第4話 妄想

 今考えるとかなり変だけど、俺はその日ずっとその子のことが気になっていた。


 どういう人なんだろう。


 対人恐怖症だとしても、なんで掃除の仕事なんかしてるんだろう。田舎ならともなく、東京だから仕事はいくらでもあるだ。もっと楽な仕事をすればいいのに。

 どうして掃除なのか聞いてみたい。


 もしかしたら非行歴があるとか。

 不登校で学校の勉強についていけなくて、ドロップアウトしてしまったのかもしれない。

 中卒だと仕事は限られるだろう。

 コンビニとかでも受からないと聞いたことがある。


 それか、軽度の知的障害があるか…。


 だけど、あんなかわいい子がもったいないな。

 何かしてあげられないか。


 だからって、一体何を?

俺に採用の決定権なんかないのに。


 俺の頭のなかにはそんな思いが渦巻いて、どうしても払いのけることができなくなっていた。


 俺の心にある異常な何かが一体何なのか、自分でもわからなかった。


 今、改めて思うのは、若くて、弱いものを完全に支配したいという欲望だったのかもしれない。動物ではなく、もっと人間に近くて、対話できる何かだ。


 コロナのせいで俺はいかれていた。


 俺は一人でい過ぎたと思う。

 俺は当時一人で住んでいたし、コロナの前からずっとそうだった。


 俺は戸籍上は既婚者だったけど、婚姻の実態はない状態だった。結婚生活は破綻していた。


 異常なほど教育熱心な妻は、数年前から、子連れで海外留学をしていた。よくそんな金があるなと周囲に言われるが、妻も以前は外資でバリバリ働いていたし、実家が資産家なうえに、株でずいぶん儲かっていたから、俺は一切金を出していなかった。もともと俺より妻の方が収入が多かったのだ。


 純日本人なのにアメリカのアイビー・リーグ出身。しかも、美人で背が高く、スタイルもよかった。非の打ち所がない完璧な女で、性格はいつもポジティブで前向き。朝活でヨガをやったり、睡眠時間を削ってまで自分磨きをしていた。男を萎えさせるタイプの女だったのだ。


 俺は最初から彼女にふさわしくなかった。


 じゃあ、なぜ、結婚したかというと子どもができたからだ。はっきり言って付き合っている感じでもなかったが、同じ会社に勤めていて、遅くまで一緒に働いていたらそういう関係になってしまったのである。妻の元カレは外国人ばかりだったが、結婚するなら日本人が良かったと言っていた。理由は国際結婚は離婚が多いからだそうだ。統計的にもそうらしいし、確かに欧米の人は×イチが多い。彼らの場合、結婚は一回失敗して、二度目は過去の経験を生かして成功するのかもしれない。


 日本では、一回目の結婚が幸せだったという人が多いと聞く。

 しかし、俺が幸せだったのは、最初の子どもが生まれた時だけ。妻に愛を感じたことは一度もなく、ずっと違和感しかなかった。結局、あの人は日本人でもアメリカ人でもない、中途半端な存在なのだ。どこの国の人なら合うかはわからない。本人もそう感じていたに違いない。


 彼女は異性関係にだらしない女で、頻繁に外国人男性と飲みに行って、夜中に帰って来ていた。あっちの人は匂いが強いからすぐにわかった。


 子どもは2人いたけどどちらも反抗期で、ほとんど口を利かないまま海外に行ってしまった。俺の仕事が忙しくて、家族でいたのは盆暮れ、年一回の長期休暇くらい。どっちもインターに行かせていて、夏休みは海外にホームステイさせたりしていたから、親子関係も希薄だった。ついでに、普段からフィリピン人の子守おばさんが住み込みでいたから、幼い頃でさえ、俺にはあまりなつかなかった。


 そんなわけで家族が海外に行ってからも、連絡が来ることはほとんどなかった。妻は留学先で年齢の違う若者たちと仲良くなり、第二の青春を謳歌しているらしかった。多分、ボーイフレンドがいたんだろうと思う。コロナのせいで授業がオンラインになっても日本に帰って来なかった。


 俺は住宅ローンの残った我が家で、寂しく気ままな一人暮らしをしていたのである。娯楽と言えばネットで動画を見るくらいで、それすら課金はしてなかった。


 飲みに行くことも、不倫デートすることもなかった。

 一人でコロナの恐怖に怯えていた。

 他の同僚は家族がいた。

 女性は実家暮らしが多かった。

 男は所帯持ちばかり。


コロナ前は同僚と雑談して気晴らしができたが、それもなくなった。


 少年に対しては、親のような気持だったのかもしれないし、ただ、人恋しかったのかもしれないと思う。


 俺は気分転換にクラシック音楽をかけて、ようやく本気で仕事に取りかかれるようになった。

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