第15話 行く道を照らして
絶望的な宣戦を受けて、一夜が明けた朝。
アリーシャは自室で固く封ぜられた木箱を見詰めていた。
中に入っているのは剣だ。
アイドルになると決めた時より、封印することに決めたモノ。
本来であれば他の武具と共に廃棄してしまう予定だったのだが、一族が代々伝えてきたものとあって躊躇していた所を、瓶底眼鏡の青年は美術品の一つだと言い張って残してくれたのだった。
戦いは避けられない。
幾人かのアイドルが握手会などと称して一部地域を封鎖した所で、敵は四方の海から攻めかかってくるだろう。
先日見た侍女のように空を飛ぶ者も多いと予測されている。
ならば、牙の国を相手取った時の様にはいかない。
あれから会議は続けられたが、最早絶望的な消耗戦へ挑む以外に選択肢は無かった。
議長及び護国卿は決して折れることなく話を進めていた。
それでも、大半の者はすっかり心が屈して、黙り込んでいて。今日の会議に現れるのかどうかも分からない。
せめて最期は家族と共に、などと思って逃げ出す者も出るかもしれない。
だがアリーシャは、例え最期がどうなろうと戦い続けると決めていた。
彼が、己をPと呼ばせたがる底抜けの阿呆が、まだ足掻いているのだから。
会議での発言はほぼ無く、求められたら応じる程度だった彼。
終了した後に向かったのは、以前より各地を飛び回って集めていた技師達の元だ。
アイドルの為の技術開発だと称して寝る間も惜しんで人材集めを行っていた、それが何か新しい切っ掛けをくれると期待したのかも知れないが。
「私の……戦い、は」
呟いて、木箱に指先を触れさせた。
一度は捨てた剣、それを手に再び戦場で戦うべきだろうかと目を閉じる。
アリーシャが居なくとも、レイラが居る。研修生や特待生、各地で擁立されたアイドル達も居る。その中から次の誰かがステージに立ってくれるのなら、アイドル好きのどうしようもない男を魅了する、誰かが現れるのなら、それでも、と。
想い。
胸の奥に、トゲが刺さったような痛みを覚える。
「まさか、未練を感じる日が来るとはな」
最初は恥ずかしくて仕方なかった。
国の為、民の為と自分を言い聞かせて、頭のおかしい二人に付いて行くのがやっとで、はやく終わらないかなと嘆いた日もあった。
少なくとも他のアイドル達とは違い、アイドルを好んで始めた訳では無い。
逃げ道を塞がれ、自棄にも近い気持ちで励み、獲得してきた力。
「あぁでも……あの特等席を失うのは、やはり惜しいな」
ステージの上。
音楽と共に舞い、歌う場所。
あそこからは、よく見えた。
ずっとずっと昔、この木箱に封じた剣を握った日に願った、とうに忘れかけていた、アリーシャの最も見たいもの。
ステージの上は特等席で、本当に沢山見えた。
「みんなの笑顔が、よく見えたんだ」
雫が手の甲を濡らす。
今更だ。
南北合併により、改めてアリーシャは思い知った。
今日まで殺し続けてきた人々は、紛れも無く彼女が守ろうとした人々と同じであったと。
そんな自分が、数多の血に濡れた手でマイクを取り、誤魔化しを重ねながら今日までやってきた。
「もう、十分だよな。十分過ぎるほど、幸せな時間を味わった」
だからもう、残り僅かな生は人殺しとして生きていく。
ここから先、生き残る可能性があるのは本物のアイドル達でいい。
あんなにも輝かしい場に、一人だけ血塗れな女が混じっている事自体おかしかったのだから。
「うん。大丈夫だ。もう、引き返さない。もし奇跡が起こるのだとしても、それを実行に移すまでの時間を、この命を燃やし尽くしてでも稼ぎ出そう。あぁ、でも、こんな気持ちなのか」
かつて招集を受け、苛立ち混じりに玉座の間へと参じた。
その時には無かったものが、今はある。
「信頼できる者に背を預け、戦うというのは、こんなにも憂い無く、誇らしいものだったか」
最後に一度だけステージからの景色を思い浮かべて、すっかり綺麗に整った指先を木箱の封へと這わせる。
ほんの少し、力を入れて剥がしてしまえば、後は――――、
「何をしている」
瓶底眼鏡の青年が、その手を掴んで止めた。
※ ※ ※
驚きのあまりアリーシャは目を瞬かせて周囲を探った。
いつの間にか自室の扉が開いている。
両親が戦争で死んで以来、親代わりとなって育ててくれた老婆が戸口の脇に立っており、自分がすっかり入り込んで周囲への警戒も出来ていなかった事に気付く。
戦場から離れて一年、あまりにも気が抜け過ぎていたと思い知らされた。
その上で、青年からの問いへ答える。
「見て分からないか」
驚くほど冷静に返すことが出来た。
今尚も手を掴まれている状態だが、平時の動揺ぶりは覚悟の裏に隠れ、騎士団長としての落ち着きぶりを見せている。
そんな彼女へ、青年こそが感情を顕わにして言葉を重ねた。
「お前はアイドルだ。そんなものを握る必要はないッ」
「いいや、私は最初からずっと、騎士団長に過ぎなかった。国防の為にやむを得ずアイドルという手段を取っていたに過ぎない」
「いいや違う。お前は正真正銘、人々を慰撫し、幸福を運ぶことの出来るアイドルだ。俺はずっとお前のその、深く人を思いやることの出来る心に惹かれていた」
「深く……?」
言って、アリーシャは嗤う。
今まで山と人を殺してきた者に、思いやりなどある筈がない。
相手を踏みにじり、否定し、己を通したいが為に行うのが闘争だ。
彼女は一際ソレが上手かった。
だからこそ炎髪姫などと呼び称され、恐れられてきたのだから。
「勘違いするな。私は騎士だ。礼節や忠誠は語るが、所詮は己の立場を着飾る為のものでしかない。そういえば、アイドルも似たようなものだったな。軽く笑ってみせれば容易く賞賛し、のめり込んでくれる……ふふっ、確かに才はあったのだろう。それでも私の本質は戦いの中にある」
封を撫でた。
早く、握りたい。
木箱を開けて、剣の柄を握り、慣れた感覚を呼び起こし、そして。
そうでなくては。
なのに青年は許さなかった。
ペンだこの出来た手でアリーシャの手を包み込み、一つ一つ丁寧に指を剥がしていく。
違う。
そうじゃない。
思いながらも抵抗は出来なかった。
ともすれば握力でも彼女の方が勝っていたかも知れないのに、青年の指があまりにも優しく、慈しんで触れてきたから。
動揺した。
「
呟きは鋭く、彼自身を傷付ける。
深く、深く、刻み込む様に。
「アイドルという、己の中にある理想ばかりを追い求めて、一人ひとりのアイドルそのものと向かい合うことを忘れていた。本来、こんなのは当たり前で、もっと前に気付くべき事だったのに」
引き剥がした手を、しっかりと握り込み。
「アリーシャ。お前はきっと、護国卿のように俺やレイラを生かそうとしてくれているんだろう。だがな、ここで逃げても行きつく先は戦争の道具だ。人々を笑顔にしてくれる、世界に芸能の火を灯す、その為の純粋なアイドル業を続けられるのはここだけなんだと思っている。本当に、笑っちまうくらいお人好しばかりの島国で、そんな場所でも戦いが止められなかった事実に、俺は心底戦神とやらを恨んだよ。今回のコレも、もしかしたら使徒か何かが絡んでいるんじゃないかと疑っているが……まあ今は関係無いか」
木箱を取り上げて青年は立ち上がった。
寄ってきた老婆にソレを預けて、彼は座り込んでいたアリーシャの手を改めて取る。
戸惑う彼女を導くみたいに立ち上がらせて。
「出掛けよう。悩み事の溜まったアイドルに気分転換をさせるのも、プロデューサーの務めの一つだ」
「えっと……その、えっと…………?」
「デートをしようと……あいや、異大陸語にもそれは無かったか。うむ、分かりやすく言うと、逢引きをしようと誘っているんだ。まあ、普通に散歩と言ってもいいがな」
逢引き!!!!
湯気が出るほど赤くなったアリーシャが硬直する中、眉を寄せた青年が瓶底眼鏡を外す。その下に、普段から見え隠れしていた綺麗な瞳があるのを見て、また一層動揺する少女に彼もまた気恥ずかしそうに目を逸らしながら言う。
「伊達だ。素面でやるには、それなりに大変なんだぞ」
「~~~~、っっ、いろいろ一気にやりすぎだぁ!? っっっっ、もう分かんなくなってきたあ!?」
叫びを聞いて、またちょっと赤くなった青年に動揺を深くしつつ、握られたままの手がちょっとでも離れようとした途端、ぎゅっと握り返した。
見詰め合った時間はそう長くなかったが。
目の下に隈を貯め込んだ青年を見上げる内に、アリーシャは仕方ないなと笑ったのだった。
※ ※ ※
二人並んで都を歩く。
宣戦布告の話はまだ十分には広がっていないようで、けれどどこか物々しい雰囲気を感じ取ってか、民の姿は少なかった。
「うん……? こっちは違ったか」
何度目かになる引き返しを経て、通りに戻ってきた所で青年が言う。
「地元民、まともに案内も出来ないのか」
「違っ、いや、そうなんだが……どうにも記憶にある景色と違っていてだな」
「この辺りは終戦後に再開発が進められた地域だ。民の慰撫を名目に街路樹を増やし、小さな広場を幾つか作った。休日には無税で店を出すことも許可しているから、かなりの数の出店が並ぶぞ」
「……っ、知っているなら案内をさせるな!?」
お前がやると言ったのだろう、とすげなく言って彼は歩を進めた。
屋敷の中では手を繋いでいたが、流石に外では離している。
アリーシャはアイドルなのだ。
顔も売れているし、現役中は恋愛禁止である。
「………………」
むすっとした少女を振り返り、青年が吐息をついた。
なんともやり難そうに頭を掻いて、そのまま何も言わず近くの建物へ向かう。
放置された!! とアリーシャが拗ねるのも無視したまま、彼は小窓から中を覗くと、何やら短いやり取りの後に戻ってくる。
「そら、食ってみろ。アリーシャちゃん饅頭だ」
「……そんなものがあると私は初めて知ったぞ」
贈り物をされたことにまず戸惑い、次に贈り物自体に戸惑い、また小窓の向こうから老夫婦が楽しそうに手を振ってきているのを見てつい振り返す。
「……やはりアイドルだな」
「い、今のは条件反射だ」
「無駄な抵抗を」
にやりと笑って言う彼にやや赤面しながらアリーシャちゃん饅頭を受け取り、老夫婦へ礼を示しながら齧ってみる。
甘い。
「それと飲み物だ」
「っ、あ、ありがとう」
言い忘れていた礼を告げて、受け取った竹の水筒に口を付ける。
広がる豊かな香気、仄かな甘みとコク、これは、とアリーシャはつい青年を見た。
「ミルクティー、好きだった筈だよな。饅頭がべらぼうに甘いから、糖分は抑えて貰ったが」
「なぜそこまで把握されているのだ……」
「プロデューサーがアイドルの好みを把握するのは当然の事だろう」
などと言われてもアリーシャは動揺が抑えられず、大きくアリーシャちゃん饅頭を齧り、ミルクティーを飲み、その絶妙に好みな味わいでついつい表情が緩む。
「ふふっ、どうだ?」
「お、お前も食べろっ。食事中の相手をじっと見詰める奴があるかっ」
「アイドルとしっかり向き合おうという反省を生かしている所なんだがな。まあ今は気晴らしだ、あまり意識させるのも悪いか…………うむ、相変わらず良い出来だ」
どうやら定期的に遊び回っているらしい青年は、老夫婦に名を呼ばれながら手を振って、アリーシャへ先を促した。
すっかり案内役が入れ替わり、二人はやや遠回りをしながら目的地へ向かいつつ、街中の風景を眺めていく。
「…………こういうこともやっているのだな」
アイドルだけでなく、政治面でも辣乱を振るっていたことはアリーシャも把握していたが、歩く内に何度も声を掛けられ、応じる彼の姿を見る内に自然と漏れた。
青年は調子に乗って飛び付いてきた町の少年を降ろしてやりつつ、またなと手を振りつつ。
「芸能とは何もアイドルだけではない。豊かな文化こそが優れた感性を育てる。特に食は、それに不安があるだけで人心を荒廃させるものだ。逆を言えば、今日を間違いなく生きられると安堵出来るだけで、人々は勝手に自らのやりたいことを見い出し、勝手に様々なものを生み出してくれる。その先にあるものも問題ではあるし、欲の方向性を間違える者も出るから、法の元で調整してやる必要はあるがな」
他の者に任せる事は出来ないのだろう。
アイドルの登場によって、終戦によって、人々は活気付き始めたものの、未だ戦いへの意識は続いている。
分からないのだ。
平和な世でどう生きるのか。
相争うのであれば相手を上回ることだけ考えれば良かった。
その為の手段と言えば暴力以外にない。
そういう世界で生きてきたのだから、彼の言うような芸能、文化を育むにはと言われても、誰しもが戸惑ってしまう。
「ふふっ、お前は……本当に」
つい笑みを溢して、誤魔化す様にアリーシャちゃん饅頭を齧った。
甘い。
とても甘くて、あっさりと飲み下せる。
「あぁこっちだ。この道を通った方が近い」
ようやく行く道も見付け出せたことで、進む足も軽やかに、アイドルの少女が笑いかける。
「行くぞ――――フィリップ」
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