呪われた姫神 その14


 東京駅構内


 『さて、次のニュースです。一昨日、東京都内の宗教施設で発生した大規模な爆発は』

 

 駅構内のテレビをちらと見た後、由里香はホームへ向けて歩き出した。



 さっきから由里香の少し後ろを歩く青年は、フリーターらしい。

 ルーズに履いたズボンにあごひげという、今風の、どこにでもいる風体だ。

 「あっ」

 「おっと」

 そのフリーターの目に、由里香が、すれ違おうとしたサラリーマンとぶつかった姿が飛び込んでくる。


 お互いに謝り、そしてすれ違う。

 どこにでもある光景だ。

 フリーターは努めてそれを無視した。

 それが意図的なものだとわかっていたから。


 キオスクで駅弁とお茶を買い、鞄に詰めながら列車を待つ。

 一人旅なんて初めてだ。

 何度も切符を確かめる由里香の口からため息が出た。


 いつも、昭博さんが隣にいてくれた。


 それが、支えだった。

 それが、全てだった。


 今度は違う。

 

 でもそれは、私が決めたことだ。

 

 それでも、不安はかき消すことが出来ない。

 女一人の弱さというべきか。

 切符の買い方から何から、昭博さんのマネをして、なんとかここまでこれたけど、この先のことは何もわからない。

 

 でも、行かなければ。

 その一念を胸に、由里香は列車に乗り込んだ。


 (誰かが、見ているようだけど……ごめんなさいね?)



 その手には、旅行鞄と、針状の発信器が握られていた。


 

 新幹線に揺られること3時間。特急に揺られることさらに2時間。

 東京に来た時は、まる一日かかった旅路が、今は違う。

 違う?

 そう、列車から降りた光景は、何もかもが違っていた。

 約17年ぶりに見た駅は、いつのまにか建て替えられ、駅前の景色も、変わり果てていた。

 クラスのみんなと一緒に食べにいった角のあんみつ屋はコンビニに変わっている。

 東京に出る前、昭博さんと入ったレストランはもうどこにもない。

 「……」

 歩くこと10分

 それは、かつて通い慣れた母校への道。

 倉橋の存在を忘れることが出来た唯一の世界への道……。

 坂を登った先に、由里香の母校があった。

 建物は昔のままなのに、不思議と違和感を感じる。

 それはもう、由里香と学校に何の縁もなくなったということなのかもしれない。


 「あーっ!待ってよぉ!」

 「亜里砂ちゃん遅いよぉ!?」


 道を歩く生徒達の制服も、昔と違っている。

 辺りを見回しても、見知った者などいはしない。

 

 「……」

 しばらく学校を見つめていた由里香は、そのまま踵を返し、坂を下った。

 ここに、自分の居場所がないことを知ったから。



 17年の年月は、倉橋由里香の存在を、この街から消し去っていたのだ。

 

 

 

 

 倉橋家はここから電車で5つ目の駅で下車、バスで25分の距離。

 都市化の波からいつの時代も取り残されてきたような、辺鄙な土地だ。

 当然、宿泊施設など、由里香にも心当たりがなかった。

 由里香は3つ目の駅で下車することにした。

 鄙びた温泉で知られ、旅館や民宿には事欠かない。

 由里香は、かつて倉橋家で使った関係で、唯一知っていた老舗旅館に宿をとった。

 ここは、あの頃と変わっていない。

 それが、安心感と寂しさをない交ぜにした複雑な心境を由里香に抱かせた。

 「はいはい。お客様、ご案内いたしますね?」

 六十の坂をとうに越えたような、人の良さそうな仲居が先に立ち、部屋へ案内してくれた。

 ちなみに一泊2万。1週間の予定、すでに前払いしている。

 昭博が自腹で泊まっていたら、夫婦喧嘩モノの値段だが、やむを得ない。

 内心で夫にわびながら、へそくりで代金を支払った主婦が、ここにいた。

 「あら?東京からですか?」

 「はい。もうしわけございません。飛び込みで」

 「いえいえ。近頃、こんな田舎に来る人も少なくて……」

 仲居がいれてくれたお茶を飲みながら、気がつけば世間話に花が咲いていた。

 「でも、珍しいこともあるものですねぇ。昨日と今日で東京から何人も来るなんて」

 「あ、そうなんですか?」

 「はい。倉橋の神社でお祭りがある関係ですかねぇ。大学の先生と、その助手の方達でしょ?それと、外人の女連れのオトコの人」

 「まぁ」

 「この二組、私のカンですけど、そういう関係みたいですよ?」

 「不倫……ですか?」

 由里香も人並みに興味はある。

 娘に「オバサン」とバカにされても、だ。

 この話題だけで、仲居と由里香は、夕食の時間まで話し込んでいたという。



 夜、由里香は夕食に舌鼓をうち、温泉を堪能した。

 後はお酒。

 何か、目的を忘れそうな勢いで楽しんでいる自分に気づいていたものの、

 (そ、それでも)

 由里香は必死に自己弁護していた。

 (わ、私だって、綾乃を育てるのに一生懸命だったんだから。これくらいのご褒美を自分にあげたっていいですよ……ね?)

 またも夫にわびつつ、湯上がり、浴衣に袖を通した由里香は、珍しく髪を結い上げた。

 腰まである黒髪は、由里香の自慢だ。娘が髪を伸ばしているのも、その影響が強い。

 髪を結うだけで印象は全く違って見える。

 自分の何かを変えることで、非日常の姿をとらねば、何か、誰かに申し訳ない、そんな気がする由里香だった。

 

 湯上がり。

 「あら?」

 先ほどの仲居がカートを押して歩いている。

 カートの上には、湯気を立てる鍋と銚子の山。

 さすがに重いらしく、仲居も苦労しているらしい。

 「仲居さん」

 「あら?お客様」

 「手伝いましょうか?」

 「いえ!とんでもない!仲居生活45年、そんなことをお客様にさせたら」

 カートを押す力を強めた途端、

 グキッ

 いい音がした。

 「い、痛たたたたっ」

 「腰、お悪いんですの?」

 「は、はい。やはり歳ですかねぇ……」

 「ちょっと待ってくださいね?」

 

 ポウッ

 仲居の腰にやった由里香の掌が不意に輝く。

 治癒魔法だ。

 

 「あ、あら?」突然、腰の痛みがなくなったことに、仲居は驚いた。

 「お年なんですから、無理しないでくださいね?」

 いいつつ、カートを押す由里香。

 「は、はぁ……?」

 「これ、どこまで?」

 「あ、土手の間です……お願いできますか?」

 「はい」

 

 途中、二人は話し込んでいた。

 全ては、倉橋家の代が変わってからだ。

 倉橋家が中心になって、バブルに乗りそこない、観光開発に失敗したせいで、観光客が激減、この旅館も左前が続き、30人いた仲居ももう4人しかいないこと。

 それでも、近頃は倉橋も割れていて、分派となった者達が温泉を観光資源として再利用しようと、いろいろ取り組んでいてくれるから、もう少ししたら昔通りの経営が期待できるかもしれない、など。

 

 倉橋の代が変わってから。


 その言葉が、由里香には重かった。


 もし、私が代をとっていたら、この旅館はどうなっていたんだろうか。


 仲居は言った。


 「いえね?別に倉橋様に文句つけるつもりはないんですよ?でも、今の御当主様、ご存じですか?女性の方なんですけどね?あんなり人望がない方で、いい評判がないんですよ。旦那様には早くに死なれて、苦労されているせいかもしれませんけどね」

 「あ、いえ。旦那様が?」

 「ええ。政略結婚だったんですよ。本当に好きだった方とは結ばれることなく、イヤイヤ結婚したそうで、それでも、娘さんが生まれてすぐ、ご主人も事故で亡くなられたんですよ。もう12年位前でしかねぇ」

 「……」

 苦労したのは、私だけじゃなかった。

 でも、私は昭博さんと綾乃という幸せに包まれて日々を送れた。

 それなのに……。

 有里香……。

 由里香は、不意に、目頭が熱くなるのをおさえられなかった。


 でも、母さえいてくれれば。


 「あの、先代の御当主は?」

 「それがですねぇ……」仲居の顔が曇った。

 「?」


 イヤな予感がした。


 「誰も見ていないんですよ。かれこれ10年以上」


 「え!?」

 由里香の両眼が、驚愕に見開かれる。

 「行方不明……らしいんですよ。倉橋で代替わりのお祭りがあった夜から」



 

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