持ちながら遂に世界へ名乗りを挙げた、世界を支配されるが当然の、影絵の国の女王として畏れ敬われし人物。その名は――――」
歌い踊る、アイドルを誇らしげに示して。
「魔女リリアナ。その初ステージを伏して拝することを許しましょう」
歪んだ笑みを浮かべ、そう告げた。
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