第9話 コロッケ

 4月3日午前8時30分、俺が洗濯をしようとしていると、ドアホンが鳴った。

 今日も幼馴染が来たか、と思って玄関を開けると、やはり空がいた。


 黒いショートヘアにつつまれた小顔が今朝も美しい。

 黒いスウェットシャツ、白のミニフレアスカート、黒ストッキング、黒革のブーツを身につけている。

 とても長いすらっとした手足。見慣れていても、思わず見入ってしまう美人、それが空だ。

 こんなに綺麗な子が世話をしに来てくれるのが、いまでもまだ不思議だ。


「おはよう」

 あいさつして、家の中に招き入れた。

「おはよう。何時に来たらいいかよくわからなかったから、とりあえず登校時刻くらいに来たけれど、迷惑じゃなかった?」

 さすが空。けろっと朝7時にやってきたあかりちゃんとは大ちがい。常識がある。

「全然迷惑じゃないよ。もう朝ごはんも済ませてる」

「わたしも朝は食べてきたわ」


 空は両手にエコバッグを持っていた。

「なにを持ってきたの?」

「じゃがいもとか、お昼に食べようと思っている食材」

 またじゃがいもか。おとつい肉じゃがを食べたばかりだけど。

「またピーラーを使わせてもらいたいの……」

 空はもじもじしながら、言いわけするみたいに言った。

 クールに見えて、微笑ましいところがある。よほどピーラーが気に入ったらしい。

「好きなだけ使っていいよ」

 俺がそう答えると、空はぱあっと微笑んで、エコバッグの中身を見せた。

 ぎっしりとじゃがいもが入っていた。何個あるんだこれ……。


「とりあえずなにか飲む?」

「いまはいい。初めてつくる料理だから、すぐにとりかかりたい」

 空は昼食づくりにかなり気合いを入れているようだ。

「なにをつくるの?」

「コロッケ」

 コロッケか。揚げ物は好きだ。揚げたてが特に美味しい。昼ごはんが楽しみになった。

 俺は彼女と一緒にキッチンへ行き、ピーラーを渡した。


「料理は任せていいのかな?」

「うん。今日こそひとりで完璧につくるから、冬樹はのんびりしてて」

「俺は洗濯してるよ」

「洗濯? それもわたしがやるわ!」

 空は俺との距離をつめて、力強く言った。

 彼女は女子としてはかなり背が高く、俺は男子の平均より少し高い程度で、だいたい同じくらいの背の高さだ。

 空の顔が俺の目の前にある。彫像のように美しくて、思わず息を飲む。

「じ、自分でやるよ。洗い物、俺の下着がほとんどだし」

 空の頬に赤みが差す。

「し、下着だって洗わせてよ。わたしは冬樹の世話をするの。下着の洗濯だってするわ」

 空のやる気はありがたいが、そこまでしてもらわなくてもいいと俺は思っている。幼馴染に労働をさせて、自分はだらだらしていられるほど肝は太くない。

「とにかくコロッケをつくりなよ。洗濯機を使うだけだから、こっちは気にしなくていい」

「わかった。じゃあそうさせてもらうわ」


 俺は洗面所に置いてある全自動洗濯機に電源を入れ、水を流した。

 洗い物と洗剤、柔軟剤を入れ、スタートボタンを押す。洗濯コースは標準に合わせてある。

 このまましばらく放置。


 空はエプロンをかけ、キッチンでじゃがいもを洗っている。

 いもは20個くらいある。あれを全部使うつもりなのだろうか?

「あの~、空さん、それ全部コロッケにするの?」

「うん、そのつもりだけれど」

「ふたり分にはちょっと多すぎると思う……」

「そう? じゃあ少し減らすね」

 空は5個脇にどけた。

 うーん、まだ多すぎるかも。

 多めにつくって、空の家に持って帰ってもらってもいいが、初めてのコロッケをたくさんつくるのは大変だ。

「じゃがいもは10個くらいで充分じゃないかな」

「そうなの?」

 空は小首をかしげた。なんとなく頼りなくて、少し心配になった。ちゃんとつくれるのかな。

「ねえ、やっぱり手伝うよ」

「いいから! 今日こそわたしの完璧な料理を冬樹に食べてもらう!」  


 俺は不安を押し殺して、リビングのソファに座り、本を読むことにした。

 一昨日買ってきた女流作家の純文学は読み終わってしまったので、ライトノベルに取りかかる。

 肌色多めの表紙を空に見られるのは恥ずかしいので、紙のブックカバーをつけたまま読む。

 いずれはこういうのも俺は好きなんだと空やあかりちゃんに知ってもらいたいけれど、いまはまだ気おくれしている。

 空はラノベの萌え系イラストをどう思うだろう。小学生のときは読んでいなかった分野。どういう反応をするか気かがりだ。

 

 本を読みながら、ときどきキッチンのようすをうかがう。

 空は真剣な表情でピーラーを使っている。

 皮をむき終わってから、じゃがいもを包丁で手ごろな大きさに切り、鍋で塩茹で。

 そこまでは順調につくっていたが、スマホを見て、美しい顔をしかめた。


「冬樹、マッシャーっていうのある?」

 マッシャーは茹でたじゃがいもなどを押しつぶす道具だ。うちには穴あき型のものがある。昨日も卵サンドをつくるために使った。

 それを渡すと、空は顔を輝かせた。

「これがマッシャーかあ。便利そう」


 空はボウルに入れたじゃがいもをつぶした。

「おお……」

 楽しそうにつぶす。

「つぶれるわ! 簡単につぶれるわ!」

 彼女はマッシャーが気に入ったみたいで、じゃがいもを次々に押しつぶして、その工程をすぐに終わらせてしまった。

「もう終わり?」

 つぶすべきいもがなくなって、残念そうだった。少ししょんぼりとする空を、俺は可愛いと思った。


 2階のベランダで洗濯物を干しているとき、階下から「ぎゃ~っ」という声が聞こえてきた。

 あわてて階段を下り、キッチンへ行くと、フライパンから煙があがっていた。

 空は挽き肉とタマネギを焦がしてしまっていた。

 がんばってはいるが、どうやら彼女は料理が苦手なようだ。

 一昨日も包丁で怪我をしていたし……。


 俺は、中2のときにお母さんが乳がんで入院して、家庭療養の期間も含めて家事全般を担当したので、ひととおりのことはできる。そのときに料理もいろいろとつくった。


 空は料理に慣れているようには見えない。

「ねえ、揚げ物をつくったことはあるの?」とたずねてみた。

「ない。今日はぜひやってみたいと思っているのよ」

 やる気は満々だが、料理の経験は乏しいようだ。


 もしコロッケを揚げている最中に事故が起こったら、最悪火災までの惨事があり得る。

 その後、俺はつきっきりでコロッケづくりに付き合った。

 最初はひとりでやると息巻いていた空も、俺が手際よくコロッケのタネを小判型にし、小麦粉をつけ、溶き卵を絡め、パン粉をつけていると、「すごく上手ね……」とつぶやいて、おとなしく助手の位置に引き下がった。

 彼女も小判型をつくろうとしたが、その形は微妙に歪で、大きさも不揃いだった。まあ形は少しくらい変でもかまわない。

 俺はガスコンロの油温度調節機能について空に教え、180度でコロッケを揚げた。


 揚げたてのコロッケはとても美味しかった。

 空が焦がした挽き肉とタマネギは使い物にならず、じゃがいもだけのシンプルなコロッケになってしまったが、それでもカラリと揚がって充分に旨い。

 空も食が進んでいた。

「美味しいわね。次はがんばってひとりでつくるわ」と彼女は言ったが、まだ任せる気にはなれなかった。


 食後、空はスマホにメモをしていた。たぶんコロッケづくりのコツかなにかを記入しているのだろう。

 俺は微笑ましく思いながら、その端正な横顔を眺めた。

 優等生だけど料理は下手。完璧な美女より、そのくらいの欠点はあった方が可愛くて好ましい。 

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