第35話 ハミルトン路あるいは〈大回り〉
「そっかそっか……。たしか、この千代田区上に描く魔法陣の強化の為に、アイムさま御自身が掛けた〈バフ〉って、左側五分の四の範囲に在る六つの点と、残りの右側五分の一に在る四つの点を、アイム様が指示した通りに順序良く辿ってゆくって話でしたよね」
「然り」
「だから、よくよく考えてみると、アイムさまの〈制約〉って、同じ辺を二度通るのは問題無いが同じ点をたどっても構わない、という一筆書きゲームのルール、つまり、オイラー路のグラフ理論とは確かに違っていますね」
「なっ、そうじゃろ」
「それに、自分で語ってきたくせに今更気付いたのですが、〈一筆書き〉、オイラー路の経路って〈小道〉だけれど、アイム様が掛けた〈制約〉は、同じ点を二度通っては駄目な経路の方なので、厳密に言うと〈道〉って事になりますね」
こんな風に述べながら、まず最初に灯が思い出したのは、〈一筆書き〉について調べた、その過程でグラフ理論に関する幾つかのテクストを読んでいる最中に、「オイラー路」と共に知った「ハミルトン路」の概念であった。
すなわち、グラフ上の同じ〈辺〉を二度通ってはいけないのが「オイラー路」で、それに対して、「ハミルトン路」とは、グラフ上の全ての〈頂点〉を一度ずつ通る路の事なのだ。
そして、オイラー路において、出発点と終着点が同じになる経路として、「オイラー〈閉路〉」があるように、辺をたどってゆく過程において同じ頂点を重複せずに元の点に戻る「ハミルトン〈閉路〉」という概念もある。
そしてこれまた、オイラー閉路を含むグラフを「オイラーグラフ」と呼ぶのとを同じように、ハミルトン閉路を含むグラフは「ハミルトングラフ」と呼ばれており、これに対して、出発点と終着点が同じ頂点ではない、言い換えると、閉路ではないハミルトン路を含むグラフは「〈準〉ハミルトングラフ」と言うらしい。
そして、ハミルトン路について書かれていた文献には、グラフが「ハミルトングラフ」であるかどうかを判定する簡単な定理は未だ存在していない、と書かれていた。
つまり、判別法に関しては、次数が全て偶数ならば「オイラー閉路」だと分かる、「オイラーグラフ」ほどには簡単ではないようだ。
がっくし、であった。
ところで、である。
ハミルトン路について知った時に灯が思い出したのは、 中高生時代に繰り返し観ていた、〈鉄道〉、もっとかみ砕いて言うと、〈乗り鉄〉を題材にしたアニメの影響で、大学入学の際に上京した後に、JRの最安運賃の切符一枚を片手に、いわゆる「大回り」をした事であった。
JRで移動する場合、大都市圏では、乗車駅すなわち出発点と、目的駅すなわち終着点までの乗車経路が複数存在し得る。その場合、実際に乗車する列車や経路は、乗客が自由に選べるようになっている。
例えば、二〇二四年現在、出発駅が「東京」で目的駅が「八丁堀」の場合、切符での運賃は〈一五〇〉円だ。
この場合、京葉線の下りに乗れば、移動は一駅で、その移動距離は〈一.二〉キロ、時間は〈三〉分で済む。
しかし、である。
例えば――
東京〜川崎:東海道本線
川崎〜尻手:南武線
尻手〜浜川崎:南武線支線
浜川崎〜鶴見:鶴見線
鶴見〜大船:根岸線
大船〜茅ヶ崎:東海道本線
茅ヶ崎〜橋本:相模線
橋本〜八王子:横浜線
八王子〜高麗川:八高線
高麗川〜高崎:八高線
高崎〜小山:両毛線
小山〜友部:水戸線
友部〜我孫子:常磐線
我孫子〜成田:成田線支線
成田〜千葉:成田線
千葉〜蘇我:外房線
蘇我〜八丁堀:京葉線
といったように、一都六県を跨ぎ、十五時間かけて十七路線を乗り継ぎした末に、東京駅の隣の八丁堀駅で降りる事もまた可能となる。路線や駅を重複しなければよいからだ。
つまり、同じ路線という〈辺〉を重複せず、同じ駅という〈点〉も二度通りさえしなければ経路は自由というJRの規則の逆手を取り、たくさん列車に乗れる〈乗り鉄〉の遊びこそが〈大回り〉なのである。
視聴したアニメの影響だったのだが、灯が初めて〈大回り〉をした時、七時に東京駅の改札を通って、二十二時に八丁堀の改札を出る事になった。たしかに、ルールに則ってはいるものの、もしかしたら下車時に〈キセル〉を疑われるのではないか、と、この時の灯は不安を覚えたりもした。だが、乗車切符を記念にもらう為に、八丁堀の有人改札を出た際には、駅員さんには「ああ、あれね」という感じの反応をされたものの、あっさりと改札を通れ、肩透かしをくらった経験がある。
要するに、〈東京~八丁堀〉とは、東京近郊の定番の大回りコースなのだ。
だが、何回かこのルートで〈大回り〉をし、慣れてきたところで、違うルートを使った際には、下車したのがあまり〈大回り〉をする〈乗り鉄〉がいない駅だったのか、改札で乗車駅から下車駅までの経路を、まるで〈キセル〉ではない事を証明するテストのように全て言わされた事があった。
たしかに、路線や乗換駅を事前に入念に調べてはいても、急に言わされると、往々にしてすんなりと口から出てこない事もあり得る。
だが、この時の灯は、実況中継としてSNSで呟きながら〈大回り〉をしていたので、問題なく経路が言えて事なきを得た。
だから、大学の友人には、もし〈大回り〉をする事があるのならば、下車前に、移動経路を全て言えるような準備をする方がよいよ、と助言した事があったのだが、今のところ、周囲には〈大回り〉をするような人間は、残念ながら一人として現れてはいない。
とまれ、同じ路線を重複せずに、同じ駅を二度通ってはならない、JRの「大都市近郊区間」のルール内で可能な〈大回り〉とは、たしかに、全ての路線を通るものではないものの、閉路ではないハミルトン路を含む「準ハミルトングラフ」に似ているように灯には思えたのであった。
「カレーの食べ歩きに、神社の参詣、一筆書きのパズル・ゲームに、〈乗り鉄〉……、ほんにまっこっと、汝は多趣味じゃのぉ」
魔神アイムは、妙な感心を灯に示したのであった。
「ふむ、いずれにせよ、たしかに今回は、ある〈〇〉から別の〈〇〉に伸ばし得る線全てを通る〈制約〉は掛けてはおらず、十個の〈〇〉を一度だけ、ワレが指示した順に辿ってゆけば、〈結界〉の解呪は強化されるという寸法じゃ」
「つまり、アイム様の魔法陣の〈〇〉に重なるような位置にある、飯田橋・九段下・市ヶ谷・永田町・有楽町・大手町・神田・秋葉原・御茶ノ水・神保町の順に、その十か所に在る神社を訪れて、そこに、アイム様の分霊の蛇を据えてゆくのですね」
「然り。じゃが、もう既に飯田橋の東京大神宮には分体を置き終えておるので、残りは九か所じゃな」
「なるほど」
「さて、汝よ、ワレに、送還の儀に用いる魔術書を見せてたもれ」
「は、はい」
命じられた灯が、鞄の中から取り出したグリモワールを魔神に手渡すと、魔神アイムはその魔術書を一枚一枚めくった後で、頭を左右に何度も振りながら、本を灯に戻した。
「一体どうしたのですか? アイムさま」
「汝よ、何故じゃっ!?」
「『なにゆえ』って?」
「何故に、〈写し〉をせぬままに、直接、本にて召喚術を行使したのじゃっ!」
「えっ、えっ!?」
突然、詰問され、灯は返答に窮し、当惑してしまった。
「すまぬ。そう言えば、そもそも、汝は〈魔術師〉ではなかったのぉ」
「は、はぃ……」
冷静さを取り戻したアイムは、灯にこう言った。
「汝よ、その手にある魔導書のいかなるページでも構わぬ、開いてみるがよい」
そう言われた灯は、プレラッティの魔術書のラテン語写本の最初の一ページ目を開いてみた。
えっ!!
灯の視界に入ってきた書面には、ただの一文字すら文字が書かれていなかったのである。
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