呪われた姫神 その28
「儀式の晩……僕は由里香さんを犯したんです」
その言葉の意味を探るように、遥香は黙って昭博の顔を見つめるだけ。
答えはしない。
「儀式の最後。夫となる者との娶(めあわ)せの儀式……儀式というには、あまりに生々し過ぎますね」
と、昭博は自嘲気味に口元をゆがめた。
「一晩、由里香を自由にしていい。まだ僕も若かったですからね。そう、お義母さんからそそのかされて、ついつい、その気になったのです。好きにしていい。そういれてついフラフラと隣室で寝ている由里香さんの布団の中へ」
「……本当に、そうですか?」
遥香は初めて、口を開いた。
「本当に、己の欲望を満たしたいだけ。それで由里香さんを抱くことに同意されたのですか?」
「……」
「……」
「……厳しいなぁ。さすが神様だ」
昭博は耐えかねたように声を上げて笑った。
「ハハッ。……そうですよ。よくわかったものです」
笑い終えた後の昭博の目には、普段の穏和さをかけらもない。
それは冷たい光だけが宿る―――獣の目だった。
沈黙する遥香に、昭博は続けた。
「僕は、由里香さんを殺すつもりだったんです」
「やっぱり」
「でも、なぜわかったのです?」
「そうでねぇ……」
遥香はちょっとだけ迷った後に答えた。
「私も昭博さんの立場なら、同じ事したと思うからです―――答えになってませんか?」
「成る程」
「やむを得ない、望んだわけでもない。言い訳はいくらでも出来ます。でも、倉橋家の内部分裂を招き、多数を死に至らしめたのは、たしかに由里香さんですからね。その中で最大の犠牲を支払わされた忍軍にいたあなたですもの」
(よくご存じだ)
昭博は内心で舌を巻いた。
隠し立てして通る相手ではない。
由忠先輩が浮気に失敗するのも無理はない。
だから、昭博はありのまま答えた。
「そうです。僕は、そうとしか由里香さんを見ることが出来なかったんです」
「一服もられましたか?」
「まさか」
遥香が会話をほぐそうとしてくれているのが昭博には有難かった。
「殺すつもりで部屋に入ったのはよかったんですけどね?ただ、由里香さんの寝顔を見ていたら、考えが変わっちゃったんです」
「そうですか」
「ええ。みんな、彼女を愛し、守るために死んでいった……ここで僕が由里香を殺したら、それこそ、みんなは何のために死んでいったのかわからなくなる。それだけは避けたかったんです。だから」
昭博は遥香の顔を見つめながら言った。
「彼女には、僕が出来る限りで罪を償ってもらおうと」
「……それで」
「そうです。それで、僕は由里香を犯したんです。何度も」
遥香は、何故、昭博が妻を「抱いた」といわず、「犯した」というか、その理由がわかった。
「……そして」
「翌日、お義母様に呼び出され、そして告げられました。由里香の倉橋家追放を」
「どうしたのです?」
「そりゃ、反対しましたよ。やったコトがコトだけに、妊娠していたらどうするんだ。腹の子は後の巫女ではないのか。とね。ところが、お義母様から言われたのです。あれの腹から生まれてくるのは、人の子ではないと」
「人の子ではない?」
「ええ。だから追放する。ただ、由里香には黙っていろ。ただ、自分が腹を痛めた子として育てよと。あの時、思ったのは、「卑しい忍軍の者の子」つまり、人として扱う価値のない子だ。そういう意味です。正直、今までずっとそう思ってきたのです。それならそれで、僕の復讐は果たせますしね。だから、お義母様からその時教わった倉橋の巫女の話なんて、せいぜいが由里香への慰めや言い逃れ程度にしか考えていませんでした。……ただ、さすがに今は」
「だから、最後の希望といったのですか?」
「はい」
昭博は頬を掻きながら頷いた。
「お義母様の言葉は関係ない。さっきの遥香さんの言葉も関係ない。ただ、ただの僕のような卑しい身分の者の子を産むという倉橋家にとって屈辱ともいうべき人生をたどることで罪滅ぼしさせようという、僕の魂胆通り、単に普通の、僕と由里香の子であってくれればいい。そう思ったのです。それ以外に何もいりませんでした」
「悠理と由忠さん同様、綾乃ちゃんへ最終的なニンゲンの遺伝子を、あなたが与える結果になってしまった。……皮肉なことですわね」
「全くです」
「でも、そう思えることは素晴らしいことですね」
「時の流れは、人を変えますよ」
昭博はため息をつき、
「あの晩の僕が今の僕を見たら、なんて言うでしょうね」
「ふふっ……」
「由里香さんなしでは人生が考えられませんなんて、受け入れたでしょうか?」
「それはフォローですか?それとも本音?」
「本音、ということにしておいてください。もう夫婦喧嘩はコリゴリです」
「わかりました。ただね?昭博さんは、由里香さんに言ったそうですね」
「?」
「生まれてくる子供に、生まれなんて関係ないって―――違いました?」
「似たようなこと、いった覚えがありますよ」
ちらと見た昭博の顔は、やや赤かった。
「もうあの時には、由里香さんは僕にとって生きる理由でしたからね」
「だからこそ、綾乃ちゃんがただの、普通の、女の子であって欲しいと願った」
「……それで、遥香さん」
「はい?」
「最後に、これだけはっきりしておいてください」
「どうぞ?」
「綾乃は、命の危険にさらされているのですね?」
「……ええ」
遥香は答えた。
「ただ、それは危害という意味ではなく、病としてとってくださいね?」
「……」
「安心してください。あの子は、生まれを理由に危害を加えられることはありませんわ」
「……そう、信じたいです」
「信じてくださいな。神様の御言葉ですよ?」
「クスッ……はい」
それからしばらく、二人は沈黙した。
窓の外では名も知らない鳥が鳴いている。
「それで」
窓の景色を見ながら、遥香は言った。
「どうなさいます?」
「どうもこうも」
昭博は笑っていた。
諦めに似た何かが浮かんでいた。
「記憶を消すのでしょう?」
「……もし、あなたがこの重荷に耐えられるのでしたら話しは別です」
「無理ですね」
昭博は肩をすくめた。
「娘が人間ではない。そんなことを背負いながら生きていく。ましてそれを綾乃の前で隠し通せる自信はありませんよ。あの子、由里香さんの娘だけにカンは鋭いんです」
「では?」
「知らない方が幸せって、本当にあるんですねぇ」
「はい」
「僕なんて、知らない方が不幸だって思うタチだから、受け入れがたかったんですが、いや。いざとなるとダメですねぇ」
「昭博さん」
遥香は言った。
「少し、お眠りになって下さい。これは、夢だったのですから」
「―――はい」
昭博は、目を閉じた。
そう。それでいいんだ。
昭博は心のどこかで納得していた。
人がなぜ、どうやって生まれてくるか?
僕が踏み込んだのは、その世界。
学者にとっての禁足の地。
目を覚ませば失われるとはいえ、僕はその一端をのぞき見たのだ。
もし、知れば綾乃は怒るかもしれないけど、それでも僕は満足だ。
人の身で入ることの出来ない世界を見たのだから―――。
昭博の意識は、そこで途絶えた。
その頃、問題の二人がどうなっていたか?
綾乃の魔力を中和するため、二人は同じ建物に缶詰にされていた。
時折、倉橋の関係者が訊ねてくるだけの静かな日々がすでに数日過ぎている。
「?」
ついさっき、巫女が一人、綾乃と話をして帰っていったばかりだ。
時計を見たらすでに午後8時を回っていた。
巫女が、何か、本を持ってきてくれたらしい。
いくらクラスメートとはいえ、世間に疎い水瀬にとって、会話のネタはさすがに尽き果てていただけに、有難いと思ったのだが……。
「悠理君……」
本を抱きしめながら綾乃はなぜか潤んだ瞳で水瀬を見つめていた。
「?綾乃ちゃん?」
水瀬の本能は、綾乃の態度がいつもと異なることを告げていた。
「あのね?」
近づく綾乃の手に抱きしめられているのは……。
「綾乃ちゃん?何?そのたまご倶楽部って」
綾乃の手にある本の表紙で赤ん坊が笑っていた。
水瀬は、すごくイヤな予感がした。
「……欲しいです」
ほらやっぱり。
「何を?」
「赤ちゃん……ほしいです」
全国数千万の綾乃ファンなら命すら投げ出すだろうこの一言を喰らった当の本人は、気が付くと10歩は後ろへ下がっていた。
「ど、どうしたの?いきなり」
「……私と悠理君は相性がいいそうです。そんな二人に出来た子供なら、安心して次の倉橋家を任せられるって……倉橋家を継いで、幸せな家庭を築いて欲しいって、もう毎日、みなさんが代わる代わる」
成る程。
水瀬は気が遠くなる思いがした。
(どうしよう……)
皆、綾乃と何を会話しているのかと思ったら、「跡取り産んでくれ」と迫っていたのだ。
水瀬が好きでたまらない綾乃にしては、嬉し恥ずかしとはいえ、願ったりかなったりな話だ。
だから、綾乃が本気になっているのはイヤでもわかる。
「あ、綾乃ちゃん……落ち着いて」
水瀬は、こういう時に絶対言ってはいけないセリフを喋ってしまった。
「?……落ち着いてますよ?」
ムッ。という顔になった綾乃がそれでもなお、水瀬に迫る。
「どういう意味ですか?落ち着けって」
「だっ、だって僕達まだ15歳で」
「年齢なんて関係ないです。愛し合えばそのうち……」
「まだ早い気が……」
「愛し合う前提条件として子供がいて、何が悪いのですか?」
「だっ、だから、あのね?」
「それとも何ですか?悠理君は、私のカラダ目当てだったのですか?」
「そうは言っていないよぉ!」
「じゃ、どういう意味ですか!?」
水瀬はもう分かり切っていた。
この後、綾乃がどうするのか。
そして、自分がどんな運命をたどるのか。
案の定、2時間ほどして、その建物は吹き飛んだという。
2時間。
水瀬にしては、よく持ったというべきだろう。
合掌。
一年後。東京駅。
「あっ。来ましたよ?」
昭博夫妻の前で新幹線から降り立ったのは、着物姿の有里香と、そして亜里砂だ。
中学校に進学した亜里砂は、由里香の目にも少しだけ大人びて見えた。
「あっ、オバさん!」
由里香に気づいた亜里砂が元気に手を振ってくる。
「お、おば……さん……ですか。み、身内にまで……」
「ははっ。由里香さん。もう、そんなトシですよ?」
「し、静御前は、有里香はまだ一人産めるって」
「いや、それは関係ないんじゃないかな」
「で、でも、ショックです」
「……どうしたの?オバさん」
駆け寄ってきた亜里砂が不思議そうな顔で由里香を見上げた。
「い、いえ。それより、亜里砂ちゃん。大きくなったわね?」
「うん。去年より10センチ伸びたのよ?」
「あらあら」
ほほえむ由里香の視線の先には、
「……」
「……」
不思議と、言葉が出ない。
あの日以降、何度も会話を交わしたはずなのに、いざとなると、言葉が出てこない。
土の下から発見された母の葬儀の翌日、別れて以来、そんなに月日は経っていないのに。
「お久しぶりですね。有里香さん」
昭博がそう言ってくれたのが、由里香にとって救いだった。
「あ、……はい。お久しぶりです……姉様も」
有里香の言葉もつまりがちだ。
「ええ……お久しぶり。元気だった?」
「はい。分家の跡はまだしばらくかかります。本家と共に東達が頑張って支えてくれていますから」
「そう……亜里砂ちゃんも元気そうだから、なによりね」
「はい。姉様も変わりないようで」
「由里香さん。さ、食事にでもいきましょう」
昭博がそう言って亜里砂達の荷物に手を伸ばす。
「あっ。すみません」
「いえいえ」
「オバさん。お腹すいちゃった」
「これ、亜里砂。さっきもお弁当食べたばかりでしょう?」
「だってぇ」
バツの悪そうな顔をしつつも、亜里砂も、そして有里香もどこか楽しそうだ。
「美味しいお店、予約してありますよ?」
「亜里砂ちゃんは、何か苦手なものあるのかい?」
「えっとね―――」
そんな会話をかわしつつ、四人は、雑踏の中へ消えていった。
駅の外、空にはあの日見た渦はない。
あるのは平和な青空だけ。
人に必要な世界が広がるだけだ。
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