第8話 関東平野のはじっこの街

「お腹もいっぱいになったし、ふゆっちの部屋のかたづけを始めよっか」

 昼食のサンドイッチをがっつりと食べたあかりちゃんは言った。

 俺の味付けを割と喜んで食べてくれたのは嬉しいが、この言葉には困った。

 やっぱりやるの、俺の部屋のかたづけ?

 気が進まない。

 自分の本の整理は自分でしたいし、なによりも押し入れの中を見られるリスクを負いたくない。


「それは本当にいいよ。自分でやるから」

「えー、ふゆっちの部屋をかたづけて、昔みたいにあそこでごろごろしたいよー」


 あかりちゃんは小学生のときみたいに俺の部屋でごろごろしたいのか。

 それはなにかと不都合な気がする。

 あの頃とは俺はかなりちがっているのだ、主に性欲とか……。

 ひとつ屋根の下にふたりきりでいる時点ですでにヤバいのだが、自分の部屋でごろごろするのは、もっといけないことだと思う。なにかの拍子に俺の理性が飛んでしまったら……。


「腹ごなしに散歩でもしない?」と提案してみた。

 かつて俺たちはまったりするのが常だったが、たまには外出して、近場をうろついた。公園で遊んだり、林で虫を捕ったりした。

 秘密基地に入り浸ったこともある。

 俺はいまでも本に飽きると、よく散歩をする。近くにある清流沿いを歩くのは気持ちがいい。


「いいね」とあかりちゃんは答えた。

「運動しないと太っちゃうんだよ。歩こう歩こう!」

 そう言われて、彼女がときどき走っているのを思い出した。

 早朝や夕方に颯爽とランニングしている姿を見かけることがある。

 あれは肥満防止の行動だったのか。

 砂糖をいくら摂取しても太らない特異体質とかではなかったんだな。


 ジャージ姿だった俺は、パーカーとジーンズに着替えた。

 スニーカーを履いて外に出た。

 あかりちゃんの靴は厚底のローファー。ルーズソックスによく合っている。


 2階建ての一軒家が建ち並ぶ住宅街を、俺とあかりちゃんは並んで歩いた。

 このあたりはかつて、田んぼや畑が多い田園地帯だったらしい。宅地開発が進み、少しずつ住宅街が広がっていった。

 俺たちが住んでいる区画は、20年ほど前に開発された。

 俺、あかりちゃん、空の父親はローンを組んでほぼ同じ時期に家を買い、母親は同じ年に俺たちを生んだ。

 親はそれぞれ別の場所から移り住んだわけだが、俺たちはこの街にしか住んだことはない。

 赤ん坊のときからの幼馴染。


 15分ほど住宅街を歩き、坂道を下ると、清流沿いの砂利道に出た。

 ここは俺のお気に入りの場所だ。

 広々とした河原はキャンプの名所で、いまもいくつかのテントが立ち、焚き火を楽しんでいる人たちがいる。

 清流で釣りをしている人もいる。オイカワやカワムツなんかが釣れる。

 俺と空の父親はふたりとも釣りが大好きで、付き合わされて釣ったことがある。俺は魚が針をくわえて苦しそうに泳ぐのが嫌で、あまり好きにはなれなかった。


「ここはいつ来ても気持ちいいね」

 あかりちゃんも好きな場所のようだ。

 俺たちは砂利道を踏みしめ、小石を鳴らしながら歩いた。

「釣りしてる人たちがいるね」

「うん」

「ふゆっちのお父さんは、タイでも釣りをするんだろうね」

「まちがいなくするね。タイの魚のことを熱心に調べていたよ。巨大な淡水エイを釣りたいとか言ってた」

「エイ?」

「うん、エイ」

「水族館にいる平たいやつ?」

「うん。水族館だけじゃなく、海にいるよ。タイでは川にもいるんだってさ」

「エイって魚なの?」

「さあ、よく知らない」


 俺たちは他愛ない話をしながら散歩をした。

 河原はしだいに狭くなっていった。

 やがて砂利道はとだえた。崖になっていて、それ以上清流沿いを歩くことはできない。

 坂道を登り、また住宅街に入る。

 俺たちは山に近づいていく。ここは関東平野のはじっこの街だ。平野が終わり、山地が始まるところ。


 山の麓で立ち止まった。

 神社とコンビニがあって、その間が登山口になっている。

 よく整備された山道が伸びていて、低い山の頂上につながっている。

 俺とあかりちゃんはその山を見上げた。

 俺たちは神社山と呼んでいる。

 神社山の中腹には、俺とあかりちゃんと空が小学3年生のときに遊んだ秘密基地があった。

 事件が起こった場所。

 俺はもう長い間、そこには行っていない。


 コンビニであかりちゃんは缶のココアを買った。

 それが甘ったるいのを俺は知っている。一度買ったことがあって、あまりの甘さにうげっとなった。

 俺はペットボトルの緑茶を購入した。

 彼女はココアを美味しそうに飲んだ。


 俺たちは山には登らず、家に向かって引き返した。

 象の形をした遊具のある公園に寄った。象の鼻が滑り台になっている。

「なつかしー」と言って、あかりちゃんは滑り降りた。

 自然に笑みが浮かぶ。

 俺はあかりちゃんとの散歩をずいぶんと楽しんでいるのに気づいた。


 家に帰り着いた。

 かなり長い散歩をしたので、疲れていた。

 ソファでふたり隣り合って座った。

 いつの間にか眠っていた。起きたのは午後5時ごろ。あかりちゃんは俺に寄りかかって、まだ気持ちよさそうに寝ている。

 起こさないように気をつけて、静かに座りつづけた。

 彼女が目を覚ましたのは、6時少し前だった。

 お腹がすいていた。


「夕食はあたしに任せて! 絶対につくらせて!」とあかりちゃんは言い張った。

 俺はなにが出てきても食べる決意をして、うなずいた。

 彼女がつくったのは、やきとりとみそ汁、コールスローサラダだった。

 やきとりはかなり甘い味付けだったけれど、食べられないほどではなかった。

「美味しいよ」と俺が言うと、あかりちゃんは嬉しそうに微笑んだ。


「やきとりのたれはしょうゆ、砂糖、みりん、酒だけで簡単につくれるんだよ。その配合は企業秘密さ」

「砂糖多めでしょう」

「バレたか」 


 夕食後、あかりちゃんは左隣の家に帰った。

「あさって来るからねー、バイバーイ」

 彼女は手を振り、俺は振り返した。 

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