第5話 2日目

 お昼を過ぎても、何とか仕事に注意を向けつつ何とかやり過ごしていたが、夕方になると少年への執着心は薄れて来た。


 俺の脳内はまっとうになって行った。

 マスク七枚入りをあげたから、しばらくもつだろう。

 ああいうエッセンシャルワーカーの人たちは本当にすごい。純粋に何かしてやりたいという気持ちでいたことは間違いない。

 特に若い人には…。


 海外だったら、クラファンで資金を集めて、彼に渡してあげたいくらいだった。

 日本はチップの習慣がないから、いきなり金を渡したら変だしな。

 でも、現金をあげたいくらいの気持ちだった。


 それに、機会があったら、なんで掃除なんかしてるのか聞いてみたい。


 家に帰ってからも、俺は寝るまで彼のことを考え続けていた。

 その日は特に悶々としてしまったのは確かだった。自分がヤバイと思っていた。


 ***


 俺はまた朝早く会社に行った。

 少年に会ってみたい半面、若干面倒臭くはあった。

 ガーゼマスクをしているくらいだから、不織布にはこだわっていないのかもしれないからだ。

 マスクなんかやっても、本当はいらなかったかもしれない。お節介と言うもんだ。


 俺がオフィスに行くと、少年がまた掃除機をかけていた。掃除機と言っても背中に背負うタイプので、本格的な物ではない。あれは、ちょっと非人間的な機械に見える。ごみを背中に背負うなんて汚くないか?


 一日でそんなに汚れるはずはないのに、仕事だからやらざるを得ないんだろう。

 毎日、掃除なんてする意味がないのだが、会社としても、掃除は週三でいいなんて風になったら、彼らが生活していけない。


 俺は声をかけずに自分の部屋に行った。

 しばらくして、「失礼します」と言って、少年が入って来た。

 昨日と同じ、シワシワのガーゼのマスクだった。

 俺の方までつかつかと歩いて来る。俺は緊張して、仕事どころではなかった。近くで見る、真っ白な額は皺が一つなかった。


 彼の可愛さを表現するとしたら、テレビで見るアイドルよりイケメンだったってことだ。


「おはよう」

「おはようございます」

 少年はぺこりと頭を下げると、蚊の鳴くような声が返って来た。ずっと下を向いたまま、デスクの足元のゴミ箱に手を掛けた。俺はドキドキしてしまった。

「朝、早いの?」

「あ、はい」

 少年はおどおどした。

「何時から?」

「6時からです」

「6時?どうやって来てるの?電車ないんじゃない?」

 そこはオフィス街だったから俺はびっくりした。

「始発で来るんで…」

「大変だね。どこから来てんの?」

 プライベートなことを聞いてまずいなと思ったが、もう口から出てしまった。

「北区の〇〇です」

「そうなんだ…」

 〇〇があるところだよねと、俺は言った。

「あ、はい。そうです」少年の口ぶりは何も言わなくても、よく知ってますねという感じがこもっていた。

「ごめん。邪魔しちゃって。でも…、一日くらいじゃ変わらないし、適当でいいから。このフロア、特に人がいないから」

「は、はい」

「よかったら、コーヒー飲まない?」

「え」

 少年はどぎまぎしていた。

「時間あればだけど」

「あ、はい…」

「自販機で好きなの飲んでいいよ。全部タダだから」

「え?いいんですか」

「うん。好きなの飲んでって」

「はい」

 俺は一緒に自販機の前に行って、自分がお手本を見せるためにコーヒーのボタンを押した。

 俺がいた会社では、駅や病院にあるようなカップの自販機が無料だったのだ。初めて見た時はすごくうれしかったけど、今は飽きてしまった。一応、自販機の前には椅子とテーブルもあった。


「そこ座っていいから」

「はい」

「別に何杯飲んでもいいよ」

「すいません」


 俺は仕事に戻った。少年は何か注いで飲んでいたが、しばらくするとまたゴミを集め始めた。もちろんゴミは入っていないのだが、一応点検のためにすべてのゴミ箱を覗いていた。





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