第39話 日本武道館の氏神、将門公の築土神社
大学が春休みであった二〇二三年三月九日の事であった。
当時、大学二年生だった灯は、〈推し〉ているアニソン・シンガー〈LioNa(リオナ)〉さんのワンマン・ライヴに〈参戦〉する為に、九段下の日本武道館を訪れた。
これが、灯にとっての初武道館であった。
朝から並び、昼過ぎに物販を終えた後、「靖国通り」を挟んで、武道館対面の「靖国神社」を訪れ、灯は〈推し〉の〈初〉武道館ライヴの成功を祈願した。実は、靖国神社の参詣もこの時が初めてであった。
参拝を終え、武道館に戻った灯は、開場時間までの間、ヲタク仲間と、会場付近でおしゃべりをしていたのだが、その時、物販の後、一緒にランチをせずに、灯が何処に行っていたかが話題に上がった。
「実は、〈おしな〉さんの武道館の成功を祈ろうって思って、そこの神社に行っていたのですよ」
「へぇ~、トモリちゃん、わざわざ〈つくど〉にお詣りに行ったんだ」
灯は、ヲタク仲間の間では、本名の〈灯〉の別の読み方である〈トモリ〉を通り名としている。
「えっ!? 『つくど』って何ですか? 武道館近くの神社って靖国じゃないんですか?」
これに、灯のヲタク仲間の一人で、ヲタク歴三十年オーヴァーの初老のヲタク〈ふ~じん〉が応じた。
「あっ! 〈トモリ〉ちゃん、たしかに、靖国神社って武道館のほぼ真ん前にあるんだけれど、実は、日本武道館の〈氏神〉って、靖国神社じゃないんだよ」
「そうなんですか? 日本(にほん)武道館の神様って、近いし、てっきり靖国だって思い込んでいましたよ」
「実は違うんだよ。勘違いし易いんだけど、靖国の近くにもう一つ神社があって、そこが『つくど神社』って名前で、そここそが日本武道館の氏神なんだ。
あと、細かい話になるんだけれど、正確には、『にほん』じゃなくて、『にっぽんぶどうかん』ね」
「そうなんですね」
上京から二年近くも経っているのに、まだまだ知らない事や、知っていても勘違いしている事って沢山あるんだな、と大学二年当時の灯は思ったものであった。
その後、なかなかタイミングが合わず、実は、日本武道館の氏神である神社を実際に訪れたのは、アイムと同行したこの日の朝が初めてとなったのである。
「灯よ、ほんにここなのかえ?」
「アイムちゃん、地図だと間違いなくここって出てるよ」
携帯の地図アプリに、「築土神社」と打ち込んで、アプリの音声と文字による指示に従って移動したので、今、目の前に在る鳥居の先にあるのが「築土(つくど)神社」である事は間違いない。
そして、一人と一柱は、一礼してから鳥居を潜り、短い参道を進んだ。
灯は、武道の聖地にして、〈ライヴ〉の聖地でもある日本武道館の氏神なので、築土神社を、勝手に大きな神社だと思い込んでいたのだが、目の前に在る神社は、ビルとビルに挟まれ、〈こじんまり〉と鎮座していて、それゆえに、予想に反する規模に思わず驚きを示してしまったのである。
実は、灯は、約一年半前の日本武道館のワンマンの後に、ちょっと気になって、この神社について色々と調べた事があった。
令和六年現在、築土神社は、住所的に言うと、東京都千代田区の九段に位置している。その創建は天慶三年、西暦九四〇年にまで遡る事ができ、なんと千年以上もの歴史を誇っているのだ。
今現在、この神社の主祭神は、「天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)」である。だが、我々現代人にとっては、〈ニニギ〉という名の方が通りがよいかもしれない。
ニニギと言えば、「天照大神(あまてらすおおかみ)」の〈孫〉にして、「神武(じんむ)天皇」の〈曽祖父〉に当たる神で、なんといっても、「天孫降臨」の神として有名だ。
『記紀神話』において、天照大神は子である「天忍穂耳(あめのおしほみみ)命」に、高天原と黄泉の国の間にある「葦原中国(あしはらのなかつくに)」、すなわち、地上の平定が終わったので、この地を治めるように命じた。
だが、命じられた天忍穂耳命は、自分ではなく、自分の子を天照大神に推薦した。
その結果、天照大神の孫、つまり〈天孫〉であるニニギが、高天原から、「高千穂峰」へ天降った。
それゆえに、この神話上の出来事は「天孫降臨」と呼ばれている。
そして、ニニギは神武天皇の祖先なので、この天孫降臨は、天皇家による日本統治の〈起源〉とされている重要時なのである。
だから、こう言ってよいのならば、灯とアイムは、天照大神を主祭神とする〈東京のお伊勢さま〉である「東京大神宮」から、その孫であるニニギが祀られている「築土神社」に徒歩で移動した事になろう。
葦原中国、つまり日本を最初に統治したニニギを主祭神とする、この「築土神社」の御神徳は〈子孫繁栄〉と〈工事安全〉だ。
子孫繁栄という御神徳は、天皇家の祖であるから分かり易い。
工事安全という御神徳は、日本という国の〈土台〉を築いたからであろう。
もしかしたら、日本の〈土〉台を〈築〉いた事から、神社の名である「築土」は由来しているのかもしれない、と灯は思った。
ところが、これは灯の思い違いであったようだ。
江戸時代の頃、今、「築土神社」と呼ばれている神社は、現在の新宿区筑土八幡町に鎮座し、この頃既に「築土明神」と呼ばれていた、という。
つまり、「築土」の名は江戸時代からのものだったのだ。
だがしかし、ニニギが、この神社の主祭神となったのは、明治時代に入ってからなのである。
そもそも、ニニギは、天孫降臨の地である高千穂峰がある鹿児島県の「霧島神宮」の主祭神なのだが、明治時代に入ってから、その〈ニニギ〉の分霊が、今の新宿区筑土八幡町という、旧江戸城たる〈宮城〉から遠くはない位置に在った神社の主祭神として勧請され、これ以降、ニニギが、その社の主祭神となったのである。
ちなみに、ニニギが主祭神となったのは、正確には、明治七年、一八七四年で、この時、神社の名は、今あるような「築土〈神社〉」に改称された。
つまるところ、今年令和六年、二〇二四年とは、社の名の改称と、ニニギが築土神社の主祭神となってから〈百五十〉年という記念周年の年という事になろう。
とまれかくまれ、〈明神〉から〈神社〉への変更はあったものの、神社の固有名は江戸時代からのもので、〈築土〉の名がニニギの御神徳に由来するとみなすのは、たしかに名の由来の理由としては説得力があるものの、その実、社名とニニギは無関係であったようだ。
あれっ!
たしか、百五十周年って話だったけれど、創建は九四〇年で、今年は二〇二四年だから、一〇八四年の歴史な分けで、えっと……、〈一五〇割る一〇八四〉は〈〇.一四〉で、つまり、〈ニニギ時代〉って、社の歴史からしたら二割にも満たないんじゃないのっ!
じゃあ、ニニギ以前の祭神はいったい誰だったのかしら?
創建の頃から明治の初めまでの約九〇〇年の間、この社は、「津久戸明神」、「田安明神」、「築土明神」と呼び名が変わりつつも、明治時代の初めまで、唯一の祭神であり続けたのは、今の築土神社の〈相殿神(あいどののかみ)〉である「平将門公」であった。
九四〇年とは、将門公が亡くなった年で、そもそも、平将門の首を祀り、塚を築いた事こそが「津久戸明神」創建の由来なのである。
どうして、この世に深い怨念を残し、祟りや災いを招き、日本を震撼させた〈日本三大悪霊〉の一人と言われている「平将門」を神として祀っているの? と灯は思ったのだが、調べてみたところ、こうゆう理由らしかった。
たしかに、正史においては朝廷に叛意した逆賊として扱われているものの、将門公は、関東を駆け巡り、この地で勝利の上に勝利を積み重ね、関東八国を平定し、〈新皇〉と称した。だから、平将門は、東国においては英雄・武道の神として祀られているのである。
それゆえに、築土神社の相殿神である将門公の御神徳は〈武勇長久〉と〈勝運向上〉で、だからこそ、ただ単に場所が近いという理由からではなく、武道の聖地である日本武道館の氏神様になっているのであろう。
でも、って事は、ずっと築土神社のオンリー・ワンだったのに、ニニギが鹿児島からやって来て、将門公は、トップ神の座から引き摺り降ろされたって事になるのかしら?
社務所が開く前の早朝という事もあって、この時間帯に築土神社の境内にいるのは灯のアイムだけであった。
そして、灯がこんな考えを脳内で巡らせている間、彼女の隣で、アイムは呪文を唱え続けていた。
しばらくして、呪文を唱え終えたアイムが髪を一本引抜くと、その黒髪に息を吹きかけた。
すると、その髪の毛は蛇のような形をとり、ふわふわと空中を漂い、空気を這うようにして、ゆっくりと本殿の中に入っていった。
この蛇化した髪こそが、魔神アイムの分霊である。
かくして、アイムの分霊は神不在の築土神社の留守神にもなり、築土神社の氏子区域である富士見地域は、法と火の魔神アイムの支配領域となったのであった。
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