呪われた姫神 その17

 ●旅館「さくら」楓の間

 「馬鹿者!」

 その怒鳴り声に、室内の建具までが悲鳴を上げたように振動した。

 そして、

 ゴツンッ!

 室内に鈍い音が響く。

 由忠が息子の頭をグーで殴った音だ。

 「痛ぁ〜いっ!」

 「やかましいわ、このおおうつけ!」

 「うううっ……」

 「勝手に動くなとあれほど言ったろうが!」

 「だって、だってぇ……」

 「だってもヘチマもあるか!」

 ゴツンッ!

 「反省の色がない!」

 ゴツンッ!

 「由忠さん、まぁ、それくらいで……」

 たまらず由里香が止めに入る。

 「学校は無断欠席!仕事は放り出したまま!貴様、今の立場でやる気があるのか!」

 「だから、あまりに、その―――」

 振り上げた由忠の腕を、由里香がそっと止めた。

 「教育上、これ以上は逆効果ですわ」

 「ええいっ。息子はこれ位厳しくしなければならんというのに」

 「そりゃ、私は男の子は育てたことありませんけどね……」

 「悠理!ことが済むまで今回の件はお預けだ!帰ったら覚悟しておけ!」

 「うっ、う……ううっ……」

 うえーんっ!

 水瀬は、もう本当に泣き出していた。

 「由忠さん。ホントに悠理君だって綾乃のこと心配して―――」

 「それとこれとは話は別だ」

 由忠は言った。

 「後、3日で儀式が始まる。連中は神経を高ぶらせている。こんな時に下手な動きをすれば、逆に綾乃ちゃんの命が危ない」

 「儀式が?でも、儀式の準備の動きが」

 「3日もあれば十分だろう」

 「場の浄化だけで一ヶ月はかかるんですよ?」

 「?」

 由忠は、由里香のその言葉にひっかかった。

 「場を浄化するなら、神道の儀式でいえば、結界を張って―――」

 「高台から見ましたか?場の結界は、一カ所、そうです。本家の儀式の場しかなかったですよね」

 「……」

 そういえばそうだ。

 連中、どこでやるつもりだ?



 「元々浄化しきった場所なら最初から不要なんですよ」


 振り向くと、そこには昭博がいた。


 「昭博」

 「お久しぶりです。先輩」

 「お前、どうしてここに?」

 「いやぁ。先輩の情報調べてたらここに予約とったっていうから、ああ、先輩も動いてくれるんだなぁってわかったもので」

 ハッハッハッ。と笑う昭博の言葉に、由忠はあきれ顔で訊ねた。

 「俺の情報?」

 「ええ。あの女性との関係とか……あの南青山の女性の件とか、高円寺の例の人妻とか、六本木の女性自衛官とか、桜田門の女性キャリアとか」

 「……遥香にバラしたら殺すぞ」

 「ま、絶対、先輩は動くってみてましたから、いろいろ手を尽くしまして」

 「それで何でオンナの情報ばかり」

 「そりゃ、一番効果が見込める情報ですから」

 「……お前、最初から俺を強請るつもりだったな」

 「先輩って、昔から金で動く人じゃないですからね。でもほら、先輩が動いた所が僕の動き所だってふんでましたから、手っ取り早く手に入る材料として」

 由忠の殺気を無視するように、「やむを得ず」と笑う昭博。

 「―――情報の出所は?」

 「内証です」

 「……」

 こいつ、情報部に入ってくれないかな。と、由忠は本気で考えていた。

 「昭博さん。それは今後の水瀬さん所へのカードとして置いておくとして」

 「おい!」

 「最初から浄化された場所、とは?」

 「以前、学生時代、倉橋の神社を調べぬいたことがあるんですよ。御母様の許可があったから、分家扱いの僕なら一生入れないような所までね」

 「よくとりつけましたね」

 「由里香さんとの結婚の条件、それでしたから」

 「昭博さん?」

 「コホン、高台の石、あれですよ」

 「あれが?」

 「そう。実はね、あそこが、本当の儀式の場なんですよ」


 昭博の説明だと、こういうことだ。

 

 儀式の場は、元来があの高台、いわば高台そのものが聖域だった。

 それが、時を経るにつれて儀式も変化し、場もより神社に近い地へと移された。

 「何故、あの高台が聖域に?」

 「由里香さんなら、ご存じでしょう?」

 「何故です?」

 「来月からのお小遣い停止、解除してくれたら教えてあげます」

 「……」

 握った拳を振り下ろす直前、由忠の冷たい視線を感じた由里香は、何とか拳を納めた。

 夫より世間体をとる、人妻の意地そのものだ。

 「コホン……いいでしょう」

 「ありがとうございます」

 「昭博、感謝しろよ」

 「お礼はいずれ精神的に。では、ヒントです。あの高台、地下には何があるでしょう」

 「地下?……あっ」

 「そう。あの高台、下は鍾乳洞なんですよ。随分と大きい、ね」

 「鍾乳洞?」

 「ええ。今では神社のごく一部の者しか知らないはずですが、かつては神社の最大の聖域だったんです。昔の本殿は、鍾乳洞の中にありました。ほら、水瀬さん所の神社と同じですよ。あの竜穴洞」

 「水を生み出す聖域、ということか」

 「ご明察。万物の源となる水を生み出す源の真上、清涼な水が生み出される“産み”の力の集まる場所、というか、多分、鍾乳洞を女性の子宮としたら、あの高台は間違いなく女性の性器そのものということですね」

 「それが、何故、遷ったのです?」

 「解釈ですよ」

 「解釈?」

 「そう。周辺の地形を女体と捉えると、高台は女性のいわば性器そのもの、で、現在の位置は、風水的に見て、ヘソにあたる場なんですよ」

 「産みの場より、体の根元に場を移した」

 「そうです。儀式が“産み”の儀式から“降ろし”の儀式へと変化したことはご存じでしょう。場も同様に、神の子を“産む”儀式から、力を“降ろす”儀式にふさわしい場に遷ったということですね」

 「……」

 「それで?あの場が元々清浄というのは?」

 「やだなぁ……由里香さん」

 「?」

 「禊ぎですよ禊ぎ。常に流れ出る水が全ての穢れを流す、それが禊ぎでしょう?つまり、水が常にその内側で流れる場、つまり、場そのものが常に禊ぎの場となっているんです。だから、あの場は常に清浄なんですよ」

 「……我々の視覚的な清浄ではなく、精神的な意味での清浄、そういうことか?」

 「そうです。だから、あの場は浄化なんて不要なんですよ」

 「随分な大仕掛けだな」

 「ま、それより問題は、ですね?」

 昭博が、どこからか周辺の測量図を取りだした。

 高台の付近に数カ所、赤いマジックでバツ印がつけられている。

 「昨日、ざっと悠理君に頼んで周囲を偵察してもらった結果です。ここと、ここと、ここ、こちらはまだ未調査です」

 昭博が指さす場所は、赤いバツ印の所。一部がマーカーで囲われ、“未調査”と書かれていた。

 「ここに、入り口があります。全てが警戒され、神主の出入りが盛んです」

 「それが?」

 「あの鍾乳洞、僕達がここを出るまで、入れるのはごく一部、限られた者だけだったはずです。ペーペーの神主が入っていい場所じゃないんです。僕だって、御母様の許可があって初めて入れたんですから」

 「普通に立ち入り禁止場所にしている、ということではないか?儀式も近い」

 「そう解釈したいのですが」

 昭博の一瞬の沈黙の意味は、由忠にもわかった。

 「綾乃ちゃんがこの中に?」

 「頻繁に巫女の立ち入りが確認されています。儀式の準備ではなく、食事を持った。つまり、中に神主以外の人がいるということです」

 「供物ではないのか?」

 「悠理君も神社の子、人の食べる食事と供物の区別くらいつくでしょう」

 「悠理」

 「間違いなく、供物ではありません。巫女さん達の立ち話を耳にしましたが、“綾乃様”という言葉が会話の中に」

 由忠は黙考した後、息子に口を開いた。

 「……悠理」

 「はい」

 「救出は待て」

 「!?」

 すぐさま、救出命令がくると思っていた悠理は、動きを止めた。

 「なっ――」

 「確実に綾乃ちゃんがいる場所を突き止めろ。それから、武装した騎士及び一般人との交戦が予想される。綾乃ちゃんを連れて高台から脱出する場合のルートを選定、俺に報告しろ。日付変更までに、だ」

 「……はい」

 「不満か?」

 「いえ」いいつつ、そっぽを向く水瀬。

 「……」

 「由忠さん?」由里香が由忠の袖を引っ張りながら言った。

 「ん?」

 「こういう時は、親として、頑張れ、くらいは言うものですわ」






 

 ―――ハァ、ハァ、ハァ





 亜里砂は真っ暗闇の洞窟の中を必死に走っていた。




 (どうして?)



 (何で?)



 そればかりが頭に浮かぶ。



 後ろは振り返りたくない。



 振り替えれば、彼女がいる。




 亜里砂は、恐怖に押しつぶされそうな中、自分の身に何が起きたのか、子供なりに理解しようとした。


 事の起こりは、いつものように、綾乃ちゃんの所へ遊びに行ったこと。


 儀式の準備のため、二、三日、会えなかったのは、正直寂しかった。

 綾乃ちゃんだってそうだろう。

 だから、今日はこっそりオヤツを持ってきた。

 ばあやにみつかったら取り上げられる。

 みちるちゃんのくれたチョコレートだ。

 とても甘くておいしいチョコレート。

 きっと綾乃ちゃんだってよろこんでくれるに違いない。

 

 そして、いつもの通り、掛け軸を超えた。



 そこは、亜里砂の知らない空間だった―――。

 


 「……」


 綾乃ちゃん。

 そう呼びかけようとして、亜里砂は言葉が出なかった。


 場の空気が、恐ろしく重い重圧となって亜里砂を襲っていたからだ。


 亜里砂の視界に入ってきたのは、燭台の薄暗い灯りに照らし出された巫女の装束。


 

 それが、誰なのか、亜里砂は一瞬、理解できなかった。


 「何者ですか?」

 

 

 巫女の装束が発せられた言葉。

 それが、儀式に臨む母より発せられるそれよりも重く、亜里砂に襲っていたのだ。

 

 だが、その声に、亜里砂は嫌でも聞き覚えがあった。


 だからこそ、信じたくなかった。


 その声が、大好きな人から発せられているなんて―――。


 亜里砂が、なけなしの勇気を振り絞っても、声が出てこない。

 

 「―――」


 じっと見据えてくる鋭い眼差し。


 まるで刺されているような感覚すら与える眼差し。


 自分の心の奥底まで見抜いているかのような眼差し。


 とても子供に耐えられる代物ではない。

 

 いつもなら、明るい笑顔で出迎えてくれた。


 「いらっしゃい」と―――。


 例え、数日会えなくても、でも、それでここまで接し方が変わるはずもない。


 だが、彼女の身に、何が起きているのか、それを理解する術を、亜里砂は持っていない。




 「何者です」




 接する者に重圧を与える冷たい声。


 発しているのは―――。





 綾乃だった。          










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