第7話 影絵の国①

 大陸東部には古くから迷いの森と呼ばれる場所があり、そこを抜けた先には常夜の世界が待っているという。


 音無き泉。

 影絵の国。


 様々な伝承を持つその土地は、時として夢幻のように語られることもあるが、ごく稀に帰還者が現れては実在を証言してきた。

 ある者は巨大な帝国を築き上げ、ある者は真理へ辿り着いて、ある者は無残な最期を遂げ、ある者は沈黙して表舞台から姿を消した。

 共通しているのは二つ。

 尋常ならざる法を会得していた事と、影絵の国について尋ねられた時に必ずこう言い添えていたのだという。


『影絵の国に在りし魔女リリアナを、決して怒らせてはいけない』


 と。

 迷いの森をどこから観察しても影絵の国など見当たらない。

 けれど、確かにあるのだと人々は信じていた。


 音無き泉と語られる、今まで迷い込んで出られなくなった人々の、影のみを集めて敷き詰めたとされる湖の上にお城を建てて、魔女は今も静かに世界を見詰めているのだという。


    ※   ※   ※


 そういった世間での曰くはあるものの、魔女とて生きているなら寝食を求め、無限を謳われる時間を過ごすには退屈を凌ぐ必要がある。


 手元から仄かな光を発しつつ、俯いていた魔女の背後に蝙蝠が降り立った。

 影絵のように一度形を崩したかと思えば、成熟した女の姿に変化して、楚々と歩み寄る。

 纏う色は黒ばかりだが、造りの細やかさに反して服装は侍女のモノ。

 それこそが己を示すものと、女は豊かな胸を張る。


 そうして玉座のある壇上にて座り込む魔女の背中を、せせらぎよりも微かな声音で撫でた。


「姫様。外の世界を見てまいりました」


 反応はない。

 けれど、背後に立たれて気が付かないほど抜けてはいない。

 主におかれては配下の言に態々応じる暇などないのだと、女は理解して言葉を続けた。


「西方では青髭公が失地を回復、東方への足掛かりを得た事で中原には同盟の動きが活発化しているようです。また南方では新たな指導者が立ち、少数部族を纏め上げております。こちらも、半年から二年以内には北征を開始して混乱を引き起こすものと思われます」


 主の認め無き者では入る事も許されない影絵の国だが、世には不可思議な力を持った存在も多く居る。

 無防備、無知なままでは居られない。


 故に女は魔女リリアナの耳目となって各地を飛び回っているのだが。


「それと、姫様が気に掛けられていた極東の島国ですが……最近になって北朝と南朝が併合して、古来よりの呼び名である稲穂の国を名乗っております。北朝の議会制を取り入れつつ、南朝の擁立してきた王を頂に据えて、多くの混乱を孕みながらも比較的順調に統治を行っているようです」


 取るに足りない話でもある。

 ここ影絵の国が存在するのも大陸東部になるが、ここより更に東ともなれば、文明的にも遅れた、原始に近い生活を送る者達まで居るという未開地域だ。

 故にこそ、時折太古の神が呼び起こされて混乱を招くこともあるのだが。


「また、かの国が大陸に所有する土地へ、皇国もまた所有権を主張し、それに呼応した属国である牙の国が襲撃を仕掛けたとのこと。精鋭ですらない、ごく一部の部隊の暴発という形ではありましたが、稲穂の国はこれを無傷で退けたとのことです」


 いささか不可解な点の多い話だが、女は己の疑問を報告へ交えない。

 判断するのは主。

 人形はただ、命じられるまま機能を発揮すれば良い。


「この結果を受けて、東方諸国は稲穂の国を盟主に据えて、新たな同盟関係を構築しようと動いているようです。かの地は昔から、目立った強者へすぐさま恭順し、守護や援助を求めつつも、いざ凋落となれば即座に裏切りを繰り返してきた土地ですから。今回も同じく皇国への盾とするものと考えられます」


 戦神の力が増して、人々が争いに明け暮れる様になってどれほどが経過しただろうか。

 信頼も友愛も失われ、覚悟や誇りよりも今を生きる事が優先される。


 致し方無いことではあるだろう。


 殆どの、大きな力に抵抗することの出来ない弱者にとっては、通した意地の代わりに首を刎ねられるだけなのだから。

 そこまで考えて、女は小さく首を振った。

 思考に余分が混じり始めている。

 ただ機能を果たす為だけの人形が、どうしてこうも乱れていくのか、と。


 いずれ己を停止させ、新たな己を呼び覚ます必要があるかもしれない。


 そう考えた所でふと気付く。


「姫様……?」


 正常なる機能の元、報告を行っていた侍女へ主からの反応がない。

 あまり交流を行わないのが今代の主だが、ここまで何も言ってこないというのは何故だろうか。


 踏み出して、覗き込む。


「姫様」

「う、うん? あぁ、おかえり」


 気付かれていなかったらしい。

 侍女は残念を覚える前に城の警備強化を練り始め、改めて主へと向き直る。


 先ほどまでの思考は全て放り投げ、

「ただいま戻りました、姫様」

 言いつつ、今尚も主の手元で光を放つ水晶の板へと目をやった。


「あぁ……コレ、気になる?」

「はい」

「ひっ、ひひひひ、コレ、はね?」


 尋ねる侍女に魔女リリアナは怪しげな笑みを浮かべつつ、そこに映し出されたものを見せてくる。

 原理は水鏡のようにも見えるが、影絵の国にあるものではない。

 ましてや、映っているのは肩や臍や腿を剥き出しにした、あまりにも破廉恥な恰好をした二人の少女だ。


 瞳に重く強い光を宿した魔女が嗤う。


「コレはね、アイドルって、言うんだよ…………イヒヒヒヒヒっ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る