第14話 終末への道筋

 会議は荒れに荒れていた。

 元南朝、元北朝という意識を完全払拭するには未だ遠く、更には水面下で続けられていたのだろう思想の違いすらこの期に及んで噴き出してきた。


 つまりは、アイドルによる文化勝利を目指すのか、武力による抵抗か、だ。


 かつて元老院議場を制圧し、なし崩し的に主導権を握ったPも、南北合併や女王擁立などの動きから絶対的支配権を手放さざるを得なくなっている。

 元より、どう転んでも駄目だから任せておけという、極めて消極的な放置による成功ではあったのだから。

 国の政治すら丸投げするような、どうしようもない戦争が続けられていたのだから。


 しかし今、人々は平穏を得た。

 アイドルを得た。

 慰撫された心は活力を得て、自らの望むアイドルを擁立しようと動き出している所まである。


 だからこそ、影絵の国という未知の大国から正式に宣戦布告を受けたという衝撃は、稲穂の国を揺らすには十分過ぎた。


「戦うしかないのではないか!? 影絵の国などお伽噺の存在だッ。しかも同盟の主戦力は東方の、未開地域の者達が主体だとも聞く!!」

「馬鹿を言うなっ!! 我が国はようやく国力を回復させつつあるだけの状況だっ、その上で大陸とどう戦う!? 海を越えての派兵がどれほど困難であるかっ、貴公はあまりにも無知であると言わざるを得んな!!」

「守りに徹するしかあるまいッ」

「それも現実的では無いと何度言わせるッ。先の牙の国を思い出せ! 彼らは船も使わず単身で海を渡って来れるのだぞッ!! 潜り込んだ工作員が国土を荒らし回ればッ、忽ちかつての荒廃した国に逆戻りだ!!」

「では降伏しろということか!? 戦いもせずッ、敗北を認めて全てを捨てろというのか!?」

「そうならぬ為の会議であろうが!!」


 怒鳴り合いにまで発展した会議を見詰めながら、アリーシャもまた沈痛な表情で俯いている。

 築き上げてきたものをあっさり大国に奪われる。

 それは、あまりにもありふれた結末だったからだ。

 ここ数十年は放置されてきた極東の島国も、かつては大国の属国となり、ひたすら人も物資も吸い上げられ続けた過去がある。

 本国での混乱に乗じて挙兵し、主権を取り戻した者こそ、北朝南朝と別れる以前の稲穂の国を築いた王なのだ。


 アイドルによる抵抗は難しい。

 というより、ほぼ不可能だとアリーシャは結論付けていた。


 隘路の先を塞ぐ形での握手会は機能するだろう。

 だが、アレはあくまで壁としての効力であって、敵を撃滅するには至らないものだった。

 故に平原や、国内での工作に対しては全くと言って良いほど無意味。

 いっそ巨大ライブ会場でも作って引き籠ろうか、などと思ってしまうが、それはあまりにも現実的ではない。

 国内各地で活動を行いながら見てきた彼女だからこそ、あのステージ建築には相当な無理を強いていることを知っている。


 公共事業として民に賃金を与え、また芸能神の加護によって土地が豊かになっている事実はあるが、それを国民すべてを擁する規模でやれと言われたら何十年何百年掛かるか。


 影絵の国。

 数々の英雄を生み出してきた、まよいの森の奥地にあると語られる魔女の国だ。


 魔女リリアナの名はアリーシャも聞いたことはあった。


 彼女の元で学び、修行をすれば、あるいはこの国を救えるのではないかと考えたこともある。

 何百年も森の奥地へ引き籠って沈黙を守っていた魔女が、何故今になって。


「より現実的な方法を模索しよう」


 すっかり会議から意識の外れていたアリーシャは、ふと護国卿の発した言葉に顔をあげる。

 言い合いには参加せず、じっと皆の意見を聞いていた、かつての敵国の老将。


 彼は最早、アイドルか武力かという議論を飛ばし、武人としての言葉を綴る。


「大陸へ侵攻して敵を叩く、というのはやはり現実的ではないだろう。となると防衛策だ。確かに島の何処から上陸されるかは不明だが、補給に困るのは奴らも同じ。つまり海岸沿いの主要都市へ侵攻し、そこを拠点とする可能性が高いだろう。水際で食い止めるのは困難だが、都市制圧を目的にしていると考えれば上陸地点は絞り込める。後は、近隣の漁船でも何でも徴用し、海の上から監視をさせる。非難は集まるだろうが、漁業権を盾にすれば従うだろう。加えて――――」


 最早戦争は避けられない。

 影絵の国からの宣戦は布告された。

 護国卿は南北の敷居を無視し、可能な限り現実的で具体的な策を論じてみせた。

 軍事は専門ではないながら、元老院議長もまたよく理解し、それを指示する。


 ただ、不安は出るもので。


「守るだけでは、こちらが疲弊するだけではないか」


 一人の若い将が意見する。

 彼とて相手が誰かを理解している。

 けれど不安だった。

 責められ続け、守るだけでは、またかつての様な惨状に戻ってしまうのではないか。

 平穏を知ってしまったからこその恐怖を、彼は味わっているのだ。


 対し、護国卿は落ち着いた口調で応じた。


 かつては敵、今は味方となった老将の、慈しみすら感じられる声音で。


「先ほど話したであろう。海を越えての派兵には莫大な費用を要する。それは影絵の国とて例外ではない。一見すると攻めている側が有利に思えるが、守る私達の背後には、常に味方が居る。補給も安全な場所を通って送られてくる。戦いに付かれたのなら町へ戻って安らぐことも出来るだろう。対し敵は、家へ戻るにも海を渡らねばならない」


 ただ、と護国卿も一歩踏み込む。

 それは武力による戦いが最早避けられないと判断した上で、かつて己を止めてくれた者への、せめてもの手向けだった。


「アイドルは武力ではないと言ったな、Pよ」


 老将からの呼び掛けに、会議の卓でじっと沈黙していた青年へと注目が集まった。

 当初は何か妙な事を言い出すのではないかと心配していたアリーシャだったが、ああして黙り込んでいる姿を見るに、彼とてもうどうしようもないのではないかと諦めていた。


「我らは国を守る。その為には戦わざるを得ない時がある。だが武力ではないアイドルを率いる者として、其方には親善大使としての役割を与えたいと私は思う」


「護国卿、それは……」


 ようやく口を開いたPへ、しかし老将は首を振る。


「影絵の国は何を思ったか、自らアイドルを擁立して活動させ始めている。思うに、芸能神の加護が土地を豊かにしてくれる事へ着目したのだろう。認めたくはなかろうが、明日をも知れぬ戦士達にとって、彼女達の笑顔は励みにもなる。兵団の慰撫、あるいは……いや、その他アイドルという存在にはこれまでの世には無かった価値があるだろう。それを伝説に語られる魔女すら認めたのであれば、其方のこれまでは決して無駄ではなかったという証拠だ」


 戦争は避けられず、勝利は難しい。

 先ほど護国卿は海を越えての派兵の難しさを説いたが、敵の規模が未知であるのなら、それとで机上の空論に過ぎない事を分かっている。


 所詮は極東の島国。


 世界に何ら影響を与える事の無かった小さくて弱い、この土地から。


 せめて、アイドルという文化を戦乱の世に発信できたのならと。


「私に国を捨てて逃げろと仰いますか」


「そう言った。既に交渉の者を幾度も送っているが、まともな返答は一度として無かった。戦いは避けられんということだろう。だとしても、敵もアイドルの価値を認めているからこそ、お前や、炎髪姫を無下には扱わない。出来れば二次、三次隊と、技師や研修生の家族らも含めて受け入れを求めたいが……それもそちらの交渉次第だ」


 言って男は薄く笑った。


 かつての様な、兵を鼓舞する為の豪放な笑いではなく、穏やかさを知ったただのお爺ちゃんとして。

 孫でも見る様な目をして、Pを見詰める。


「我らは戦う。必死にそれを避けてきた其方からすれば愚か極まり無かろうが、この土地を、人々の尊厳を守る為に、どんな相手であろうとも最後まで戦い抜こう。稲穂の国を舐めると痛い目を見ると、そう知れればきっとお前達にも利する所は生まれるだろうからな」


 すすり泣く声が聞こえた。

 若い将が、今日まで国を支えてきた者達が、今ようやく南北の利害を越えて一つとなって、同じ方向を見たのだ。

 それが破滅へ通ずるものであれ、未来へ伝えられるものがあるのなら。


「この一年、実に……実に楽しかった。あぁ、感謝するよ」


「戦ってはいけません、護国卿。それは戦神の、戦いを望む使徒の思う壺なのです……」


「神々の事まで私には分らぬよ。ただ、輝かしい未来ある若者の為、命を尽くせることを誇りに思う。その先にはあの、アイドル達の笑顔が再び花開くのだと思えば、これほど憂い無き戦いが他にあるだろうか」

「影絵の国の魔女に既存の価値観による交渉は通じんだろう。ならば議会を支える我々が同行しても無意味。お前はお前の思う侭、魔女と相対して見るがいい。元老院はその責務として、最後までこの国を支えよう」


「議長、貴方まで……っ」


 最早、止められない。

 そうアリーシャは結論付けて、僅かに迷いながら胸元に手をやった。


 彼女は騎士団長。

 そして、アイドルだ。


 剣を捨てた身ではあれど、こうして残って戦う者が居るのなら、肩を並べて最期まで……そう決意しようとした彼女に、護国卿は静かに首を振った。

 戦うな、と。

 未来を繋ぐのであれば、恥を呑んででも生き残り、アイドルとして生きろと。


 敵として幾度となく矛を交えてきた関係だからこそ通じるものもある。

 老兵は去り、若者は行く。

 それで良いのだと。


 アリーシャもまた、彼の覚悟を受けて己を定めた。


 もう二度と揺らぐことは無い。

 例え向かった先でどのような責め苦を味わうことに成ろうとも。


 まだ言い募ろうとするPを見て、彼女はゆったりと歩み寄った。


「行くぞ馬鹿者。私達は私達の準備をせねばならん。世界をアイドルで照らし出すのだろう? ならば足踏みをしている暇があるのか。ここは……」


 と、今一度会議に参加する者達を見回した。

 南北の隔たりは、もう、無い。


「ここは、もう私達の居るべき場所ではない」


 瓶底眼鏡の向こうで揺れる、隈の出来た目を見る。

 初めて会った時から思ってもやはり痩せた。

 やつれた、と言ってもいい。


 素っ頓狂な言動や振舞いからつい忘れがちだが、彼こそはこの戦いを最初に始めた者なのだ。


 武力ではなく、文化で以って。


 愚かと笑われたこともあるだろう、奇妙と遠ざけられ、軟弱と責められ、頭のおかしな男と指を刺されて来たかも知れない。

 それでもどうだ、この献身ぶりだ。

 彼はP、アイドルを信奉し、支える者。

 理解の乏しい彼女達を支えて、およそ理解の届いていないあらゆる者達を指導し、今日まで何一つ不自由させることなく活動してきた。

 無理が無い筈も無かったのだ。


 そうしてアリーシャが彼を立たせ、会議室から出て行こうとした時に、それは起きた。


 一匹の蝙蝠が壁をすり抜け入り込んできた。

 そうとしか見えなかった。

 そうして蝙蝠は会議室の卓、その中央に降り立つと、ぐにゃりと崩れて女の姿を取った。

 黒一色の衣裳は一見すると喪服の様にも見えたが、近ごろその手のものをよく見る様になっていたアリーシャは、造形から侍女のものであると見抜いた。

 地味ではあるが華やかで、美しくもあるが前には出過ぎない、そういう、誰かを立たせる為のものであると。


「初めまして、稲穂の国の皆様。私は影絵の国の魔女リリアナに仕える者、彼女の忠実なるしもべでございます」


 礼はしない。

 そも、圧倒的に上の立場であるのなら、しもべですら礼をするに値しないという、そういう態度で。


 丁寧な口調はあくまで己の品位を貶めない為。


 本来であれば視界へ入れるにも値しないと、その漆黒の瞳が雄弁に語っていた。


「私は稲穂の国、元老院議長を務めている者だ。偉大なる魔女リリアナの使者とお会い出来た事、光栄に思う」


 議長が素早く立ち上がって最敬礼を行った。

 自国の女王へ向ける者と同じ、それをしてでも足りないほどの差があると、彼もまた理解している。


 おそらくはこの場に居る武人全てが一斉に掛かったとて、一瞬で蹴散らされて死ぬだろう……かつて炎髪姫とも呼ばれた騎士団長はそう結論付け、静かにPを庇い立った。


「お時間を取らせる事、誠に申し訳無く思いますが、どうかまずは私達の結論を告げさせては頂けないでしょうか」


 主導権を渡してはいけない。

 相手は圧倒的な強者。

 ほんの少しの気紛れ一つで、この場の全員が死に絶える。


 彼女とて使者として来たのであれば、最低限やらなければならないことがある筈だ。結果が敵国の首脳陣惨殺であろうとも、目的が暗殺でないのであれば、それを果たさせる前ならば多少の対話が可能だろうと。


「どうぞ」


 乗ってきた。

 侍女は姿勢を崩さず言葉を待つ。

 決して人々を見ようとはしなかったが。


「私達は、降伏したいのです。偉大なる魔女リリアナが何故お怒りなのか、愚かな身の上では到底理解が及ばず、慌てふためいていた所であります。可能であれば貴方がたの同盟、その傘下に入る事も検討しております」


「戦わぬと」


「身の程は弁えているつもりです。もし、それも認めずということであれば、微力を尽くさせて頂きますが、その前に私達は双方の誤解を解く為にも親善大使を派遣したいとも考えております」


 そこで改めてアリーシャは居住まいを正した。

 絶好の好機である。

 大使として向かったとて、途中で兵士になぶり殺しにされる危険も大きかった。相手の態度を見るに、どれだけ重きを置いてくれるかは分からなくなっているが、完全に無視も出来ない筈。


「アイドルを擁立し、活動させている貴方がたであればご存じかもしれませんが、そちらの者はこの世界で最初にそれを名乗った者。そして隣に立っている青年こそが、アイドルを見い出し、今日まで導いてきた者です。あと一人、ここには居ない少女も含めて、どうか魔女リリアナの元へお連れ頂きたい」


 言葉に侍女は沈黙した。


 何かマズかったか、そう緊張するアリーシャを余所に、議長は滔々と言葉を続けた。


「我が国には他にも、アイドル候補となる研修生、そこから選び抜かれた特待生、加えてそれら運営を行う多数の技師が育っております。また各地には領主をはじめ、民自らが擁立したアイドルなどもおり、それぞれの特色を以って腕を磨いている状態であります。偉大なる魔女リリアナにおかれましては、我々の力など不要とお考えかもしれませんが、もしお役に立たせて頂けるのであればと思う所存でございます」


 深く、最敬礼を行った議長に侍女はまたも沈黙する。

 しかしこれ以上はと彼もまた踏み止まった。

 言葉は、重ねる程にぼやけていく。

 出来得る限り即席で纏めたのだろうが、この緊張感の中でここまで堂々と語れただけでも相当なものだとアリーシャは感心した。

 長年、戦乱続けでコロコロと頭のすげ変わる元老院を率い、北朝を支えてきた男。

 彼でなけれ、ここまで冷静に意思表明をすることは出来なかっただろう。


 そうして侍女は視線を地上へ落とし、まずは議長を見て、アリーシャを見て、Pを見た。


 見られた際、彼が僅かに踏み出そうとしたのをアリーシャは留め。

 侍女はゆったりと口元に手をやり、微笑む。

 酷く歪んで見える笑みではあったが。


「そうですか」


 その一言で全てを終わらせて。

 いっそ、怒りすら伴って宣言する。


「結論は先に述べている筈です。魔女リリアナによる宣戦は布告されている。つまり、戦え、ということです。交渉? 親善大使? そのようなものは、まず我が主の求めに応じてみせてから行うべき事。皆様の仰り様はまるで、我が主の決定を軽んじているように思えますわ」


「お、お待ちをっ。我々は!!」


「戦いなさい、稲穂の国。すべてはその後。私は単に、この辺りに神々の気配を感じたので様子を見に来ただけです」


 そうして彼女はアリーシャ、Pを見てほくそ笑む。


「ちっぽけな神で安心しました。その程度では我が主に遠く及ばないでしょう。アイドルなどと、あんなものは一時のお遊びに過ぎません。交渉を行うのであれば、せめて戦いらしい戦いを演じてみせてから言うのですね」


 侍女はそこで初めて、ドレープを摘まんで広げて見せた。

 片足を軸足の後ろへやり、美しく立たせながら、頭を下げるのではなく少しだけ腰を落として見せる。


 簡易な、ものではあったが。


 極めて洗練された動きは美しく、素直にアリーシャは感心した。


 それがあくまで、主の品格を見せ付ける為のものであると分かっていながらも、つい。


「それでは皆様、良い終末を」


 再び蝙蝠の姿に戻った侍女は、ふわりと浮かび上がって天井を抜けていった。

 残された者達は重くため息を付くばかり。


 少なくとも、これでもう戦う以外の道は無くなった。



















    ※   ※   ※


   幕間 ―アイドル周辺機器誕生秘話⑤―


「………………」

「P」

「あぁ、すまない……どうか報告を頼む」

「はい。ご注文の品ですが、現在難航しております。まず量産というのが難しいのです。形状もさることながら、振り回せる耐久性、軽量さを確保するとなると、既存の素材ではどうにもなりません。そこに発光色まで加えるとなると」

「ブレイクスルーが必要なのだな。しかし、その為の時は、もう」

「我々も最後まで研究を続けます。それでP、やはり、噂は……」

「諸君らは己の望みを果たしてくれ。こんな所で終わって堪るか」

「はい」

「頼むぞ、ファンタジー。現実を越えて見せろ」


    ※   ※   ※

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