呪われた姫神 その15

どういう、こと?


 有里香は、母は危篤といってきた。

 10年近く、母はどこにいたというのだ?

 倉橋の先代当主だ。

 それが行方不明で騒ぎにならない?

 そんな、馬鹿なことが……。


 「あの?お客様?」

 「あ、ああ、ごめんなさい」

 立ち止まったままの由里香の顔を、仲居が心配そうに見つめていた。

 「さ、お鍋が冷めてしまいますね。急ぎましょう」

 努めて気丈に振る舞ったが、内心の焦燥感は、どうにもならなかった。



 「ここです。ありがとうございました」

 仲居が由里香に一礼して、カートから鍋を降ろした。

 「土手の間」の表札が掲げられた部屋からは、賑やかな三味線や男女の笑い声が聞こえてくる。

 よく言うどんちゃん騒ぎだ。

 「昔は、こんな賑やかなお部屋ばかりだったんですよ?」

 仲居は残念そうに言った。

 「芸者を上げて大騒ぎ。楽しかったのなんのって……ただ、ですね?」

 「ただ?」

 「……どこから、いつ呼んだかわからないんですよ」

 仲居は不思議そうに言った。

 「え?」

 「誰も見ていないっていうんですよ?この部屋の芸者さん達が入ってきたの。いえね?ここで芸者の置屋やっている所は全部知っているんですけどね?全員、見たことのない芸者さん達ばかりで」

 仲居は首を傾げつつ、扉を開けた。

 「失礼いたします。お待たせいたしました。お鍋とお酒をお持ちいたしました」

 その声に、室内から陽気な男の声がする。

 「あ、はぁい!さ、悠理君、飲むぞ!」

 ピクッ

 その声に聞き覚えがあった。

 

 「土手の間」の中では、金屏風を前に芸者が5人。

 三味線をかき鳴らし、舞い踊っていた。

 式神だということは、由里香にはすぐわかった。

 そして、見慣れた男と、一見、少女と見まごう少年が、酒の満たされた朱色の大杯を飲み干していた。

 

 夫・昭博と娘の婚約者・水瀬悠理……。

 

 「あの……」

 「おや?きれいなお方!どうです?ご一緒に」

 「なっ−!」

 夫がかなり酔っていること、そして、自分が髪を結い上げていること。

 それが夫の判断を狂わせている。

 由里香が、そのまま凶状に及ばなかったのは、そう思いこむことにしたからだ。

 そんな妻の心境に気づかない夫は陽気に言う。

 「旅先で袖すり会うのもなんとやら。ささ。飲みましょう!」

 「うんうん」と水瀬。

 どうやら、水瀬までかなりできあがっているらしい。

 髪を結い上げた由里香が誰か、まるでわかっていない。

 水瀬のことは、綾乃に伝えることにしつつも、由里香は怒りを抑え、

 「わっ。いいんですか?」

 「ええ。ささささ」

 勧められるままに差し出される杯を飲み干し、かに鍋を食べ、そして……。


 そろそろお開きの頃。

 もう床にはお銚子が数十本転がっている中で、由里香が昭博に尋ねた。

 「で、ここの宿代、どうやって工面したんです?」

 「え?ああ。妻に内緒で株取引です。裏口座を妻に知られたら、僕は死にます」

 「そんなこと、していたんですね?」

 「はは。何か、よく聞くと、声が妻に似てますねぇ。あなた」

 「これでも?」

 由里香が髪を解き、昭博と水瀬の酔いは、一瞬で吹き飛んだ。

 「ゆ、由里香さん……どうして」

 「お、おばさん?」

 

 思わず抱き合ってふるえる二人を前に、由里香は怒りの形相で仁王立ちした。

 「悠理君」

 そのドスの聞いた声は、さすがに年季が入っていた。

 「は、はい……」

 思わず正座する水瀬。

 「楓の間に移ってください。ここから先は子供の見ていいものではありません」

 「し、失礼します……」

 「あ、待ってくれ悠理君!僕も!」

 水瀬に続き、土手の間の入り口まで逃げた昭博だったが……。

 ガシッ!

 浴衣の襟首を捕まれた昭博は、そのまま室内に引き戻され……。

 

 逃げつつ、水瀬は何故か、古い川柳を思い出していた。

 「女房に、土手であったが百年目」

 岡場所に行っているわけじゃないのに、おじさんもお気の毒……。

 背後から、すさまじく鈍い音と、昭博の悲鳴が聞こえた気がした。

 水瀬は思う。

 おばさんって、やっぱり、綾乃ちゃんのお母さん、なんだなぁ……。


 

 翌日−

 「楓の間」

 

 「あ、あのぉ……」

 無言で朝食の膳に向かう由里香に、ためらいがちに水瀬は声をかけた。

 「おじさんは?」

 「まだ寝ています。もしかしたら、永久に」

 まだ由里香の機嫌は最悪らしい。

 まるで、同じ状態の綾乃と会話しているような緊迫感が、水瀬を苦しめる。

 「は、ははっ……」愛想笑いは、乾ききっていた。

 「悠理君、覚えておきなさい」

 「は、はい」

 「夫は妻に隠し事してはなりません。こと、お金と女性については」

 「き、肝に銘じておきます」

 おいしそうな朝食が、水瀬にはなぜか、砂をかんでいるようにすら感じられた。

   

 「で、おばさん。これから先は?」

 「昭博さんと話し合って、その後、倉橋に向かいます」

 「じゃ、僕、護衛します」

 「いえ。水瀬君には別件でお願いしたいことがあります」

 「僕に?」

 「はい」

 昭博との『話し合い』の後、返り血を温泉で流す間に、水瀬に、倉橋家周辺の地図や測量図などを、自腹(由里香曰く「綾乃への口止め料の“ごく一部”」)で用意させると、それらを元に、いくつかの指示を水瀬に与え、自らは単身、駅へと向かうべく宿から出た。

 怪しまれないように、登山姿にリュックという出で立ちだ。


 「あら?」

 宿の角から、車が一台出ていった。

 ナンバーは品川。

 仲居の話していた、東京からのお客だろうか。

 (免許、とればよかったかしら)




 

 風が涼しい。

 木々の葉は緑から赤へ変わり、風に誘われるかのように宙を舞う。

 もう、秋だ。

 バス停をかなり前で降り、由里香は徒歩で倉橋を目指すことにした。

 山道を進むことになるが、ここからなら人目に付かずに倉橋の家を見下ろせる高台に出ることが出来る。

 道を歩きながら、由里香は思う。

 


 ここは変わっていない。



 17年前から、ずっと。



 秋の足音を聞きながら、由里香は、木々を、その落ち葉を、全てを愛でるように歩いた。

 自然と会話する。と、よく人は言う。

 それが巫女として、基本的なことだと教えられてきた由里香にとって、自然の中を歩くことは、決して遊びではない。

 それは、自然の声に耳を傾け、自然と全ての歩調を合わせる、いわば会話そのものだ。

 言語化できない、しかし、確実に感じることが出来る。

 そんな会話。

 

 由里香は自然の言葉に耳を傾けつつ、言った。


 ただいま−と。



 目指した高台にたどり着いたのは、登り初めて10分後のことだ。

 眼下に鬱蒼とした森が広がり、その中に倉橋家と神社が見える。

 「……」

 なぜか、その光景を正視したくなかった。

 ただ、高台の一角にある大きな石に、そっと手を触れる由里香。

 悲しいとき、つらいとき、由里香はこの石に座って時を過ごした。

 声を上げて泣いても、誰からもとがめられない唯一の場所。

 石が、昔に比べて小さくなっている、そんな気がした。


 倉橋の巫女として育った日々が走馬燈のように由里香の脳裏をかすめる。

 辛かった。

 悲しかった。

 でも、

 それを押し殺して生きていたあの頃。

 それが、当たり前だったあの頃。

 

 高台を包囲しつつある彼らもそうだ。

 倉橋という呪縛に縛られ生きる。

 それが、生きるといえるのだろうか?

 あの頃、私は本当に、生きていたといえるのか?


 「……全く、本当に来たのか?」

 由里香の感傷を破壊するように、声が高台に響いた。


 由忠だった。

 「由忠さん……?」

 背後にいるのは、見知らぬ金髪の女性。

 「ああ、旅館に泊まっていた二人組って、由忠さん達だったんですか」

 「何の話だかは知らないが、とにかく、だ」

 由忠とその女性は剣を抜いた。

 「死に急ぐな」

「大丈夫です。少しくらい護身の心得はあります」

 「だから……」

 由忠はあきれ顔で由里香に言った。

 「一応は倉橋の出だろうが。本当に相手が誰だかわかってるのか?」

 「当然、存じております。ですが、私だって―――」

 由里香が言い切る前に忍達が藪の中から飛び出してくる。

 「ちっ!」

 とっさに応戦体勢をとる由忠だが、それよりも先に動いたのは、なんと由里香の方だった。

 「由忠さん。見ていてくださいませ」

 そう言う由里香の掌に光が集まる。

 「水龍の剣!」

 由里香が忍達めがけて掌を突き出した途端、由里香の掌から螺旋状の渦が飛び出した。

まるで水にも見えるのは、青い炎。

 由里香の掌から飛び出しているようにも見えるその一撃は、襲い来る忍達を逆襲した。

 「ぐぁぁぁぁぁっ!!」

 渦に触れた忍達が爆発に巻き込まれ、次々と地面に転がる。

 「済みましたわ」

 何でもない。という顔で由忠に、そう告げる由里香。

 地面に転がり、くすぶり続ける忍達は、ピクリとも動かない。

 「呪文……いや、圧縮魔法か」

 その光景に、思わず由忠は独り言のように呟いた。

 「はい。たしなみ程度ですが……」

 (おいおい……)

 圧縮呪文は、長い呪文の詠唱を必要とするよう詠唱魔法を加工し、呪文発動のキーワードを唱えることでいつでも発動できる魔法だ。

 ただし、使用は簡便そうに見えて、実際には呪文の詠唱よりもかなり難しく、高位の魔 導師でもなければ使いこなすことができないことは確かだ。

 それを、こうもあっさりと使いこなす目の前の女性に、由忠はあきれかえる他になかった。

 「と、とにかく、実力の程はわかった。だが、相手は騎士だ。君は――」

 「その時はお守り下さいませ」

 「お守りって……あ、おい!監視を付けていたはずだが!?」

 「あ、あの方々は……」

 由里香は、恥ずかしそうにうつむきながら言った。

 「振り切りました……」

 「振り切ったぁ?」

 「はい……あの、電車の中で発信器を別の方にとりつけまして……多分、あの方々は、その見ず知らずの方を監視しつづけているものと」

 「……」

 あの無能共、絶対クビだ。と由忠は気が遠くなる思いで目の前の女性を見た。

 「あの、由忠さん?」

 「とにかくダメだ!何かあったら俺が昭博に恨まれる!」

 「……どうしても、ダメですか?」

 「当たり前だ!」

 ついつい語気が荒くなる由忠。

 ここはヒロイックファンタジーの世界じゃない。銃弾一発で人が死ぬことはあっても、生き返ることがない現実世界だ。お姫様のような甘ったれた台詞を唱えれば、すべての危険から逃げられるほど、あまいはずがない。

 それが、現実だ。


 「……わかりました」

 目つきが突然、剣呑なそれになる由里香。

 「い、いや、あの……」


 その目つきが、遥香を連想させ、由忠は思わず身構えてしまった。

 いやな予感がする。

 よく考えたら、この女も“人妻”だ。

 しかも、昭博から、夫婦喧嘩で勝ったなどと聞いたこともない。

 夫婦喧嘩の際、“妻”がこういう目になった時が敗北の前兆であることは、さすがに本人だけによくわかっていた。

(こりゃ、まずい……)

 



 その予感は的中した。


 「――では、かつて、あなたが私に迫ってきたことを、遥香さんにバラしてもよろしいのですね?」

 「へっ?」

 「初めてお会いした頃、あなたが私に何と言ってきたか、どんなことをしてきたか、今でも一言一句、一挙手一投足、全て覚えております。それを、遥香さんに告げてもよろしいんですね?」

 「い、いや、それはだな……」


 よく覚えていないが、そんなことをされたら、俺は間違いなく遥香に殺される。


 思わず、後ずさる由忠と、逆に距離を詰める由里香。

 「よろしいんですね!?」

 だめ押しが来た。

 「くっ……」

 ほんの少し、にらみ合いになる二人だが、

 「わかった……」

 肩を落としながら由忠は言った。

 「ただし、俺の指示にしたがうことを条件とする。飲んでくれれば護衛は引き受けよう」

 「はい(^_^)」

 「……」由忠は、ちらりと由里香の清純そうな姿を見つめ、深いため息をついた。

 (まったく、とんだじゃじゃ馬だ……)






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