第13話 影絵の国②

 魔女リリアナは珍しく玉座に座っていた。

 本当はいつも通りに壇上へ広げた毛布に包まれていたいのだが、彼女に淑女らしく振舞って欲しい影絵達や蝙蝠侍女が懸命に説得した成果だ。


 とはいえ彼女は疲れた様子で脚を抱え、大欠伸。

 常夜の空から差し込む月明りに耐え兼ねて、頭巾を深く深く被り直して小さく唸る。


 寝不足は昔からの事だが、身体の疲れはどうにも慣れず、膝上に顎を乗せてはだらりとする。

 本当はもっと好きな事ばかりやっていたいのに。

 影絵任せではどうにもならないことが世の中にはあって。

 それは世間から怖れられる魔女であろうと同じ事だった。


「この私を呼び付けておいて、そこまで堕落した様を見せる者はアナタくらいね」


 どうにもならない事の一つが呆れた様に口を開く。

 これでも途方もない努力の末に魔女がここへ座っている事を、傍らに立つ侍女は説明したかったが黙っておいた。


 相手は、魔女リリアナが直接対面しなければならないほどの人物なのだから。


「アナタの発注した物は全て揃えたわ。戦争の激化で入手困難なものも多かったから、アレだけで小国の予算を全て喰い尽くす程よ」


 言いつつ少女に大金を使ったという様子はない。

 貧困が起きれば富める者が生まれる。

 暴力が支配する世界であるのなら、それを牛耳るものは尚更富を得て、強者となっていくものだ。


「……そう」


「せめてありがとうの言葉くらい期待したかったけど、仕方ないわね」


 反応の薄いリリアナへ、少女は自分で納得して話を区切る。

 そもそも労力や財力の貢献を見せ付ける事で説得できる相手ではないと、知っているのだから。


 魔女と人を結ぶのは契約。


 魂に刻み込んだソレこそが、絶対の理を以って双方を縛るのだ。


 既に二人は契約を交わして、少女は履行を終えている。後は、魔女が応じるだけの話。


「や、約束は、果たす……」

「えぇ。楽しみにしているわ、貴女が私のお茶会へ来てくれるのをね」

「はぁ……」


 ため息をついたリリアナに少女は笑う。

 とても華やかで、見る者を幸せに出来る笑顔だった。


「そんなに畏まらなくていいわよ。世界中から私が選んでお誘いした子達だから、皆とても心優しくて、きっと貴女も馴染めると思うわっ」


「日光浴びたら死ぬ」


「本当に死ぬ訳じゃないでしょう? えっと……本当に死ぬ訳じゃないでしょう?」


 質問の矛先が侍女へ向いたので、真っ黒な侍女服を纏う彼女は静かに応じた。


「姫様は華やかな場に慣れておりませんので、貴女様のような方々に囲まれた場合、尋常ならざる陰の沼に囚われて引き籠ってしまう恐れがあります」


「……それであんなことを始めるんだから、分からないものね」


 あんなこと、と言われてリリアナも僅かに顔を上げたが、既に光成分の過剰摂取であった為、更に頭巾を深く被って引き籠った。


「あらあら」


 と少女が笑い、主の行動不能を悟った侍女が役割を引き継いだ。

 一応は最低限の応対を済ませてある。

 茶会への参加がどうなるかは別として、この場で無理をさせる訳にもいかないと一歩前へ出た。


「ごめんなさいね。馬鹿にした訳ではないのよ。けど、何年も私がお茶会へ誘っても応じてくれた事が無いのに、呆気無く取られてしまったから拗ねているの。でもおかげで魔女リリアナをお茶会へ呼べたんだから、私も感謝くらいはするべきかしら。ふふふっ、皆驚くわよぉ」


「全ては契約の元、姫様も必ず履行成されるでしょう」


「そう。なら楽しみにしているわ。世界の懸け橋を越えて、直接貴女と会える日を」


 別れの言葉。

 それだけを残して身体を光に包ませた少女だが、一応の見送りと僅かにリリアナが視線を挙げた途端――――警戒していた侍女の意識すら容易く潜り抜けて、玉座の下からその目を覗き込んだ。


 大きな瞳が魔女の瞳を縫い留めて。

 すぐに消えゆく、ただの映像に過ぎない身でありながら。


 すぅぅ…………、と鼻腔一杯に息を吸って、


 天使の様に優し気な笑みを浮かべて言う。


「本当に楽しみ。次は絶対、本物を感じてみせるわ」


    ※   ※   ※


 少女が掻き消えてスグ、魔女リリアナは玉座からずり落ちた。

 別段、先の行動に怖気たのではない。

 光は苦手でも、恐れはしない。

 言ってしまえば顔の前を飛び回る羽虫と同じだ。

 一匹二匹なら鬱陶しいで済むが、百匹千匹ともなれば見るのも嫌になる。


 だから単に、いつも通りの位置に戻りたくてしただけのことで。


 玉座から更に二段、降りた所。

 そこくらいがちょうどいい。


「……………………はぁ」

「お疲れ様です、姫様」

「……うん」


 ごろりと寝転がってリリアナは毛布を掻き抱く。

 最初は身体の疲れが酷かったけれど、今は心の疲れが一際酷かった。


 当初はアレが直接乗り込んでくると言い張っていたのだから、映像のみでの対面にして本当に良かったと彼女は思う。ほらほら、どうせお茶会で会うんだから、その時までとっておくと良いよ、そんな風に誤魔化したのだが、冷静に考えると明日世界が滅べばいいのにと願ってしまうので止めておいた。


 魔女とて儘ならぬ事はある。

 それがアレで、もう一つがコレだった。

 何分寿命とかもアレなので。


 適当に想いつつリリアナは身を起こした。


 そうだ、と。


 もうあまり時間は無い。


「行かれるのですか」

「……うん。手筈は」

「整っております。姫様の指示通り、秘術を提供することを条件に周辺国の殆どが同盟へ加わりました。元より風向き次第でどこへでも尻尾を振る者共です」


 よろしかったのですか、とは侍女も聞かない。

 既に繰り返した問答だ。

 その上で魔女が決断した。


 幾千年の時を越えて、影絵の国を表へ出すと。


「なら、次は……」


「はい」


 全て滞りなく、と侍女は応じる。

 けれど言葉は継がない。

 次の一言だけは主がすべきものだと知っているから。


 極東での成功など、大陸から見れば歴史に残すほどの価値も無い。


 ほんの五年か十年、上手く行っても五十年そこらで潰えるだろう。

 人の寿命を考えれば止む無き事。

 だからこそ主導するべきは主だと、侍女は静かに言葉を待った。


 そうして。


「イ、イヒヒヒヒ…………稲穂の国へ、宣戦を布告する。イヒ、イヒヒヒヒヒッ」


 戦いが始まったのである。





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