呪われた姫神 その26

 祭壇に近い森の中で、由里香達は一塊りになっていた。

 「大佐、どのように?」

 「悠理に結界を張らせてある」

 「結界?」

 「ああ。結界内に催眠呪文(スリープ)をかけて、連中を全て眠らせて」

 「結界って、こういうのですか?」

 由里香は手にした木札を由忠に見せた。

 「ああ。それだそれ―――」由忠が凍り付いた。

 「由里香?それ、どこにあった?」

 「ここです。この藪の中」

 「……大佐」

 「……由里香、それを戻せ」

 二人のげんなりした様子に、

 「え?」由里香は驚いたように声を上げた。

 「結界が壊れたんですか?何故です?」

 「そりゃお前」

 「こんな木の札がなんですか?」

 由里香は手の中で木札を玩び、

 ペキッ

 「あらやだ。折れちゃいました」

 「由里香」由忠は由里香の腕を掴んでまっすぐに顔を見つめた。

 「きゃ?よ、由忠さん?私は人妻ですよ?」

 「返答次第では、お前を有里香に突きだして俺達は帰るぞ?―――お前、そのボケ、わざとやっているのか?」

 「ボケって……何を、ですか?」

 「その……結界を感知したり破壊したり」

 「ま、まさか」

 由里香はホホホッとわざとらしい笑い声を上げる。その目は絶対に由忠を見ようとはしない。

 「―――まぁ、いい」

 由忠は由里香から手を放すと、刀に手をかけた。

 「いずれにせよ、俺達が本家を狙っていることは知れている。イーリス、由里香の護衛につけ。オレが前面に出てあいつ等を引きつける。その間に有里香を殺れ」

 「了解」

 「―――はい」

 由里香は心細げに短刀を鞘から抜いた。

 これで私は―――

 由里香は自分に問いかけた。


 これで、妹を手にかけることが出来るのか?

 いや。


 心が否定する。


 出来るかどうかではない。

 やるんだ。

 倉橋家のためではない。

 娘のために……。

 脳裏に娘の姿が浮かび上がる。

 腹を痛めて産んだあの子のためにも、私はやらなければならない。

 それが、偽りでも、覚悟は決めなくてはならない。

 

 由里香は黙って短刀を鞘に戻した。

 「由里香殿」

 気がつくと、いつの間にかイーリスが自分の前に移動していた。

 イーリスは、まっすぐ祭壇を見つめながら、

 「私が前に出ます。防御結界は展開出来ますか?」

 「はい。大丈夫です」

 「わかりました。その手を汚すことは考えず、妹君の説得のみに心を砕いてください」

 「イーリスさん、でも、私は」

 「血族を殺した血まみれの手で、綾乃殿を抱けますか?」

 「!!」

 「血にまみれるのはあなたの仕事ではありません―――我々、騎士の役目。どうぞ、そのように」

 「……ありがとう、ございます」

 こぼれそうになる涙を抑えながら、由里香はイーリスに頭を下げた。

 「よし。いくぞ」

 「はっ」

 「はい。御武運を」


 由里香達のいる場所から離れた位置。

 祭壇をA点、由里香達がB点とした場合、A点を頂点とする二等辺三角形が形成される場所(C点)に由忠は立った。

 抜き身の日本刀を下げた男が現れたのだから、周囲が騒ぎにならないわけがない。

 「きゃぁぁぁぁっ!」

 偶然、通りかかった巫女が悲鳴を上げ、警備に就く忍達が動く。

 

 それが、戦いの始まりだった。


 「由里香殿!」

 「はいっ!」

 忍達が一斉に動き、周囲の感心が由忠へ集まったのを確認したイーリスに促され、由里香は祭壇へ向け、一気に走った。


 警備の忍達が四方から襲い来る。

 「陣っ!」

 「ぎゃっ!」

 由里香の圧縮魔法で形成された不可視の防御魔法が忍達をはじき飛ばす。

 「来ないでください!」由里香は叫びながら走った。

 「痛いですよ!?寝込んじゃいますよ!?」

 「じゃ、こっちに来い!」イーリスが叫ぶ。

 「寝込むことなく地獄に送り込んでやる!」

 イーリスは立ちふさがった忍二人に魔法の矢をたたき込むと、両脇から同時に襲いかかる忍二人と刃を合わせた。

 「―――ハッ!」

 右から来た忍の懐に飛び込み、その腹にナイフを突き立て、ほぼ同時に地面を蹴る。

 「セイッ!」

 左から来た忍の延髄を蹴り飛ばした。二人の忍達は声もなく地面に崩れ落ちる。

 「由里香殿!」

 「大丈夫です!ただ、手向かわない者達には!」

 「わかっていますが―――グハッ!?」

 突然、祭壇方面から放たれた莫大なまでの攻撃魔法がイーリスを襲った。

 イーリスがとっさに展開した5重の防御魔法の4枚までを突き破って爆発した攻撃に、イーリスははじき飛ばされた。

 「イーリスさん!」


 「―――よくぞ我が攻撃を防いだものだ」


 一瞬、背筋が凍り付いた気がした。

 身の毛がよだつような声というのが、現実に存在すると、由里香は初めて知った。


 幕屋の中から出てきたのは、巫女。


 「その者、大した者だ」


 「あ……あなた」


 巫女装束に身を固めているが、さすがにわかる。


 17年の歳月は、隔たりとはならない。


 亜里砂が自分を見て母親だと思っても無理はない。

 まるで、目の前に自分が立っているような錯覚すら由里香に覚えさせるその姿。


 巫女はクックックッと嘲るような笑い声を上げ、言った。

 「一族の恥部が、何を今更おめおめと」

 

 「あ、有里香?」

 「―――今の私にそんな名はない」

 巫女―――有里香は大仰な態度で言い放った。

 「我は倉橋家当主、倉橋の巫女じゃ」

 「な、何を言っているの?お母様が認めたことなの!?」

 「継承にしくじった愚か者が何を言うか」

 「―――くっ。有里香、せめて、せめてお母様に!」

 「あれに会いたいのか?」

 「あ、あなた……親をあれだなんて」


 「会いたければ死ぬがよい」

 有里香は眉一つ動かさずにそう答えた。


 「!?」

 意味が、わからない。

 「有里香?それは―――どういう?」


 主人の前とあって、忍達は由里香とイーリスを遠巻きに取り囲むだけで手は出してこない。


 「意味がわからないのか?愚かな」

 「ま、まさか―――あなた」

 意味がわからないわけではない。  

 わかりたくないのだ。


 「古き者なぞいるだけ邪魔じゃ。邪魔なれば消す。―――何がおかしい?」


 「ち、血を分けた親を……あなた、そんな、そんなことを……!」

 「半殺しにして祭壇に埋めてやったわ。直接に殺したわけではない。息の出来ぬ苦悶がヤツを殺してくれたのよ」

 アーッハッハッハッ!!

 耐えきれない。そんな顔で有里香が高らかに笑った。


 そんな……。

 由里香は呆然としてその言葉を聞いた。

 自分を産み、育ててくれた親が、

 厳しかったが、それでも愛した親が、

 冷たい土の下で苦しみながら死んだ。


 暗闇の中で苦しみ、息絶える母の姿は、由里香に妹への憎悪を駆り立てるのに十分だった。

 「有里香ぁ!」

 由里香は短刀を抜き放ち、有里香へ向けて走った。

 「愚か者め!」

 有里香の手が動き、そこから放たれた光が一直線に由里香を襲う。

 「陣っ!」

 有里香の攻撃を力任せの魔法で防ぐ由里香の足は止まらない。

 「くっ!」

 有里香も袂の懐刀を抜きはち、攻撃に備える。

 「水龍!」

 「光武!」


 倉橋の巫女同士の、血を分けた姉妹の、愛し合うべき者同士の、憎しみに満ちた一撃同士は、空中で激しくぶつかり合い、

 「きゃっ!」

 「ぐっ!」

 その余波で二人をはじき飛ばした。

 「空!」

 「空!」

 共に空中浮揚魔法で地面への落下を避けた二人は、牽制の魔法攻撃をかけつつ、再度間合いを詰めた。

 有里香の懐刀が由里香の喉元を狙い、由里香の短刀が四肢の腱を狙う。

 力押しで由里香を突き飛ばした有里香が魔法を放ち、防御魔法で由里香が迎え撃つ。

 その隙に由里香は袖に仕込んだ棒手裏剣を有里香めがけて投げ放った。

 「小癪な!」

 懐刀で手裏剣を打ち落とした有里香だが、

 「ぐっ!?」

 その一撃に込められた小細工までは思いつくことが出来なかった。

 手裏剣は有里香に打ち落とされた途端、爆発したのだ。

 手元で突然発生した爆発に、思わず有里香は袂で顔を覆ってしまう。

 

 そして―――


 「これはお母様直伝の仕掛け!知らぬならあなたはお母様の子ではない!」

 「何だと!?」

 ガンッ!

 爆発の閃光を隠れ蓑に、一気に間合いを詰めた由里香は、有里香の頬を短刀の柄を掴んだ拳でしたたかに殴りつけた。



 ―――いい加減にしろ。

 それが、由忠の正直な感想だった。

 すでに20はくだらない忍を行動不能にしていた。

 足下には由忠によって倒された忍達が折り重なって倒れていた。


 にもかかわらず、忍達の包囲は崩れることがない。

 動揺する様子すら見受けられない。

 忍達の戦意が揺らぐことは、ない。


 「お前等、そんなに死に急いでどうする」

 返事を期待したわけではない。

 「あのくの一といい、どうにも頭が固いなお前等は」

 「……我らは主君の命(めい)こそがすべて」

 不意に包囲の中からそんな声がした。

 50の坂は越えているだろう、苦み走った声。

 「主君が殺せと命じれば殺す。死ねと命じれば死ぬ」

 「……まぁ、忍はそういうものだがな」

 わかりはするが、それでも由忠は割り切れない。

 「お前等に聞きたいことがある」

 「地獄で聞いてやる」

 その言葉が合図となったかのように、由忠を包囲する一気に襲いかかって来た。

 「ドアホ」

 「!!」

 「ぎゃっ!?」

 人間が宙を跳び、そして一斉に宙にはじき返されるその光景は、まさに盛大な人間花火だった。

 人間がバラバラと地面に落下していく中で、由忠は不機嫌そうに

 「俺は妻帯者だ。夫にとって地獄とは夫婦生活そのものだ。もう地獄にいるんだから、ここで聞く権利がある!」

 「……痛々しいことだ」

 あれだけいた忍で立っている者はただ一人のみ。

 「未熟な者共だ」

 忍は、ポツリと呟くように言った。

 「相手が魔法騎士ならば、こうなることはわかりきっておろうに」

 「それでも攻撃させたのはお前だろうが」

 「命(めい)を確実に果たすため、どうすれば良いかは、己自身で考え、決めることじゃ。忍が数に頼るとは何事じゃ」

 「そりゃごもっとも」

 「……それで?不甲斐ない夫殿は、何が知りたいのじゃ?」

 「……いちいちひっかかる物言いだが、まぁ、いい。由里香のことだ」

 「どうした?」

 「由里香の儀式、しくじらせたのは、お前達ではないのか?」

 「……」

 「……」

 「……だとしたら、どうだと?」

 「閻魔に喋る前に俺に話しておけ。俺がこの世の閻魔だ」

 「ふん……我らは命じられたのじゃ。儀式を粉砕し、由里香殿を殺せと」

 「誰に」

 「倉橋の先の先の当主の息子、倉橋栄一殿じゃ」

 「倉橋の跡取りになろうと画策し、お前等を動かしたというのか?」

 「ああ。我らはその頃、一族会議の結果、先代の静夜様から離れ、栄一様の御配下となった。中立とされ、それを誓った栄一殿に、一族は我らを預けたのじゃ」

 「それほど、お前等は倉橋の血を吸った」

 「代々、我らは倉橋の闇じゃ」忍は自嘲気味に笑った。

 「命があれば、傅くべき当主すら殺す―――それ故、我らは命こそが全てと思わねばならんのじゃ」

 「倉橋栄一が一族を裏切り、お前等忍を動かし、そして由里香の儀式に」

 「じゃが、忍になりきれん愚か者が全てをしくじらせてくれた」

 「?」

 「土壇場で由里香殿を守るべく我らに刃を向け、命を落とした愚か者がな」

 「寝返りで事がしくじることはあることだ」

 「そう……それが我が弟でもな」

 「……」

 「弟は、由里香殿を愛しておった。身分違いの結ばれぬ仲ではあったが、それでも弟は由里香殿への思慕を捨てきれなかった。儀式で動けぬ由里香殿の楯となって死んだ」

 「由里香が血の汚れを浴びたというのは」

 「そう。弟の血じゃ」

 「由里香は、随分モテたようだな」

 「ああ」クックックッと忍の口から笑い声が上がった。

 「倉橋にお仕えする若い者で由里香殿へ思いを寄せぬ者などおらんかったわ。かの栄一殿ですら、当主の地位というより、結ばれることのない由里香殿への思慕の末の破れかぶれの行動じゃったわ。最後は、我らに殺されたがな」

 「お前、あれだろう?」

 「ん?」

 「忍軍は、次期頭領たる瀬戸昭博を由里香の夫として送り込み、由里香の護衛にあてた。すなわち、忍軍としての務めを昭博に託したのだろう?先代当主のみの差し金ではあるまい?」

 「……そうじゃ。我らが求めたのじゃ。無論、若が由里香殿を愛しておられるかどうか、正直、疑わしかったが、ここまで夫婦を貫かれたのじゃ。若がご健在なうちは、我ら忍はお役目を果たしておることになるわ!」

 「つくづく、苦労する連中だな。お前等も」

 「何。お主とて同じじゃろうが……さて、閻魔への口上は終わりじゃ。長々とすまんの」

 「なんの」

 忍は刀を抜いた。

 「では、水瀬家当主、皇室隠密衆御頭、水瀬由忠殿」

 「……やるか?」

 「倉橋忍軍頭領“黒”こと瀬戸昭信(せと・あきのぶ)……参る!!」




    

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る