第16話 起死回生

 辿り着いた丘の上は、昔アリーシャが何かある度に逃げ込んでいた場所だ。

 芸能という言葉が失われて、子どもらが無邪気に遊ぶことも難しかった時代、それでもごく稀に現実とやらから逃げ出して、楽しんでいた場所。


 豊かな自然はそれだけで子どもにとって最高の遊び場だ。


 木に登ってみたり、実を齧ってみたり、捕まえた昆虫を作った檻に入れて眺めてみたり、いつか父の剣を受け継いだ時を想像して木の棒を振り回してみたり。

 幾分、やんちゃな幼子であったと自覚はしている。


 そうして、戦争で両親が死んでいった時もここに来た。


 共に戦士であった父母は、勇敢に戦って死んだのだと聞かされた。

 今や護国卿と呼ばれる老将と競り合い、敗れて。

 だから南朝との合併に当たって彼がやってくると聞いた時は、本心では強い警戒と敵意を持っていた。

 ただ、その頃もう彼女は戦士ではなく、剣からマイクに持ち替えて、アイドルをやっていたというだけで。

 南北協調を進める内に彼の凄さを改めて知り、間違いなく南北分け隔てなく民の為にと働く様を見て、今となっては仇などと言うつもりも無くなったが。

 平和でなければ、思い切った行動に出ていた可能性はあった。


「…………良い景色だ」

「だろう?」


 丘の上、獣道か人の道か、踏み固められただけの道を頼りに登って来れば、不意に視界が開けて都の景色が一望できる場所へ辿り着く。

 なだらかな斜面には草花が生い茂り、寝転がって身を休める事も出来る。


「他には誰も居ないようだな。ほら、そんな所に立っていないで、こっちへ来て休め」


 服の汚れなど気にせず歩を進めたアリーシャは、花畑の手前で座り込んで身を投げた。

 昨日からずっと悩み続けで、少々疲れていた。

 疲れ、などという弱音をあっさり吐き出して、逆さまになった世界に瓶底眼鏡を外した青年、フィリップが立っているのを見る。


「ほら」


 再びの要求。

 それで彼も観念したのか、寄って来て、少し離れ気味な場所で腰を落とした。


 丘上を越えて、斜面へ吹き抜ける風が背中を撫でる。


 アリーシャは目を細めてその風を吸い込んだ。


 幼年より久しく、感じた事の無かった香りだ。


「はははは。なんだ、そんなに離れて。でーと、などと言って逢引きに誘ってきたのはお前の方だろう」


 挑発するように言うと、フィリップは取り出した瓶底眼鏡を掛けてぶっきらぼうに言ってくる。


「……考え事をしていただけだ。こういう方向性の売り方もあったかなとな」


 耳が少し赤かった。

 それに気付いたアリーシャは更に調子に乗る。


「そういえば最初に会った時に言っていたな。プロデュースする者こそが最初のファンである、とかなんとか」

「……よく覚えているな」

「これでも騎士団長だからな。忙しない戦場で忘れてましたとは言えないさ」


 そうして逃げた先を捕まえるみたいに転がって、寝転がったまま頬杖をついて彼を見た。

 自身もまた頬が緩み、朱色に染まっている事には終ぞ気が付かないまま。


「お前は私のファンなんだったな。どうだ? 大好きなアイドルを独り占めしている感想は?」

「今はプロデューサーとしてアイドルの気分転換に付き合っているだけだ」


 などと瓶底眼鏡の奥でのたまうから、つい口先を尖らせたアリーシャは身を乗り出し、それを奪った。


 が、ちょっと勢いが付き過ぎて顔が近くなる。


「っ、!?」

「…………っ」


 表情を硬くして、それでも離れなかったのはちょっとした意地だった。

 何故か、ここで逃げてはいけないのだと騎士団長として培ってきた経験が叫んでいる。


「………………すごい隈だな」


 そうして、改めて見た彼の顔に、少しだけ眉を下げる。


「今日まで本当に、お前ほどこの国の為に働いた者は居ないのだと思う。誰も理解出来なかった芸能という言葉を広め、理解させ、納得の上で事業を推し進める……私も騎士団長として似たようなことをしていたから分かる。作戦一つ通すのも大変でな、攻勢に出れば出費に見合うのかと追及され、守勢に甘んじれば国土を危険に晒すと非難される。それをお前は……」


 畏怖によって現場を操っていたアリーシャですら、副官や参謀らには味方も理解者も多かった。

 ずっと戦争続けだったのもあり、戦略や戦術には理解も深い。

 故に指揮する上で現場任せに出来る場面も多かったが、彼は誰に任せることも出来ずひたすら走り回っていたのだろう。

 それこそ街中の何でもない菓子屋に顔を覚えられ、少年らに飛び付かれるほど。


「かつての自分がどれほど思い上がっていたかが分かる。私は所詮、自分に出来ることしかやってこなかった。副官や参謀らに協力して貰いながらも、自分しか本当に国や民を憂えている者が居ないのだと思う日もあったな。だが、お前こそ本物だ。そこまでの献身ぶりを、誰も讃えてくれないというのであれば」


 ふっと。

 考えが浮かんできた。


 あまりにも邪な考えだった。


 なにせ、アイドルは恋愛禁止だったから。

 自覚するにはあまりにも仄かで、忙しない日々だったが、今こうして幾つもの言葉を重ねる内に、とても強くなる想いがある。


 引退後は、幸福になる権利がある。


 そう語った彼の唇を見て、瞳が潤いを持つのが分かった。


 ほんの僅かで良かった。

 国難を前に身勝手過ぎる幸福は求めない。

 ただ、そこに触れるだけでいい。


 アイドルを辞めて、戦士へ戻るというのなら、もう縛るものは何もないのだから。


「お前はもう、ゆっくりと休んでいい。戦争など私達に任せておけ。もう、十分過ぎるほどに頑張ってきたのだから……務めなんぞ放り投げて、休暇を取って、レイラと一緒に田舎でのんびりと過ごすといい」

「休、暇……」

「そのくらいの権利はあるさ。あぁ、もうすっかり会議の始まる時間か。でも良い。私が後で叱られておくから、今日は何も考えずに休むんだ」


 そうしてアリーシャは顔を寄せる。


 恋愛禁止のアイドルを辞める、これは儀式でもあった。


 けれどやはり、彼女自身が望んでいることで、例え巫女にあるまじきと天罰が下るのだとしても、再びあの戦場へ戻る前に一度だけ、と。


「…………ぁ」

「だまって」


 お願い、ほんの数秒で構わない。

 そう想いを込めて見詰めたが、呆けていたフィリップが唐突にアリーシャの腕を掴んだ。

 自ら寄せていただけに、相手からもと緊張した彼女を余所に、青年はその手にあった瓶底眼鏡を取り上げて、


「見付けた」


 掛ける。

 素面のままではな、などと言っていた彼は間近にある少女の肩を掴むと、再び同じ言葉で叫んだ。


「見付けたぞっ!! 起死回生の一手ッ!! 影絵の国を退け得る、最強の手があった!!!!」


 呆けるアリーシャを置き去りに、アイドル馬鹿は立ち上がり、花畑の上で歓喜と共に叫びをあげる。


「休暇……!! そうだっ、仕事を休むんだ!! 皆で!!」


「な、っ、何を言っている!? 自棄でも起こしたか! というか今の雰囲気丸無視か!? ふざけるなーっ!?」


「そぉぉぉおおおっっっっぅじゃなあああああああああああい!!!!」


 あぁ戻ってしまったと、乙女が痛恨の想いで頭を抱えているのに馬鹿は止まらない。あははと笑い、跳び上がりさえして、自らが信奉する神を讃えてくるくる回る。


 強大な影絵の国、それが率いる同盟を相手に最早成す術などない。


 後はもう、どう終わるかという話だった筈なのに、Pは犬の様に一頻り駆け回った上でアリーシャの元へ戻ってきた。


「そうと決まれば会議へ行くぞ!! さあ急いでっ、これからやる事は山積みだ!! 時間を無駄にしている暇などあるかあ!?」


「あああああああああああああああああ、っっっっもう!!!! 戦争負けたらお前を殺して私も死んでやるぅぅうううううううう!!!!」


「あっははははははは!! 良いだろうっ、この命端からアイドルの為に使い切ると決めているっ!! お前がそう望むのであればっ、すべての望みが潰えたその時に思う存分俺を惨殺するが良い!! だがなあっ!?」


 ぐいっと顔を寄せて来て、瞳の奥の動揺を覗き込む様にして彼は大きく口を開く。


 さっきまでそこに、乙女な欲求を漲らせていたアリーシャはもう頭の中がぐちゃぐちゃになりながら拳を打ち出すも、動揺塗れな手をあっさりとPに受け止められて。

 続く想いもまた、


「…………その為には、お前もまた最期までアイドルで在らなければならない」


 たった一言で、受け止めて。


「どれだけの光に包まれても、お前が積み重ねてきたものは消せるものではないだろう。他の誰が認めても、お前自身がお前の罪過を咎め続けるのであれば、それは生涯背負い続けるものになる。だからな、アリーシャ。お前は誰よりもアイドルとしての輝きで、人々を幸福にするんだ。今まで殺してきた者の百倍、千倍、いや何万十倍もの人間を幸福にしてみせろ。そうしていつか引退して、己自身の幸福を見詰めた時、天秤に乗った罪と功とを見比べて、心の思う侭結論を付ければ良い。罪と思うのならば俺も共に背負ってやろう。功と思うのならお前を讃え、最高の花道を用意してやろう。どちらも抱えるのなら、そのどちらもやってみせよう」


「…………まるで生涯を添い遂げるようなことを言っているぞ」


「プロデューサーだからな。引退したからといって放り出すつもりはない。こうも言った筈だ、アイドルには幸福になる権利がある、と。世界への献身を果たした者に、不幸な結末など似合わない。俺はハッピーエンドが大好きだからな」


 また珍妙な事を言い始めた彼は、あっさりと手を離すと身を返した。

 既に想いは先へ向かっている。

 そう感じたアリーシャを、彼はしっかりと返り見て。


「さあ、アリーシャ――――世界をアイドルで満たしに行くぞ」


 差し出された手を、彼女は諦めた様に握って見せたが。

 口元はしっかりと、笑みを刻んでいた。


    ※   ※   ※


 遅れて参じた二人を責める声は無かった。


 稲穂の国、それを今日まで支えてきた者達は、あれほどの絶望を前に昨日と変わらぬ顔ぶれのまま会議室に参集しており、アリーシャはやってしまったかと反省する。


 ただ、そういうマトモな反応などどこ吹く風と進んでいった瓶底眼鏡の青年は、譲られた最奥の席に手をやりつつも、立ったまま第一声を発した。


 にちゃり、と。


 彼を知る程に嫌な予感と、僅かな期待を抱かせる笑みを見ながら。


 言う。


「これより我が国は、無期限の祭日を始める……!!」


 理解及ばぬ者達へ彼は気色の悪い笑みを浮かべて慈しみ、言葉を継いだ。


「徹底抗戦だッ。アイドルの日、あるいは芸能神マップァの日、名前はこれから考えるとしてッ、これを国を挙げての祭日とし、国土全域で芸能を尊び祝い合う日とするのだ!!」


 一番に気付いたのは、議長と護国卿。

 誰よりもPの求めるものの本質に気付いて、今日まで支えてきた……かつては南北に分かたれた国をそれぞれ背負ってきた二人が、同時に声を発した。


「「国土全てをアイドルの活動場所とするのか!!」」


「そのとぉぉぉぉおおおおおおおっっっり!! ステージ上に限る必要などどこにもないっっ、望むのならば街中でっ、野山でっ、ご家庭でっ、誰も彼もがアイドルとなりっ、誰も彼もがアイドルを尊びっ、思う侭に祝えば良いのだ!! 立ち上げた研修生らを各地に派遣して盛り上げつつっ、アリーシャとレイラ両名による一大ライブツアーを開催して国土全域を練り歩く!!!! その活動を以って!! 芸能神マップァへと捧げる祭日としッ、攻め寄せる影絵の国及びその同盟が諦めるまで徹底的に祝い尽くすのだああああああああああああ!!!!!!!!」


 そうしてPはアリーシャを見た。

 この一大事業の要となる、アイドルを。


 しっかりと、見詰めて。


 求めた。


「これから碌に休む時間など無くなるだろう。あまりにも過酷で、膝を屈してしまいたくなる時が来るかもしれない。表舞台のお前達を見る者には気付けない、数多の辛苦を越えて、それでも笑顔を振り撒いて人々を幸せにしなければならない……本当に、どうしようもない程に大変な日々が待っている。それでもお前には果たせると俺は信じた。アリーシャ、アイドルよ……どうかこの国を背負って、やって見せて欲しい」


 いつか聞いたような言葉だなとアリーシャは思った。

 けれど、改めて。


 一度は投げようとした身でありながらも、溢れ出た想いにすらそっと蓋をして、頷く。


 誰よりも人々を想い、その笑顔を欲してきた、最高の特等席ステージを思い浮かべて。

 まるで婚約でもするみたいに幸せそうな微笑みを浮かべて、答えた。


「はい。私は、どこまでもアナタと共に、この道を往きましょう」


 と。




















    ※   ※   ※


   幕間 ―アイドル周辺機器誕生秘話⑥―


「出来たかっ!!」

「P!? はいっ、遂に完成しました!!」

「軽量且つ耐久性にも優れ、量産も可能で、自ら光を発することの出来る色とりどりのファンタジーアイテムが!!」

「出来ました!! どうぞ見て下さいッ!!」

「うおおおおおおおおおおおお……!!」

「っ!? P、その動きは」

「っふ。すまない、つい身体が昔を思い出してな。だがこれで欲しいものは全て揃った!! よくやってくれたッ、お前達の功績は勲章ものだ!!」

「いいえ、全ては芸能神マップァの加護によるもの。かの神によって我々の世界は少しだけ、芸能に優しくなったのですよ。共に感謝しましょう、偉大なる芸能の神へ」

「あぁ、凄いなファンタジー……!!」


    ※   ※   ※

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