第5話 芸能神

 青年が未だ少年にすら届かぬ幼子であった頃。

 世界には戦争が渦巻き、国境線からも遠い片田舎ですらその影響からは逃れることが出来なかった。


 逃亡兵か、あるいは敵国から浸透してきた工作員だったのか、今では確かめる術は無くなったが、彼らの襲撃によってその辺境には惨劇が引き起こされた。


「ふざけるなっ、ふざけるなっ、くそう! ふざけるな野蛮人共が!!」


 稀有な出自を持つ幼子は、歳に見合わぬ頭脳によって襲撃から逃れ、山奥へと逃げ込んでいた。


 とはいえ、その程度。


 世界を変えるほどの力はなく、頭の中に浮かんでくる異なる世界の知識も、今殺されていく人々を救う手立てにはならなかった。


「どうして争うんだっ! こんなことを続けていて何になる!? 犠牲と悲劇を繰り返してっ、延々と殺し合いを続けるだけだろうが!!」


 彼の不幸は異世界の記憶などと言うものを持ってしまったことから始まった。


 最初からこの世界しか知らなかったのであれば、疑問を持たずに居られただろう。


 武器を持って戦い、呆気無く切り殺された父のように、あるいはそれを勇敢な、誉ある死と称えた母のように、戦いを賛美していられた。


 なのに彼の頭には歌があった、踊りがあった、華々しい文化、芸能があった。

 故にこそ許せない。

 こんな殺し合いにうつつを抜かす暇があるなら芸事を学べと嘆いていた。

 人々を幸せに出来るのは戦争ではない、芸能だ。


「こんな……っ、こんなことで!」


 そうして幼子は、いつしか誰も寄り付くことを止めた祠へと辿り着く。

 見慣れぬ様式の建築物、それが神を祭ったものであると彼には理解出来た。


 また人々を争いに駆り立てる馬鹿の一柱だろうと睨み付けて、そうして――――虚ろなる神と出会った。


    ※   ※   ※


 神とは人間によって創造された。

 人類史以前の、自然や獣が支配していた時代の古き神は確かに居るが、この世界の霊長となった人間がその信仰によって新たな神を創造し、崇めるようになったことで、古の神は力を失っていった。

 畏れ、敬い、信仰する、そういった想われる事で神々は力を増していく。


 故に暴力は強かった。


 人間が生まれ、集団化すれば必ず争いが生まれる。

 統治を確かなものとするべく付加価値としての芸能が重んじられる時代も長く続いたが、やがて一人の帝王が登場した事で人々はそれを忘れていった。


 本を焼き、人を焼き、無知なる民を愛した統一皇帝。


 その死によって次なる覇権を巡って戦争が始まった時、既に人々から芸能は失われていた。


 僅かに口伝された文化も戦いに呑み込まれ、多くが失われたことだろう。

 かつて人類と共にあり、歌よ舞よと尊ばれた芸能神もまた、同様に。


 忘れ去られた神は消え行くのみ。


 きっと、その幼子が現れなかったら、彼の内にある強烈な芸能への想いが無かったなら、数瞬の後に消え失せていただろう。


『――――人の子よ』

「また神か! 戦えって!? お前もその一つか! ああ戦いなんてうんざりだ!! 殺し合いなんてして何が楽しい! 俺は知っているぞっ、戦争なんぞよりも遥かに楽しいっ、この心を沸き立たせる至高の輝きを!! お前が神だろうと知ったことか! 俺はっ……俺は…………、っ!!」


 彼の心には瑕疵があった。

 前世での死。

 そう。彼の語る輝きもまた、時に曇るのだと。


 だがその上で言い切った。


「神よ!! 俺は戦いなんぞ絶対に嫌だ!! 俺はっ、芸能こそが! アイドルこそが世界に必要なんだと信じている――――!!」


 世界の闇を祓うに足る、強烈な想い。


 それを受けて、消え行くだけだった神はほんの僅かに力を取り戻した。

 虚ろだった意識に確かな意思が宿る。


『出来るのか、そのアイドルに』


「出来る!!」


『そうか。ならば、私の全てをお前に託そう。最早消え失せるのみだった、ちっぽけな神の力だ。好きに使って見せるがいい』


「お前は……?」


 神は答えた。

 幾年月、投げ掛けられることも無かった、その問い掛けに。


『我は芸能神マップァ。人と共に生まれ、人と共に歩んできた。だがそれも、最早不要なのだろうと諦めていたが』


「芸能神。芸能。居たのか、この世界にもっ、アイドルを称える者がっ!!」


『その、アイドルというのは何なのだ?』


「ふっ。芸能神ともあろうものが……しかし仕方の無い事か、こんな殺し合いの世界では。いいだろうっ、この私がその素晴らしさについて三夜を越えて語り尽くしてやろうとも!! いいか、まずアイドルというものの歴史についてだが――――」


 その三日間を、芸能神は胸を躍らせながら過ごすことになった。

 かつてあった、

 今は失われた、

 楽しくも輝かしい日々のように。


 幼子の語る異世界の出来事を、自らもまた幼子のような無邪気さで聞き入り、大いに笑った。


    ※   ※   ※


 「そうして芸能神マップァは、幼子の母に自らの御霊を宿らせ、私を産み落とさせた。ふふっ、だって彼の語る話はとても楽しくて、遠くから見ているだけなんて出来なかったんだもの。だから、私はあくまで分霊の一つではあるけれど、芸能神マップァそのものとも言える」


 途方も無い話を聞き終えて、けれどアリーシャは理解が及ばなかった。

 夜も更けつつあるバルコニーにて、見上げた月は朧で。

 雲を掴むよりも尚遠い、彼方の物語にも思えてしまう。


 それもそうだろう。


 神々の代理戦争という話は彼女自身聞いた事はあるが、周囲がそう語っているだけで、自分で考えたことなど無かった。


 更に目の前に居る少女、レイラが神の化身であるなどと言われても。


「……その事、奴は知っているのか」


「承知しているわ、当然でしょう? 彼は私にとって最初の信者。その強烈な想いを受けて生じた力そのものが私なの」


「私にはどうにも理解が追いつかない。お前が真実を語っているようにも思えるが、それに納得出来るだけの知識も見識も不足している」


「そうね。でも頭の片隅には留めておいて。別に今から態度を改めろって言ってる訳じゃ無いから」


「……分かった。そうする」


 話はここで終わりだ。

 レイラが神の化身であれ、ただの人間であれ、やるべきことは変わらない。


 アイドル。


 芸能神マップァの巫女として、平和の為に働いていくのみ。

 しかし、


「戦ってはならない……芸能を尊ぶ神の元で、か。今回は上手くいったが、あまりにも綱渡りだ。次もまた同じ様に行くかと問われれば、やはり私はマイクよりも剣を握りたくなる」


 戦場で生きてきたからこそ、すぐに考えまでは変われない。


 先の終戦へ至るステージですら、Pが何年も前からレイラのライブ映像を大量にばら撒いていたからだ。

 アイドルを受け入れる下地がある所へアリーシャが加わり、恐るべき炎髪姫という印象をぶち壊す笑顔で以って、あの日の成功は生み出された。


 同じだけの仕込みを今後も行っていたら、二人はあっという間に現役引退の年齢を迎えるだろう。


 彼を信じたくもある一方で、現実的な、現場を知る人間として無謀を悟ってもいる。


「駄目ですよ」


 そこへレイラは釘を刺してくる。

 Pの、アイドルの一番の理解者として、当然ではあったが。


「アナタはもう芸能神マップァの巫女なんです。なのに武器なんて持ってしまえば、一度でも暴力をチラ付かせれば、芸能の影に人々は戦いを垣間見てしまう」


「先ほど話していた信仰か。混ざり合うにせよ、芸能と戦争では分が悪い」


 暴力は強い。

 問答を押し潰し、命を刈り取り、相手の全てを奪ってしまえる。


 いずれアリーシャもレイラも、ステージの上で暗殺に倒れる日がくるのかもしれない。


 それでも、一度覚悟を決めたのならば。

 思って夜空を見上げたアリーシャへ、傍らから不服そうな声が来る。


「もしかして、気付いていないんですか?」


 なんだ、と首を傾げる。

 見上げてくるレイラは、視線を受けてあっさり顔を逸らしてしまったが、問い掛ける前に異変がやってきた。


 夜分の礼も無視して駆け込んでくる早馬。


 何事かとバルコニーから下を覗き込むが、飛び降りた伝令が脅し付けるようにして門番を咎め、屋敷の中へと押し入ってくる。

 護国卿からの連絡だと聞こえたが。


「何事か!!」


 アリーシャが階下へ降りて行った時、既にPが伝令から報告を受け取っていた。

 応じる横顔が幾分やつれて見えたが、そこに言及するより早く彼が気付いて呼び掛けてくる。


「レイラ、アリーシャ」


 と、やや遅れてレイラが付いてきていた。

 先に呼ばれなかった事で小さな引っ掛かりを覚えるも、何をと首を振って向かい合う。


「なにがあった」


 仮にも伯爵家の庭を踏み荒らす様な勢いでやってきたのだ。

 しかも、終戦したとはいえ、かつての敵であった護国卿の使者が。


 緊張するこちらへ対してPはやや考え込む。


「お兄ちゃん」

「あぁ」


 まただ、とアリーシャは胸元を握った。

 不安か、緊張か、それに似た何かが胸を過ぎる。


「この国が大陸に小さな占領地を持っている事は知っているな?」


 向けられた視線に心を正し、どうにか応えた。


「あぁ……、っ、さして使い道の無い土地だからと、殆ど周辺国からも放置されているだけの荒れ地だ」


 それでも島国にとっては重要な橋頭保となる。


 敵が迎え撃ってくる中での上陸作戦は過酷を極める。

 故に領地として主張し、金食い虫と分かっていながら部隊を駐留させ続けていた。

 大陸への侵攻など考えられないほど疲弊していながらも、殆ど慣例的に行っていたことだ。


「どうやら、その土地を歴史的に自国の領土であると主張し始めた奴らが居るらしい」

「二重の意味でふざけた話だな。何十年にも渡って実効支配しているのはこちらだ。なによりあんな土地を大陸の何処が欲しがるというんだ?」


「皇桜の国だよ」


 まさかの呼び名にアリーシャも身を固くした。

 皇桜の国とは、統一皇帝の正当なる後継国家を名乗る大陸最大級の国だ。

 単純に動員できる軍事力だけでも百倍以上はある。どう足掻いても勝ちようが無い、考え得るだけでも最悪な相手だった。


 Pもまた予想外だったのか、受け取った書状を睨み付け、度々熟考する様子を見せる。


「撤退するしか……ないのでは、ないか……?」


「ふむ」


「待て待てっ。お前が奇跡の様な終戦を成し遂げたことは分かっているが、今回ばかりは相手が悪いっ。素直に退いた相手には手厚い保護を与えるが、歯向かったなら容赦無く叩き潰してくる国だぞっ!」


 まるで皇桜の国への対抗策を考えているように見えた為、アリーシャは慌てて捲し立てた。

 今は終戦直後の微妙な時期。

 舵取りを失敗すれば、こちらを切り捨てた南朝とで再び島内の争いが再燃するかもしれない。


 大人しく退く、それしかない筈なのだ。


 Pは再三に渡って確認し終えた書状を仕舞い込み、伝令へと目を向けた。


「これで報告は以上なんだな」


 首肯を受け、彼は顔を上向かせる。

 その瞳はやはり遠くを見詰めていて。


「皇桜の国は主張しているだけだ。宣戦布告ではない。領土は自分のものだと訴えながら、圧倒的に国力で勝る相手へ返せとも、戦うとも言ってこないのは…………長期的に正当性を確保する為だけというのは甘く見過ぎだな……ならば」


「何を考えている」


「皇桜の国にとってあの場所は飛び地となる。占領する旨味も無く、こちらへ何も言ってこないというのは、例えば属国に献上品を確保させる為の正当性を与えているようにも見える」


 周辺国から見ても、土地を長年保有してきたのが誰であるかは明白だ。

 そこへ攻めかかって手に入れたとして、次は自分達かと周辺国との緊張が高まるだけ。

 まして遠隔地への派兵は莫大な費用を要する。

 皇桜の国の名に恐れをなして差し出させる、という考えもあるにはあるが、


「必要のない土地……意味の無い主張、得られるものは……ふむ」


「何を考えているかと聞いているっ」


 ややも声を荒げたアリーシャへ、ようやくPが応じてきた。

 怪しく瓶底眼鏡を煌めかせ、嫌な予感のした彼女が身を引くより早く踏み込んでくる。


「皇桜の国は新たな戦略を生み出した我が国に興味を持っている。つまり、自分達じゃない誰ぞに喧嘩を押し付けながら、こちらの価値を測っていると見るべきだな」


「っ、それは……かの国がアイドルに興味を持っていると……?」


「そのとおおおおっり!!」


 小さな極東の島で行われていた戦争は終わった。

 けれどまた新たな火種が生まれ、戦いは大陸へと移っていく。


 かつてこの男は何と言って元老院議会を乗っ取ったのか、アリーシャは改めて思い知る事になる。


「近く敵が我が国固有の領土を奪い取ろうと攻めかかってくるっ!! ならばっ、我々の取るべき道は一つだァ!!」


「聞きたくない聞きたくない聞きたくない」


「アイドルによるぅ……ッ」


 はい。


「握手会の開催だあああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 そんな訳で、アイドルの大陸進出が決定した。


















    ※   ※   ※


   幕間 ―アイドル周辺機器誕生秘話②―


 「こちらに映像と音声を記録し再生させることの出来るファンタジーアイテムがあると聞いて来たが」

「はい、P。はい、事実です」

「……画質も音質も素晴らしい。軽量小型で運搬にも優れている。しかも僅かな魔力で稼働する為、一般市民でも扱う事が可能だとは。実に、実に感動的な性能だ。しかしここまでのモノとなれば、量産には凄まじいコストが掛かることだろうな」

「いえ、P。いいえ、一度雛型を作ってしまえば、ウチの庭で雑草みたいに生えてきます。量産は余裕です」

「まじでか。凄いなファンタジー」


    ※   ※   ※

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