呪われた姫神 その16

 ●倉橋神社高台


 「昭博と、あのバカが?」

 「あ、あの……せめて息子さんなんですから、その……バカって」

 「これでも特上の扱いだ」

 チラリとイーリスを見るが、イーリスは肩をすくめて“お手上げ”の仕草をする。

 「息子が出しゃばってきたのは、まぁ、いいとして、昭博がここへ?」

 「はい」

 「何故だ?」

 「さぁ……」

 「さぁって、なぁ」

 「主人の行動は私には理解できませんもの」

 「それでも女房か」

 「遥香さんが同じ事言ってましたわよ?私というものがありながら、どうして由忠さんがヨソで女を作るのかわからないって」

 「……昭博にも考えがあってのことだろう。で?今、どこにいる?」

 「宿で寝てます」

 「寝てる?もう昼すぎだぞ?」

 「自業自得です。妻に隠れて裏口座作るわ、高いお料理飲み食いするわ……」

 声が震えてきたので、由忠はそれとなく話題をそらせることにした。

 「で、旦那の代わりに、何をしようとしていた?」

 「実は……私にもわからないんです」

 「はぁ?」

 「ただ、ここに来なければならない。そう思って」

 そっと、由里香は石を撫でた。

 「……で、用事は済んだのか?」

 「それすら、わかりません……」

 申し訳ない。という顔の由里香。

 「―――儀式の動きはまだない。一度、宿まで戻れ。イーリス、護衛しろ」

 「はい」

 「由忠さんは?」

 「倉橋に用がある」

 「倉橋へ?」

 「呼び出された」

 



 


 ●数日前 東京某ホテル

 由忠が祐一からのコンタクトに接触したのは、イーリスとベッドを共にしている最中のことだった。


 

 ―――殺す



 内容の如何を問わず、お楽しみを一時中断された由忠が最初に決意したのはそれだった。


ただでさえさっきから、

 目の前の御馳走(イーリスinベッド)のお預けを喰らい、

 仕事について文句を言われ、

 書類仕事の催促を喰らい、

 頼みの息子は昨日から行方をくらませてどこにいるかわからない中だ。


 (いえ。大佐がお忙しいのはわかりますけど、一応、親なんですから)

 無断欠席の息子のせいで、学校からかかってきた南雲大尉の文句を聞き流し、


 

 (会議は無断欠席!事務仕事は放り出したまま!仕事やる気あるんですか!?)

 樟葉にキれられ、



(大佐ぁ!お願いですから決済回して下さい!)

 福井中尉達、事務職員の涙ながらの訴えに押され、徹夜仕事を約束し、


 (自主規制!!)

 目の前で感情を高ぶらせたイーリスの甘い声すら聞き流し、



 そこまでして―――



 何が悲しくてオトコの声を聞かなければならない?




 「数日中にそっちに出向く!その時話せばいいだろう。こっちは取り込み中だ!」



 大体、祐一の会話は遠回りすぎて、何が言いたいのか要点をなかなか言わないのも悪かった。

 すべてにキれた由忠は、携帯電話目がけて怒鳴り散らすと、イーリスの待つベットへ向かった―――。



 倉橋の思惑なぞ、知ったことか。



 由忠にとって、全てはそういうことだ。




 ●倉橋分家


 ――さすがに、名家というわけか。


 広い庭は、よく手入れされた季節の草花が遷ろう時を彩る。

 建物も長い風雪に耐えたからこその風格を放つ。

 趣味に合う作りを眺め、由忠はしばしの時を忘れていた。

 

 ――今度、家の修理ついでに、庭はこうやってみるか

 

 降格人事に伴う減給処分、さらに浮気―――。

 すべてにキれた妻に吹き飛ばされた家は、現在も半分が廃墟のままだ。

 いい加減、なんとかしなければならない。

 せめて、悠理が「帰省する」などと言い出す前に。

 

 (あの築山はそのままで、楓がいいな。下には桔梗はどうだろう)

 倉橋の件とは全く別問題を考えつつ、由忠は目の前の茶が冷めるのにも構わず、ただ、庭を見ていた。


 すっ。

 不意に襖が開き、神主姿の男が入ってきて、平伏した。

 「お待たせして申し訳ございません」

 由忠は、この男に見覚えがあった。

 神社本庁の集会でみかけた、この県の代表格ではないか。

 互いに神職同士、しかも格がある。無碍な対応は出来ない。

 「いや。連絡も寄越さずお伺いして申し訳ない。で?何か願い出たいことがあると?」


 祐一の申し出は、ストレートだった。



 「――綾乃様を、諦めていただけませんか」



 由忠は黙った。

 申し出がストレート過ぎるのが、逆に気になったからだ。

 「綾乃様、とは―――瀬戸綾乃のことか?」

 「はい」

 「瀬戸綾乃は現在、誘拐されたものとして警察の捜査対象になっているはずだが?」

 「そこはそれ、でございます」

 「誘拐したのは、あなた方と、認めるのか?」

 「いえいえ。お連れしただけでございます」

 圧倒的な自信が祐一の言葉の端々に感じ取れる。

 自分がやったら、近衛という超国家レベルの権力の存在があるといえる。

 しかし、倉橋にそれほどの力があるとは、到底、思えない。

 その根拠が由忠には気になった。

 「誘拐して、あまつさえ、それを探す者に諦めろとは、虫がよすぎはしないか?そもそも、本人は今、どこにいる」

 「安全な場所に」

 「本人の生死も確かめずに約束事なぞ出来るか。まずは本人と会わせて欲しいものだが」

 「いやはや、難しいものですなぁ……」

 祐一は、頭をかきながら、由忠を見た。

 くだけた仕草だが、決して何もくだけていない。

 綾乃に会わせる気は、毛頭ない。

 「……」

 「……綾乃様は、倉橋の跡取りです」

 「それはあなた方の都合だ。我々水瀬家、そして瀬戸家にも都合はある。何より、本人の意志がどこにもないではないか」

 「綾乃様の御意志は、いずれ決めて頂きます」

 「継承の儀式のことか?」

 「はい」

 臆することなく、祐一は言った。

 「本家の儀式に対抗する形で、今度の満月に」

 「あと、3日か」

 「さすがによくご存じで。ご理解が早くて助かります」

 「儀式の後、倉橋の巫女として、その力を手にした者として、進退を決めてもらう。そういうことか?」

 「ますます話が早い」

 「断る」

 「―――ほう?」

 「その申し出、応じたとして、水瀬家としての旨味がどこにある?損ばかりではないか」

 「成る程成る程……」

 クックッ。

 喉を鳴らせる笑い声が、由忠の神経に障った。

 「いやはや。その通りでございますな。いずれにせよ、我々も次代の倉橋主流となるわけですし。水瀬家とも蜜月の関係でいたいものですから」

 パチンッ

 祐一の指が鳴った途端、祐一が入ってきたのとは別の襖が開いた。

 無言で入ってくる背広姿の男の手にはジュラルミンのカバンが握られている。

 「迷惑料込みということで、一つ―――」

 開かれたカバンに入っていたのは、金塊だった。

 金額になおせば、恐らく、億単位の額では効かないだろう。

 「―――息子の嫁を、これで売れ、そういうことか?」

 「滅相もございません。あくまで、水瀬家に嫁ぐか否かは、綾乃様のお決めになられること。――倉橋の巫女としての責務をご自覚いただいた上の話ですが――せめて、水瀬家におかれましては、倉橋の儀が終了するまで、介入を控えて頂ければ、それで」

 「我が家へ、瀬戸綾乃、次代の巫女が嫁ぐはずはない―――そう確信してのことか」

 「まさか」

 じっ。と見つめ合う二人。

 やがて、由忠が口を開いた。

 「よかろう」

 由忠は言った。

 「水瀬家として、今回の件からは手を引く」

 祐一の顔がパッと明るくなる。

 「ただし、条件が三つある」

 「何なりと」

 「まず一つ、息子だ」

 「ご子息が、何か?」

 「いわば自分の妻を誘拐されたことに腹を立て、最早、家として止めることが出来ない。息子の介入は、水瀬家としては止められないかわりに、水瀬家は、息子の行動の一切に、家として関与しない」

 「やむを得ますまい。ただし」


 祐一が逆に念を押すように言った。


 「万一の際はご覚悟を」


 祐一のその目は、

 (たかがコドモ、介入できるならやってみろ。殺してやる)

 と言っていた。


 「無論だ」

 何のことはないと言う顔で応じる由忠。


 (悠理がこの程度の小物共にやられるなら、逆に見てみたいわ)



 由忠は、視線を庭に向けながら、続けた。



 「第二に、瀬戸家のことだ」

 「瀬戸家、ですか?」

 「現在、瀬戸家から護衛任務の依頼があり、これに水瀬家が家を上げて取り組んでいる。家のメンツにかけて、仕事を投げ出すことは出来ない」

 「―――成る程」

 「瀬戸家の行動については、水瀬家も予測できないが、儀式に関与する場合、水瀬家としては介入をしないものとする」

 「最悪は、瀬戸家――由里香様と、我々の問題だ。と?」

 「第三に、倉橋本家の件だ」

 「―――」

 「倉橋本家については、いろいろ借りがあるので、介入はさせてもらう。分家の儀式ではないので、黙認してもらおう―――以上だ。飲めるなら、申し出に応じよう」


 数分の沈黙の後、祐一は言った。

 「わかりました。それで手を打ちましょう」

 すっと差し出されるカバンを、由忠は一瞥しただけ。

 「今後とも、両家の繁栄を祈って」

 「うむ」



 ●倉橋分家別間

 「祐一様、首尾は」

 由忠を送り出した祐一に、取り巻きが寄ってくる。

 「ふん」祐一の目は、軽蔑しきったものだった。

 「バケモノも黄金色には弱いらしいわ」

 「交渉は、成立したのですか」

 「ああ。いろいろ条件をつけてきたが、水瀬家が介入することはない。少なくとも、我ら分家の儀式には、な」

 「本家には介入を?」

 「ああ。可能性は示唆していたぞ」

 「では、儀式の後は」

 「後は、綾乃様次第だな。綾乃様は?」

 「お薬で、よくお休みになっておられます」

 「催眠誘導薬の効果は?」

 「万全です。自分のことを、倉橋の巫女だと思いこんでいただいております」

 「よろしい」

 祐一は満足そうに頷いた。

 「さらによく暗示をかけておけ。二度と芸能界や、水瀬家のバカ息子のことなぞ思い出せないくらいにな」


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