第六話 最高の日

今日、夢野穂香ゆめのほのかは心の底から幸せでいっぱいだった。

長く思い続け、しかしかなわぬだろうと半ば諦めていた自身の恋。

この恋が実ったのである。

自身のこれまでの人生において、これほどの幸せはなかっただろうと穂香ほのかは思う。

思いつつ、この喜びを心の中に隠しきれない穂香ほのかは、いつにもまして笑顔で廊下を歩いていた。  

現在時刻は16時を少し過ぎたところ。

は、放課後の人通りの多い廊下をわき目も降らず一心不乱に思い人のいる教室へと歩いていた。

その背後を、怒りと絶望にその目を澱ませた少女がつけていることなど、幸せな彼女は全く気が付かなかった。


「おいあれ見ろよ!穂香ほのかさんだ…」



「なんで通常課程の教室しかない東棟こっちに来てるんだ?」



「図書館に本でも取りに来たんだろ」



「それはないだろ。向こうの図書館の方が蔵書量多いって話聞いたぜ」



「そんなことはどうでもいいだろ。見ろよ穂香ほのかさんの顔。あんなに笑っているの初めて見た」



「真面目な顔の穂香ほのかさんも美しいが、笑っている穂香ほのかさんも美しいなあ」



「さすが穂香ほのかさんだ」


日本一の有名人であり、我が校一の美女である夢野穂香ゆめのほのかが能力者育成課程の生徒が集う西棟から出てきている。

それだけでも珍事なのに、明らかにご機嫌で、今にも鼻歌でも歌いだしそうなほどに楽しそうな笑顔で歩いている。

多くの生徒が彼女を見て、その美しさやご機嫌の訳について、話を膨らませていた。

一方、周りの話し声など気にも留めない穂香ほのかは、かいのいる教室へと向かっていた。


「すうっ、ふぅ。さあ、行きましょう。」



『ガラガラガラッ』



「失礼します。大野快おおのかいさんはいらっしゃいますか?」


そして彼女は、生徒もまだ多く残っている放課後の教室へと入っていった。

周りの目線など、気にしないまま。

ーーーーー


「失礼します。大野快おおのかいさんはいらっしゃいますか?」


この声を聞いたかいは驚愕した。

なぜ今、この場所で彼女の声が聞こえるのか。

かいの脳は、どうやら現実を理解することを拒んだようで、頑なにこれは幻聴だ声が似ているだけだと無意味な現実逃避を重ねるも、その間に当の現実彼女かいの目の前まで歩いてきていた

かいさん。一緒に帰りましょう!」


彼女が言った。

いくら放課後とはいえ、いまだに多くの生徒が残っているこの教室内で、彼女は周りの目など一切気にせず言い切った。


「おい、あいつ…」



「なんだよあいつ、穂香ほのかさんの何なんだよ」



「わざわざこっちの教室まで迎えに来るなんて…」


周りから嫉妬の交じった声が聞こえる。

かいは、自身の平穏な学生生活が崩れていく音を聞いた気がした。


「どうしました?早く帰りましょう」


美しく、しかし一切引く気の無い笑顔を向けながら穂香ほのかは言う。

かいは、自身の平穏を少しでも守るため考える。

そして、


「わかった!すぐに帰ろう!」


一刻も早くこの場から逃げることを選択した。


「はい!帰りましょう」


かいの心中を知ってか知らずか、立ち上がったばかりのかいを引っ張り、穂香ほのかは足早に教室を出る。

そこで、


かい!お前…」


かいは、今最も会いたくない男の顔を見た。


「すまん裕也ゆうや、今日は穂香ほのかと帰るから一緒に帰れないわ。マジごめん」


かいは早口にそうまくしたてると、足早に教室を去った。


「あいつ…お姉さまを呼び捨てに…」


裕也ゆうやは、その背中に聞き覚えのある声を聞いた気がした。

しかしそれを聞かなかったことにして、急ぎ教室に戻っていったのだった。

しばらくは何もしたくない。

そんな心境であった。

ーーーーー

帰りの電車の中、かいは困惑していた。

最初は明日裕也ゆうやになんと言い訳をしようかなどと考えていて全く気が付かず、良い言い訳も思いつかないので気晴らしもかねて周りを見渡した時に気が付いた。

もの凄い笑顔の穂香ほのかに無言で見られている。

彼女はニコニコと笑いながら隣に座るだけで、他に一切の行動が無い。

こちらから話しかければ返事ははしてくれるものの、すぐに話が終わってしまい、また彼女がニコニコとこっちを見ているだけの時間に戻ってしまうのだ。

いよいよこの沈黙にいたたまれなくなったかいは、意を決して楽しそうこちらをニコニコとみているだけの穂香ほのかにその理由を聞いてみることにした。


「あのー、穂香ほのかさん?何故ただひたすらこっちを眺めながらニコニコとしておられるのでしょうか?」



「ふふふっ、なぜ急に敬語なんですか?」



「いや、少し緊張して」


無言で笑顔のまま見られているのが怖かったなどとは言えなかった。

そんなこちらの内心など知らない彼女は笑顔のまま答えた。


「そうですか。ふふふっ、今更緊張なんてやめてくださいよ。先の質問の答えですが、横にあなたがいると思うと嬉しいのです。ずうっと思い続けていた人が隣にいてくれる。こんなにうれしいことはありません」



「そ、そうか。ならいいんだ」


そんなぎこちない会話も終わり、また沈黙が訪れる。

しかし、かいは先ほどまで感じていたいたたまれなさがさっぱり消えていた。

彼女の内心を知った今、笑っている彼女を見るだけでかいも幸せだった。

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