第6話 メジャーデビュー
童貞達は鼻の穴を膨らませていた。
極東にある小島、稲穂の国が所有、否、不当にも占拠を続ける荒れ地へ向けて、小規模な兵団が進軍を続けている。
彼らはここより西の地にある牙の国の童貞達。
否、否否、戦士達である。
「っへへー! そろそろ国境を越えるぜぇ……!」←新兵童貞
「ぶち殺してーっ、略奪してーっ、女見付けてーっ、ひゃっはーっ!! 犯しまくるぜぇ……!」←熟練童貞
「はっはっは。お前達、逸るのは良いが手加減してやれよ。相手は小さな島でお遊戯の様な戦争をしてきたおのぼりさんだ、処女を扱う様に優しくしてやらないとあっという間に泣き出しちまうぜェ?」←鼻の穴の大きい童貞
「俺、そういうに興味ないんで」←童貞
戦争へ行けば女とヤレる、そんな噂話に乗せられて武器を握った童貞達は、行く先が入植のされていない小規模な部隊が駐留するだけの場所とはまるで知らされていない。
何分、童貞なので。
牙の国は戦士の国。
そう名乗って早百年以上、力強く逞しく、勇敢で勇猛なのは……そう、何も男達に限った話ではない。
故に童貞達は縮こまる。
自国で結婚なんぞした日には、延々と尻に敷かれて言われたい放題。
一方侵略先で得た奴隷なら好き放題出来る。
隣の芝に夢を見て、お淑やかで清楚な女が、奴隷として買い取った自分がちょっと優しくしただけで惚れこんでくれると信じて止まない、そういう童貞達なのだ。
「なんでも稲穂の国じゃあ最近、細身で可憐な女が前線に出て来るって話だァ。全身鋼鉄で出来てるんじゃねえかって俺らの国とは大違いだねェ」←鼻の穴の大きい童貞
「おっとぉ、それじゃあいつも調子でヤっちまうとぶっ壊れるかもなァ」←最近フラれた女30人を超えた童貞
「ぶっ壊してェ、ぶっ壊してェ……!」←とりあえず同調する童貞
そうして渓谷へと突入した彼らにはいくつかの幸運があった。
まず、稲穂の国はかなり以前よりこの動きを把握しており、伏兵を配するに十分な時間があったにも関わらず、敢えて敵を引き入れることを選択していた事。故に頭上から降り注ぐ矢の雨は無く、拍子抜けするほどあっさりと突入出来た。
次に、本来この地には慣例的に駐留しているだけの、やる気も戦意も無い中年男しか居なかった筈なのだが、今日だけは違ったということだ。
あるいは不幸であったと、未来の歴史家は語るかもしれないが。
短い渓谷を抜けた先で視界が開ける。
童貞とて戦士だ、隘路を抜けた先で敵が包囲殲滅を狙ってくることくらいは承知の上で、尚も笑いながら飛び出していく。
そうして敵の影を見た。
敵は。
そう、敵は大きな横断幕に『第一回アイドル握手会へようこそ!!』という文字を描いて掲げていたのだ。
しかも中央先頭には何やら煌びやかな恰好をした女が二人、無防備に立っているではないか。
包囲では無く、真っ向からぶつかる構え。
そう呼ぶにもおかしな陣形ではあったが、とにかく敵が居て、女が居る。
なら突撃しかあるまいと、鼻の穴の大きい童貞が飛び出した。
「いただきだぜぇぇぇぇぇええええ!!!!」
まずは小柄で可憐な少女からだと、叫びながら武器を振り上げる彼にどれほど理性が残っていたのか。
そこへ別な誰かが庇い立つ。
炎の如き真紅の髪持つ、凛々しい雰囲気の女。
とびきり美人だがそうじゃないんだ、もっと柔らかさが欲しいんだと男が武器を振るった。
相手は無手。
こちらを睨み付け、冷や汗を流しているものの、抵抗らしい抵抗を見せて来ない。
だからつい、勢い余った。
捕虜とする筈が殺しにかかっていたのだ。
自国の女達であれば容易く受け止めてくる、そういう慣れもあっただろう。
だが叩きつけた剣が女の頭をかち割る……その直前で何かに弾かれた。
どころか男は吹っ飛ばされて、後続諸共に渓谷へ逆戻り。
身を起こし、舞い上がる砂ぼこりの向こうへ目を凝らして、何が起きたんだと睨み付けるが。
「整列したまえ、参加者諸君。ここはアイドルの握手会会場である」
瓶底眼鏡の男が立っていた。
※ ※ ※
前以って聞かされていたが、アリーシャは心底肝を冷やしていた。
あんな程度の攻撃、炎髪姫と呼ばれた彼女にとって反撃は容易かった。
だがPとレイラより、決して反撃してはならないと言われていたのだ。
想定外に敵がレイラへ向かった為、慌てて庇い立ちこそしたが、振り下ろされる刃に何もしないというのは戦士としての本能が猛烈な拒否感を掻き立たせた。
『芸能神マップァの加護を受ける我々は、芸事による活動を妨げられることはない』
これは戦神と芸能神との代理戦争。
かつてのアリーシャが戦いの中で戦神より加護を受けていたように、アイドルもまたその活動中は加護を得られるのだと。
『ふっふっふ。しかも無数に入り乱れる兵共へ加護をばら撒く戦神に対し、芸能神の加護対象となるのは今の所お前達二人のみ。分かるか、お前達はかの偉大なる神の力をたった二人で独占しているのだ』
理屈はなんとなく分かるが、だからといって抵抗するなは無茶が過ぎた。
が、事実として敵は吹っ飛び、目を丸くして瓶底眼鏡の青年を見上げている。
彼は上機嫌に両腕を広げて演説中だ。
「嗚呼ッ、愚かなる戦神へ仕える憐れな者共よ! アイドルを推し、彼女達の笑顔に包まれるがいい!! ちゃんと整列して順番待ちをするのならば、我々は諸君らに至高の時間を与えてみせよう!!!!」
因みに今、彼が襲われた場合はどうなるのだろうかとアリーシャは思った。
一応彼も使徒として加護を受けている筈なのだが、一般スタッフとアイドルでは加護っぷりが異なるかもしれない。
確認にと、芸能神の分霊を名乗る少女へ振り返った。
「レイラ、アレは大丈夫なの――――」
「だ、だだだ、だいじょうぶ、だよ」
「お前が大丈夫か」
顔を青くして震えるレイラにアリーシャは駆け寄る。
無理もない、と彼女は思った。
普段どれだけ堂々と振舞っていようと、レイラはまだまだ十二かそこらの少女なのだ。
戦場を経験すらしていない一般人が、あんな真っ向から鼻の穴の大きな男に迫られては。
「無理をするな。ステージ越しに相対するのと、こうして同じ高さに居るのとでは感覚も違うだろう。しばらくは私に任せて、お前は下がって休んでいろ」
「いいえっ。わた、私がアイドルから逃げるなんてありえないですっ、芸能神なんですからっ、へっちゃらですっ」
「それはそれとして手は握るんだな」
「うるさいですっ」
強がる姿についアリーシャは笑みがこぼれる。
これで踊りや歌の腕前は彼女の遥か上を行くのだから、自然と敬意も湧こうというもの。
調査によって敵方の好みは概ね、レイラに傾くだろうとも言われていたから、最終的にはやるしかないのだが。
やわらかく、優しく、包み込む様に。
Pに散々言い含められた対応マニュアルを思い返しつつ、彼女は前線へと歩いて行った。
※ ※ ※
訳の分からない男が長広舌を振るい、訳の分からない何かを諭してくる。
童貞達は混乱していた。
先ほどまで下半身を滾らせ、夢を追い掛けひゃっはーしていたのに、今や地に伏しているのだから。
強烈な負荷を感じる。
天罰だ。
戦いへ向かう時、彼らは戦神へと誓いを立てる。
逃げず、首級を挙げて、勝利を約束する誓いだ。
それを破った者には須らく罰が与えられると言われている。
しかし彼らはまだ戦い始めたばかり。
逃げてはいない。
敵に届かなかった不可思議はあるものの、このように理不尽な罰など与えられるものかと疑問する。魔法の類は存在するが、あんな抵抗は見たことが無かった。
故に視線は男へ向かう。
先ほどから語っている神の名は、彼らにとっても聞いた事の無いものだ。
しかも芸能という言葉に至っては全く以て見当も付かない。
マップァ……マップァとは……。
「はぁーい、みんなー、ごめんねー」
そんな所へ先ほどの煌びやかな恰好をした少女達がやってきた。
「さっきは驚いちゃった。でもっ、乱暴は駄目だよ? レイラに会いに来てくれたのなら、ちゃあんと整列して、順番を守って来てね?」
「おっ、お前達はなんなんだっ」←トサカ頭の童貞
「アイドル、だよ」
アイドルとは。
疑問へ答えるように、もう一人の女が一歩前に出る。
見目は麗しく、息を飲むほどに可憐だが、ややも彼らが苦手とする気の強さが見え隠れする、そんな女が。
「ここは我が国の企画するアイドルの握手会場だ。キサマ達を歓迎する、と言っているのだ。私か、こちらのレイラか、好きな方を選んで各自の天幕前へ並べ。順番に一人ずつ中へ入ってきたら、私達が対応する」
童貞達は生唾を呑み込んだ。
あの、気は強そうだが腕も腿も、臍も大胆に晒した女が、向こうにある天幕の中で対応してくれる?
一体ナニを……?
「そ、それは一対一なのか!?」←新兵童貞
「握ってくれるっていうのか!?」←熟練童貞
「そうだな。先ほどの件でお前達も分かったことだろうが、私達に暴力は通じない。敢えて警備を入れる必要も無い為、天幕の中で待っているのは私かレイラのみだ。そこで、確かに握ってみせよう」
童貞達は前屈みになった。
握ってくれる。
その言葉だけで漲るものがある。
「よしっ、準備が出来た者から並ぶがいい!! 好きな方を選び、順次天幕の中へ入ってこい!!」
「駄目だよぉ、そんな乱暴な言い方じゃあ」
勢いよく号を発した女につい身体が反応してしまった彼らだが、まだ少し戸惑いもあった。
本当に握ってくれるのか。
いやそもそもナニを握ってくれるんだったか。
ややも冷静さを取り戻しつつあった所へ、ふらりと前へ出てきた少女が一番鼻の穴の大きい男へ近寄り、自ら手を取ってきた。
右鼻穴が更に膨らむ。
「はいっ、貴方がレイラの最初のお相手ねっ」
「えっ!? お、俺っすか!?」←鼻の穴の大きい童貞
「駄目ぇ? レイラ、貴方に来て欲しいなって思うんだけどぉ」
「しょ、しょうがねえなあ……っ」←鼻の穴の大きい童貞
童貞は女からの好意に弱い。
それが見せかけであろうとも。
ましてアイドルとして活動する彼女らが、誠意と真心を以って接してきたのであれば、武器を手放しふらふらと連れ込まれるのも無理は無かった。
まるで休日にお散歩へ行くような恰好で歩いて行く二人を見送った、真紅の髪の女が難しそうな顔をして、けれど首を振った。
ちょっとだけ、気恥ずかしそうにしながらの固い表情で。
「……さあ、最初に私の手を取ってくれる奴は誰なんだ」
名乗りを上げた新兵が必死に服で手の平を拭くのを見て、女は自らその手を取り、握った。
慄く彼へ向けて少しだけ表情がやわらぐ。
「気にするな。戦場での手汗など当たり前だ」
いい匂いがした。
※ ※ ※
第一回握手会を終えて、意気揚々と帰っていく牙の国の者達を見送った後、天幕ではPを含めたアイドル達が休息を取っていた。
「つ、つかれた…………体力はある方だが、握手がこんなに重労働だとは思わなかったぞ……」
運び込んだ長椅子で横になり、スタッフによるマッサージを受けるアリーシャ。
「おにーちゃーん……だっこぉ」
広げた御座の上で胡坐を掻くPへしがみ付き、ダラけるレイラ。
共に疲労困憊であった。
なにせうっかり一人一回という回数制限を設け忘れていた為、連中は何度も何度も繰り返し握手をしに並び直したのだ。
体力自慢の戦士達、その相手には流石のアリーシャも疲れが隠せなくなっていた。
「二人共よくやってくれた。敵は侵攻を諦め撤退した、この報は皇国にも入るだろう。まだ安心出来るとは限らないが、物理的にも暴力が効かないという話を受けて、しばらくは様子見が続くものだと思われる」
「あぁ……そういえばそういう話だったな。すまない、途中から失念していた」
「アイドルの役目は人々を笑顔にし、幸せにすることだ。雑事はこちらへ任せておけ」
しれっと言ってのけるPの横顔を、寝ころんだままアリーシャは眺める。
騎士団長であった頃には考えられない有り様だが、地獄の様なレッスンを繰り返す内にだらけを見せる事にも慣れていった。
気品も見栄も、余裕があるからこそのものだ。
今はなにより、休息を取る事が重要。
だというのにこの男は、と彼女は息を落とす。
「そういえば、まだ一人握手会に参加出来ていないファンが居たな」
起き上がって居住まいを正し、やはりどこかやつれて見えるPを見た。
島国での戦いが終わったとはいえ、軋轢は多く、反発する者もそれなりに居る。だというのにアリーシャ達がアイドル活動に専念していられるのは、彼が外野を必死に纏めているからだ。
国の頂点となって、誰よりも偉ぶっていられる筈の男が。
ならば、と。
褒章を与えなければならない。
本来は逆だが、誰も与えないのであれば。
「さあどうした。普段あれほどアイドルを讃えている者が、こんな好機を逃すのか?」
ややも挑発的に笑ったアリーシャをPが見る。
背中に妹アイドルをぶら下げたまま、彼が瓶底眼鏡の向こう側から強烈に見詰めてくるのが分かった。
手を差し出して、
今日一番の笑顔で以って、
最初のファンを迎える。
「今日は来てくれてありがとう。これからも、私はきっとアナ――――」
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